メディアの話その132 メタバースは進化するけど、人間は進化しない。

日経新聞・今日の一面。メタバース特集。

米国では20年、一定の場所にとどまらずにリモートで働けるとした人が1090万人と19年比で5割増えた。アイスランドは20年からリモートワークに特化した外国人を180日間の短期移住者として受け入れている。経営学者のマイケル・ポーター氏は1990年代、企業の競争力のひとつに「立地が生む集積」をあげたがこの前提は崩れる。頭脳争奪戦もこれまで以上に激しくなる。

ーーわずか1年前、メタバースという言葉を知っているのはSF小説マニアだけだった。みんな、ZOOMとCLUBHOUSEに夢中だった。こっちも「仮想現実」サービスなので、別に一緒なのだけど。

人間が脳内でつくった「仕事」の多くが、インターネット的「仮想現実空間」に置き換わるのは、ある意味で当然。一気に進む分野がたくさんあるだろう。

またメタバースが拡張することで、さまざまな意味で助かる人もたくさんいるはずだ。アジールとしてのメタバースはとっても重要だと思う。

でも、昨日、磯監督の「地球外少年少女」をネットフリックスでみたときも、庵野監督の「シン・エヴァンゲリオン」をみたときも、思ったんだけど(ちなみに、どっちもとっても面白かった、そのうえで)、このメタバース話にしろ、身体や自然というものをあまりに無視しすぎ、じゃないだろうか?

仕事のメタバース化、安い娯楽のメタバース化が進めば進むほど、現実の自分の身体をどこに置くのか、が「唯一無二」の価値判断を必要とする質問になる。

つまり、むしろリアルの価値は究極的に高まる。

それ、メタバースビジネスの真ん中にいるひとは、案外気づいているはず。暮らしを観光化する動きは、世界中を巻き込んだバトルロワイヤルにはなるはず。

また、SF近未来物の前提は「人類が増えすぎたり、環境負荷があって地球が危機」という設定が多い。現実の温暖化議論などにしても、それとおんなじ話をしているんだけど、その割に、ドラマにしても現実の報道にしても、リアルな自然だの地形だの気象だのには案外向き合わなくて、「逃げちゃう」か「脱成長しちゃう」か、という答えに逃げ込んじゃう。

目の前にある生き物だの食べ物(全部生き物です)だの、住む場所だのについては、それこそバーチャルな回答しか導かなかったりする。

特に答えはないんだけど、いまこういう疑問が浮かんだ、というのは、あとで個人的に役に立つので、記しておく。メタや宇宙は面白いし、好きだけど、体も自然も地理もなくならない。そして、逃げられない。

そもそも、進歩するのは文明や科学技術であって、人間そのものは進歩も進化もしない。2001年宇宙の旅の昔から、なんとか人類そのものを進化させたがるのは、人間の妄想のむしろ癖だけど、2001年宇宙の旅をうつらうつら見ていた私と、いまメタバース話を読んでいる私はおなじ生き物で、当然「進化」などしていない。そんなラマルク的なこと、おこるわけがない。進歩し続ける科学技術と、数万年前とほとんど変わってない人類と。そのズレが「ファクトフルネス」で、それは今後も変わらない。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK15BVR0V11C21A2000000/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?