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メディアの話その120  シン街道資本主義と浜松の何もない駅前。

浜松唯一の私鉄、遠州鉄道の駅前は、ほとんどがどんどんさびれている。

今に始まったことではない。2011年。いまから10年前に、こんな話をフェイスブックに書いていた。↓

浜松に電車で帰る。地元の遠州鉄道に乗り、20分ほど北の駅につく。駅に降り立つといつも自分の中でかかる曲がある。レイチャールズのインザヒートオブザナイト。夜の大捜査線のテーマ。あの映画では都会から来たシドニーポアチエ演じるチップス警部がとてつもない田舎駅につくところからドラマが始まる。そのシーンをいつも思い出すのだ。駅前にはパチンコ屋が一軒。あとはいきなり田んぼが広がっている。住宅街はなぜか駅から離れている。そうです。駅前開発があって同心円状に街があって住宅街そして田畑というかたちになっていないのだ。周辺人口は少なくない。乗降客数も一定数ある。なぜ駅がほったらかしなんだろう。チップス警部は帰郷するたびに首をかしげるのであった。


私のつかっていた「さぎのみや駅」(この駅、とあるネットの有名な怪談駅のモデルだったりする)https://toyokeizai.net/articles/-/364920 は、70年代のほうがまだ駅前にいろいろあった。

喫茶店もあったし、パチンコ屋もあったし、ラーメン屋もあったし、プログレが充実したレコード屋もあった。

でも、いまはなにひとつない。

一方で、浜松では金指街道をはじめとする「旧街道」がモールタウンになっていて、むちゃくちゃ賑わっている。利用者は「全員」自動車でアクセスする。
隣町の磐田市では、東名高速直結のららぽーとがある。
ここにいたっては、自動車でしかいきようがない。

「国道16号線」の取材をしていて気づいたことがある。

それは、鉄道で自由に行き来できる16号線の内側、とりわけ東京23区の生活は、日本全国からみたら、いや世界全体からみたら、きわめて特殊な環境だ、ということである。

むしろ世界の大半は、日本の大半は、鉄道ではなく、自動車を前提として、生活が成り立っている。その傾向は、むしろ21世紀に入って強くなっている。

国道16号線の内側、東京23区の以外のほとんどの全国、おそらく8000万人くらいのひとたちをとりまく環境は、鉄道資本主義から、シン街道資本主義に映っている。

そもそも鉄道資本主義の歴史はたかだか100年ちょっとである。

鉄道ができるまで、長らく日本の街は文字通り、街の道、街道沿いにあった。旧街道資本主義の時代が古代からずっと続いていた。


それを変えたのが、小林一三であり、渋沢栄一であり、五島慶太だった。
ターミナル駅に百貨店やオフィスを設け、沿線を地上げし、大学などを誘致し、奥座敷に高級住宅街を設け、終点にアミューズメント施設を置いた。


阪急も、東急も、小田急も、西武も、東武も、京急も、みんなこのパターンだ。
首都圏の場合、その執着地点がだいたい16号線のあたり。だから、この道沿いには、鉄道がからんだミューズメンとパークが四方八方にある。京急油壺マリンパークに、東武動物公園が典型だ。


で、私の場合でいうと、大人になって、この日本流鉄道資本主義がつくった、東急的阪急的田園都市開発を知ってから、おそらく私などは勘違いをずっとしていた。

日本全国の鉄道沿線で、とりわけ私鉄沿線で、似たような開発をしていたのだろう、と。


たとえば、浜松の遠州鉄道は、自社に鉄道バスタクシーを持ち、遠鉄百貨店と遠鉄ストアーという流通部門を持ち、そしてもちろん宅地開発の不動産部門を持っている。いまでも、ある。
ところが、実際に自分が長年住んだこの私鉄沿線では、東急や阪急がやったような、鉄道駅を軸とした地域ブランディング、地上げ、小売と住宅をセットにした街の開発、というのは、まったく行われていなかった。


いくつか賑わいのある駅前もあるが、それはその駅前が江戸時代より昔からずっとある街道(二俣街道)と交差しているところで、その宿場町だった場所だからである。


つまり、浜松に関して言えば、戦後私鉄開発はあったものの、首都圏や京阪神で行われた「鉄道資本主義」は、まったく行使されていなかったわけである。

10年前の疑問が、ようやく解けた気がする。東急や阪急がやったような計画的なまちづくりを行う鉄道資本主義、少なくとも浜松では最初から「なかった」のだ。

そのため、自動車の保有台数が90年代に1世帯あたり1台を超え、「ほんとうのモータリゼーション」がバブル以降に起きて、一人1台車の時代になると、駅前のしょぼい商業施設はみんな見捨てられ、駅前にはお店がまったくなくなった。なんとコンビニすらなかったりする。


これは、私鉄沿線だけではなく、浜松の新幹線駅がある本当の浜松駅前もおなじ。90年代後半に西武百貨店や丸井が撤退し地元百貨店の松菱がつぶれてからずっと、「半分シャッター商店街」状態が20数年続いている。

今後、鉄道駅前がふたたび活況を呈することはあるか?浜松でみている限り、望み薄、である。

一方で、シン街道資本主義は、ますます進んでいて、企業誘致も鉄道沿いではなく、街道沿いと新東名高速のインターのクロスロードが中心になっている。
こういう動き、東京23区にいると、全く見えない。でも、おそらく全国の多くの地域で、似たようなことが起きているのではないか?
そんな状況に対して、東京からきたメディアやコンサルが「駅前再開発」のアイデアなんかを出しても、まったくの検討外れのゴミになる(そういうケースを直接知っている)。
東京23区以外の日本全国は、「鉄道資本主義」から、インターネット時代を前提にした「シン街道資本主義」になっている可能性がある。全国のケースを取材してみたいものである。
p.s
東京23区的常識にとらわれた私たちは、それぞれの街の「にぎわい」を駅前に求めてしまう。鉄道資本主義が瓦解した地方では、どこに「にぎわい」を求めるのか。「地元のやつ」が集まる「いつもの店」はどこにあるのか。
アメリカの映画や音楽では、鉄道街じゃないまさに自動車で動く「街道街」の「いつもの店」が出てくる。
それは、たとえば「ダイナー」だ。まずいコーヒーとひからびたサンドイッチと、昔は色っぽかった迫力のあるマダムが経営するダイナー。
地元のちんぴらも、おやじも、高校生も立ち寄る場所。
『ツインピークス』のダイナーなんかもそのイメージかもしれない。
映画『真昼の決闘』には、鉄道がモチーフで出てくるが、悪党が街にやってくる鉄道の駅は、街のはずれにあって、街の盛り場は、別にある。駅は中心じゃない。
音楽でいえば、シン・リジイの「ボーイズ バック イン タウン」のイメージだ。
あの悪い奴らが、ひさしぶりに街に戻ってきたぜ。
街を出て行ったあの悪い奴ら、奴らが戻る街は、いま田舎のどこにあるんだろう。
父親の49日代わりの帰郷をして、ちょっと思った。
少なくとも私が戻る「街」は、見当たらなかった。
近所の川に、カワセミはいたけど。

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