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大切な人の前で笑顔でいられるはたらき方を。#はたらくってなんだろう

*このnoteは、Panasonic×noteの投稿企画「#はたらくってなんだろう」に寄せて書きました。


#はたらくってなんだろう に寄せられている記事を見ていると、いろんな方々の言葉が並んでいます。

好きなことを仕事にしなくてもいい。
守るものがあるから、はたらくんだ。
天職とは、なんだろう。

眺めてると、書き手の方々に対するいろんな想像が膨らみます。

ああ、この人は大切な家族を持っているんだな。ああ、この人は「好きなこと」と「仕事」の間で悩んだ過去を抱えているんだな。それがいま、この人の「はたらく」を作っているんだな、と。

じゃあ、僕にとっての「はたらく」ってなんだろう…。


今回は、Panasonic×noteの投稿企画「#はたらくってなんだろう」に寄せて書かせていただきます🙌


お酒を飲むと日頃の我慢と抑圧が破裂

一番最初に僕がはたらくということを意識したのは、小学生の頃でした。

毎朝早く身支度を済ませて家を出る父親を見て、「そういえば、父ちゃんって毎日どこに行ってるの?」と母親に尋ねてみると、「仕事だよ」と一言。

父親は平日日中ほとんど家にいなかったけれど、母親は家で仕事をしていたので何かあれば頼れたし、帰宅後〜夕飯までの間にはチキチキボーン(商品名合ってるかな…)を揚げてくれる祖母もいたので、育った環境は恵まれていたと思います。両親が共働きだからといって不自由を感じたことはないし、毎年誕生日プレゼントを買ってもらえるくらいには家計も安定していたと思います。

でも、自分自身がはたらき始めるまで、はたらくということに対してあまり良いイメージを持てずにいました。その理由は、当時から父親のこんな姿を見ていたからです。

ツイートの最後に添えたような解釈ができるようになったのは、社会人としてはたらき始めてから。

子供の僕にとっての“父親”といえば、毎朝一緒に朝ごはんを食べてる父親、バラエティ番組を見ながら隣で一緒に笑ってる父親、休日にキャッチボールの相手をしてくれる父親です。

酔っ払って帰ってきて家の中で声を荒げる父親は同一人物とは思いたくなかったし、ただただ怖かった。

「どれが、本当の父ちゃんなの?」というのが、僕の本音でした。

中学、高校と進学していくにつれて、そんな疑心はやがて父親への反抗期に繋がりました。

いろいろと察してくれて、母親は何度かこう話してくれました。

「お父さんもね、お仕事が大変なの。職場で周りから色々言われるみたいで、部署を変えてもらったんだけど、また人間関係がうまくいかないみたいなの。少し浮かない顔して帰ってくる日もあると思うけど、許してあげてね」

今なら、分かります。

当たり前のように毎日ご飯が食べれて、毎月サッカーの試合に行けて、毎年誕生日プレゼントをもらえていた裏側で、父親と母親はどんな想いでいたのか。


転職を機に、ほんとうの自分に

そんな父親が今はどうしているかというと、子供二人が成人してから転職をしました。そして、ツイートに書いた通り、父親は別人のように変わりました。

25年間もの間やりたいことを我慢し、合わない職場と人間関係に耐えてきた環境から解き放たれ、新たにリスタートをきった父。やりたいことやれる、言いたいことを言えると、こんなにも人は変わるんだと驚きました。

一方で、その姿をみて、改めて反抗期を迎えた頃の僕には見えていなかった父の強さに気づけたと同時に、心がぎゅーっと締め付けられるような想いになります。

ほんとは、こんな風に、自然体で、子供だった当時の僕たちと接したかったんだろうな、と。

僕の中にも、「今のような父親と子供の頃を過ごしたかった」と思う自分がいます。

今となってはもう過ぎたことではありますが、この一連の記憶は僕の中にすごく強烈に残っていて、僕自身の価値観や生き方・働き方もその影響を受けていると感じます。

知らない土地に出てきて留学・部活・インターン・学生団体などに挑戦した学生時代。大卒で新卒就職し、退職後にリヤカー旅、みかん農家での住み込みアルバイト、ゲストハウスヘルパー、ベンチャーインターン、週4 正社員×フリーランスと今に至る社会人生活。

いつもその原動力は、「やりたいことをやっていたい」という気持ちでした。

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いろんな寄り道、回り道、失敗はあったし、好奇心を抑えた方がうまくやれたタイミングもあったけれど、(うまく言葉にできず、抽象的だけど…)それを抑え込んでしまうとなんだか自分が自分でいられなくなるような気がして、結局はやりたいことを選び続けてきました。

時々迷ったり不安になったりするのだけど、そんなときは母親の言葉がいつも背中を押してくれます。

「人は人、自分は自分」
「あなたは、やりたいことをやりなさい。長男だからって、田舎に帰らないといけないなんて考えなくていいからね」

そうこうしているうちに、いつしか僕にとってはたらくということは自己表現方法のひとつだと捉えるようになりました。

はたらくことを通して自分を表現できている間は、自分の周りの人にも心地よく接することができる場面が多かった気がします。


社会性、経済性の中に潜む主観(性)

長々と個人的な過去を振り返って書いてしまいました🙏

いま僕は何をしているかというと、恵比寿に拠点を置く株式会社オンリーストーリーで週4日正社員として勤務しつつ、数社に複業で関わっています。

主に、PRや採用広報、事業開発などの業務に携わっていて、お見せできるところでいうとこんな記事を企画・執筆したりしています。

経営者・社員・顧客への取材を行う機会が多いのだけど、この時に意識しているのがインタビュイー(取材対象者)の「主観(性)」。

仕事は社会性や経済性が強く求められるけれど、そこにはさらに主観(性)が加えられている、加えて欲しいと思っています。この主観(性)が加わることで仕事が表現活動になり、その人ならではの一面が垣間見える瞬間が出てくると思っているんです。

表現といっても、そんな大げさなことではありません。こういう場面で少しだけこういうことを意識したとか、こういう方にこういう配慮をしてあげたとか。

一見するとなにげないことなんだけど、「10人いたら10人ともそういう配慮ができるとは限らないと思います。◯◯さんのどういう視点、考えがそういう配慮に繋がるんでしょうか?」と問いかけてみると、ほとんどの場合はその人の主観(性)が見えてきます。

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その人が抱える社会性や経済性の中に主観(性)が見えた時や自分なりの表現をアウトプットした仕事について聴いたりしている時、僕は全力で「それは、あなたの素晴らしさだよ!!」って伝えるようにしています。そして、その素晴らしさを様々なステークホルダーに向けて伝わる文章として表現したいという使命感を持って書いています。

そうやって取り組んでいると、完成した記事を見た家族・同僚・先輩/後輩・顧客などから「記事を見たよ!すごいね!考え方や姿勢をみて、刺激になった!」とコメントが届いたり、記事の内容がメンバー同士の雑談のきっかけになったりすることがあります。

これって、取材対象者とその周りの人たちとの間に「線」が増えたり太くなったりしているんです。取材対象者やその人が所属する組織にとって「ジョハリの窓」でいうところの自分が見えていない窓・他人が見えていない窓が開く瞬間になることもあります。

その結果、はたらく人たちの人間関係の向上やはたらく意義の発見・再確認に繋がればいいなと願っているし、その上で目的意識を持って、戦略的にコンテンツを作っていけば組織や事業に大きなインパクトを与えられると僕は信じています。

そうした中で、僕自身も社会性と経済性と保ちながら自分なりの主観(性)を加え、表現を楽しんでいます♪


大切な人の前で笑顔でいられるはたらき方を

僕の両親も、周囲の人も、(意識的か、無意識的か…)はたらくことをひとつの自己表現方法だと捉えているように感じる人が多く、そういう人ほど人生や仕事を面白がっているように見えます。

昨年から1年間で200人以上をインタビューしてきた「U-29」という活動があるんですが、この活動の中で登場するユニークなU-29世代も、やはりはたらくことを通して何かその人が伝えたいメッセージや表現をしています。その姿はとても人間味があって素敵だし、なぜか毎回初対面でも心地よく会話が弾む関係性を作りやすいなと感じています。

そういう姿をみていると、より多くの方がはたらくことを表現活動と捉え、人それぞれの方法・ペースで自己表現をしやすい世界になればいいなと願いたくなります。

僕がそう願ってしまうのは、やっぱり僕にとっては父親の記憶がすごく大きくて、何かを我慢していたり苦しい状況に耐え続けていたりすると大切な人、身近な人に対して本意じゃない行動・言動が向けられてしまうんじゃないかと思っているんです。僕と僕の家族は大丈夫だったけれど、そういった行動・言動が重なって壊れてしまう人、家庭もあるでしょう。

そういった過程と裏側の出来事、感情は、思っているよりも子供の心に強く刻まれて、その人の価値観形成に大きく影響します。

そう考えると、できるだけ大人が社会性:経済性:主観(性)のバランスが取れたはたらき方を通して表現を楽しみ、大人たちがそれぞれに想う大切な人の前で笑顔でいられるために、僕ははたらきたいなと思っています。

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ただ一方で、以前の僕の父親と同じような状況にいる人もいればそもそも自分の主観(性)なんてじっくり考えたことがないという人もいると思います。

そういう方は、「はたらく=お金が発生する仕事」というイメージを捨てて考えてみるというのはどうでしょうか。

例えば、気がかりな近所のおばあちゃんのお手伝い、災害地域でのボランティア活動、知り合いの会社のお手伝い。

これはどれも自ら他者や課題に働きかけ、変化を起こし、その結果相手に感謝されて、対価としてむしろお金に代え難いもの(非金銭報酬)をもらってますよね。居場所や意義、成長機会、知識、繋がりなど。こういった機会も、「はたらく」ことと言ってもいいですよね。こういう取り組みであれば副業禁止の会社に勤めている方でも新しい一歩を踏み出せるし、休みの日に時間を作ることもできます。

むしろこうした制限を取っ払った状況で素直に興味が湧くもの、自分ごとに思えるものこそ、表現(はたらく)のタネだと思います!


最後に、「家にいることが増えて、自由な時間ができたよ」っていう人も多いかと思うので、今度このタネを見つけるワークショップやそのタネを育めるコミュニティづくりを企画中です。そこでは恥ずかしがらずに自分の興味・関心を打ち明けられる環境、他者視点を加えつつ自分の表現(はたらく)のタネを探せる機会を提供できればと思います。

ご興味ある方がいれば、ぜひご参加ください🙌


最後に

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

今回は、Panasonic×noteの投稿企画「#はたらくってなんだろう」に寄せて書きました。

大人たちがはたらくことを通して表現を楽しみ、より多くの人が大切な人の前で笑顔でいられる世界になればいいなと願っています。

そして、僕もそんな世界の中で、僕の両親のように強くて、優しい父親になりたい。


こんなことに関わっています。


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