メディアの話、その56 。見立てが市場を作る。

谷根千をご存知だろうか。谷中。根津。千駄木。文京区の東側。不忍通りと並行して流れる藍染川。すでに暗渠となった藍染川は不忍池に注いでいる。この藍染川を埋めた上を走るくねくねとした通り沿いに、谷中、根津、千駄木、の通称「谷根千」の商店街がある。

「谷根千」は、いつ訪れても人がいる。若い女性から、親子から、夫婦から、老人会から、外国人観光客まで。むかしからあるお店も並んでいれば、わりと最近オープンしたワインバーのような店もある。

一方、谷根千にないものもある。それは、高層ビルだ。それは、巨大モールだ。それは、巨大量販店だ。高層ビルも、巨大モールも、量販店もないけれど、谷根千は、今日も人の流れが途切れない。

1980年代半ばまで、東京のいたるところに、谷根千的な下町商店街はあったはずだ。けれども、その多くは、姿を消した。大型マンションや、チェーン店に姿を変えた。

「谷根千」を、「谷根千」のまま、人が集まる場所、「観光」的な価値をあたえたのは、「谷中・根津・千駄木」という名の地域誌だ。その編集の陣頭指揮をとったのが森まゆみさんだ。森さんらが編集した「谷中・根津・千駄木」という雑誌誌が、このこじんまりとした下町商店街とその背後に控える住宅街やお寺や神社や街の歴史を伝え、オーラルヒストリーのかたちで街のひとびとの歴史を伝えた。「谷根千」は、「谷根千」のまま、結果として経済的価値までをも付与された。

バブル景気に翻弄され、地上げが行われ、巨大ビルが次々と乱立した東京にあって、2000年代に入ってからむしろ注目されるようになったのは、「谷根千」に感化された、神楽坂だったり、「わめぞ=早稲田・目白・雑司が谷」だたったり、古い東京の町並みを残したエリアだったりする。こうしたエリアの観光価値、経済価値を発明したのは、結果論かもしれないけれど、雑誌「谷中・根津・千駄木」で「谷根千」という価値の「見立て」を行った森まゆみさんたちだと私は思う。

さらにいえば、おなじく80年代に、赤瀬川原平さんらが「路上観察」という街の見立てを「遊び」にした。そこで、たとえば「超芸術トマソン」のような、見立てだけで芸術がその場で生まれてしまう、というやはり「発明」があった。

その直後、都築響一さんが、東京のアパートや貸家に自らの趣味と生活をぎゅっとコクピットのように収めている、若者たちの部屋をひたすら写真で紹介する「TOKYO STYLE」を発表した。東京の若者の暮らしそのものが、アートになった。

森さんも、赤瀬川さんも、都築さんも、すでにある街の魅力を、ひとびとの暮らしを「こう見る」と素敵、面白い、びっくりだ、という「見立て」を発明した。すると、釘一本打つわけでもないのに、そこに「価値」が生まれた。「見立て」だけで「価値」を生む。

おそらくAIにできない、メディアとしての人間のクリエイティブ。

続きます。



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