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『リーダー』という役目が嫌いで、怖くて、それでも好きで。

任される度にうまく振る舞えず、やりきれずに後悔して、反省して。でも、それらがいっぺんにひっくり返るくらいの喜びが時々やってくる。そうすると、それまでの迷いや不安に1つの筋が通り、意味が見え、少しだけ自信や確信が生まれたりする。

僕にとって、リーダーや◯◯長というポジションはそんなイメージです。(唐突な始まりですが、いま少しお付き合いください…)


ゆうて、そこで得た喜びや自信、それを味わえた経験なんて、その当時の日記やブログ、写真を見返さないと思い出せないくらいまだまだ些細なもの…。

これまでにまとめ役を担った数だけ後悔と反省が詰まった爆弾が心に埋まっているような感覚で、その時に関わってくださった先輩、同級生・同期、後輩、お客様を思い出すと申し訳なさばかりが湧いてきます。

いっそのこと、もう一生こんな役回りはしたくない!

その時々のまとめ役を卒業すると、達成感をひとしきり味わった後、そんな投げやりな想いに結局心を支配されてしまう。


それなのに、また僕は株式会社オンリーストーリーという会社で編集長という役目を自分から志願して、いわゆるまとめ役側に身を置いています。

もうすぐ、この会社、この役職になって一年が経とうとしていますが、「なんでまた僕はこの役回り、環境を求めてしまうのか。」と自分で自分を理解できず、もやもやとしていました。もう何年も、その答えがわからなくて。


それでも、今日、僕にとって『リーダー』として人と関わるということは人生レベルで向き合うべきテーマであり、もう逃げられないなとまた少し腹をくくれた出来事がありました。

* * *

今日は、弊社の月一全体会議が開かれました。その会議では、二人のインターンメンバーが卒業となりました。

そのうちの一人は、昨年まだ僕がこの役回りになったばかりの頃、うちのチームで一生懸命に働いてくれていたメンバーでした。彼は幼いうちから経営感覚・自営感覚に触れてきていて、いまも優秀な学生が集まる大学に通っていて、入社当時はそれまでに培った小論文添削等の経験からライターとして活躍してくれていました。

文章やテキストコンテンツについて、あーでもない、こーでもないと僕と語り合ってくれて、当時のうちのインタビューサイトを力強く支えてくれました。隙間の時間には、彼の就活課題を一緒に考えたこともあったと思います。

おそらく、僕ら二人の感性や視点、考え方は結構異なるものだったのだけど、結局いいコンテンツを作りたいという想いは同じだったので、その時間・空間は楽しかった。


ところが、あるタイミングから彼はうちのチームを離れ、一緒に仕事をする機会は極端に減り、未熟な僕の中で彼を信じきれなくなってしまった出来事も重なりました。そして、しばらく会話を交わすことなく、彼にとって最後の出勤日となった今日の会議を迎えました。

今日の会議をもって彼が卒業すると知っていた僕には、朝、彼の顔を見た瞬間から少し心がキュッと締め付けられるような感覚がありました。いざ、彼が卒業するのかと思うと、「もっと◯◯しておけばよかった」「なんで、あの時◯◯してしまったのか」と後悔や反省が溢れ出て、止まらなくなりそうな感じ。その日の会議に集中するために、その気持ちはしまいこんで、一旦頭を切り替えました。

* * *

会議が終わると、最後に卒業メンバーから全体へメッセージを贈る時間が設けられました。

彼は一人一人、お世話になった役員・社員メンバーへコメントを用意していて、それを丁寧に話してくれました。順番的に、僕へのメッセージは最後になりました。


彼が僕の方に向き直り、僕に向けられた第一声になる前の息の音が僕の耳に届いた瞬間、涙が溢れてきました。あーだこーだとテキストコンテンツについて語り合った時の光景もフラッシュバックしてきて、鼻水が止まらなくなりました。

正直、もう情けないくらい泣きじゃくっていたので彼が最後にかけてくれた言葉をうまく聞き取れなかったのですが(笑)、彼が手渡してくれた一枚の紙にはこう書いてありました。


僕が当時の仕事やチームと向き合っていた姿は、「魂を込めて、命を賭けて、言葉や文章と向き合っているようだった」と彼は言ってくれました。そして、「そんな姿から学んだことは多く、いまも活きています」とも言ってくれました。

僕自身はまだまだそんな領域には到達できていないと思うのですが、当時の彼の目にはそのように映り、いまもその頃に話したことを覚えてくれているようでした。それを聞いて、心の底から嬉しくて、誇らしくて、心が温かく満たされていくのを感じました。


この彼の言葉を聞いて、改めて目の前にいる彼と記憶の中の当時の僕らと向き合ってみて、僕が何度でもリーダーという役回りを求めてしまうわけが少しだけわかった気がします。

* * *

一言で言うと、僕は自分が当事者意識を持って何かと向き合った過程や結果から得られる喜びや成長実感、感動、感情のすべてに魅せられてしまっているのだと思います。

こういう瞬間の心の動きって、自分自身ですらも予測・コントロールができないくらいに素が出ていて、本当に嘘偽りがない。生きてるって感じがするし、何度味わっても新鮮で、大切なものだと感じます。

僕は、そういう感覚に心底魅せられてしまっていて、心の奥底で「またあの感覚を味わいたい!」と求めて続け、リーダー的な役回りを求めてきたのだと思います。

そうやって腑に落ちて考えられる今から振り返ると、何故かリーダーという役回りと縁をいただいたりその役目を求めてたりしてきた自分自身を理解できなかった時期というのは、結局のところ逃げ回っていたのでしょう。

当事者意識を持ってリーダーとして行動する中で先ほどのようなポジティブな感覚・感情を味わえるのは一瞬の点でしかなくって、それまでにあるネガティブな出来事や期間が怖くて、受け止められなくて逃げていた。

だけど、もうはっきりとわかりました。

喜びや感動は、失望や葛藤なしには得られない。失望や葛藤が大きいほど、得られる喜びや感動も大きくなる。

* * *

僕にとって『リーダー』として人と関わるということは、人生レベルで向き合うべきテーマであり、もう逃げられないなと思った。

そんなようなことを冒頭に書きました。そう腑に落ちたのは、僕にとってのリーダーポジションがこの世で一番「感動」という体験や感情に近い場所だと思えるようになったからです。

その感動体験を味わった時に「生きてる!」と感じ、その感覚がもっとも大きな生きる力になる。その「感動=生きる力」を得るために、苦しみや葛藤が必要。そして、苦しみや葛藤を受け止めるために、当事者意識を強く持てる「リーダー」というポジションが必要。


だから、僕はリーダーという役目が嫌いで、怖くて、やっぱり好き。







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