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【報告】リヤカー行脚、中断します。

タイトルにある通り、ここまで歩いてきたリヤカーでの移動生活( 過去note. →『はじめまして。“いろりや” です!』)を一時中断しようと思います。


たくさんの方々に支えていただき、勇気をいただき、ここまでこれました。本当にありがとうございます!

この決断に至った経緯を書かせていただきます(^^)


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2017年 3月27日。
ぼくの24回目の誕生日でもあったあの日。

鹿児島を目指して出発しました。

当時は、急に「リヤカーに囲炉裏を乗せて歩きたい!( 過去note.→ 『そうだ。囲炉裏行脚をしよう。』)」なんて突拍子も無いことを言い始め、いろんな方を驚かせたりご迷惑・ご心配をおかけしたりしてしまったと思います。すみませんでした!

そんな中でも、たくさんの方が背中を押してくれました。


みなさんから頂いたカンパを手に、ヒッチハイクと青春18きっぷ、知り合いの車などで鹿児島へ。大崎町・志布志市では、シェアハウスキイトという素敵な家とそこに集まる素敵な人たちに出会いました。


ここでもまたいろんな方に助けていただき、自作のミニ囲炉裏とミニリヤカーが完成!


ここに至るまでの旅費や制作費に加え、鹿児島からの出発に必要な資金・物資の面ではいろんな方々に助けていただきました。( 過去note.→『囲炉裏リヤカーの旅をスタートします!ご支援よろしくお願いします!』

みなさま、本当にありがとうございました!


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2017年 7月 24日。
鹿児島から茨城へ向かう行脚の日々が始まりました。

この時、季節は真夏。連日気温は30度を超え、肌に刺さるような強い日差しが降り注ぎます。

リヤカーを引く手は汗ですべり、踏んばる足も鉄の棒のように硬く、重たくなっていく。それでも、日々一歩でも前に進むしかありませんでした。

歩き始めたばかりの頃は、肉体的に本当に毎日苦しかったです。


それでも、通りすがりに出会う方からスポーツドリンクやカンパをいただいたり、知り合いの紹介で知り合った方にご飯や宿の面倒を見ていただいたりして、精神的に支えられました。

『リヤカー改造!阿久根で出会ったプロ達によって、リヤカーが進化した!』

『子どもたちの可能性を心から信じて語るその人の目は、まるで子どものようだった。』


涼しい夏の日の夜や秋風を感じられるような日には、ミニ囲炉裏を広げ、たくさんの方々と火を囲むことが出来ました。そんなありがたい出逢いに何百回、何千回と救われました。

『Japanese style BBQ !! 今までにないくらい多国籍な囲炉裏会が開催されました〜♪』

『あなたなら、何を焼く?? 遊ぶように焼き、遊ぶように囲む福岡での宴が楽しすぎた。』


そして、何百回、何千回と自分に打ち勝ってきた中で学んだことも大きなものがありました。

『ただ待っているだけでは、幸運はやってこない。苦難の多いリヤカー生活で身につけた “運” との付き合い方。』

『一人泣きたくなるほどの苦しみがあったからこそ、得られた喜びがあった。』


ここまで、距離にして 約850km。鹿児島から目的地である茨城までの合計距離と比べると、ちょうど半分ほどまで歩いてきました。

季節は、もうすぐ冬。
広島県から岡山県に入るところ。

この辺りから、1つの心配事が頭の中に浮かぶようになります。

「やべっ。お金が、足りないかも・・・。」


考えた末に、岡山県のゲストハウスに勤める大学時代の友人に相談し、そこでヘルパースタッフとして滞在することに。そして、冬の間はそこを拠点に資金集めの期間にしようと決めました。

その後は愛媛に行き、みかん農家の住み込みアルバイトに従事。農家さんやアルバイトさん同士の出会いに恵まれ、美味しいみかんと懐かしくも美しい田舎の風景に癒され、ちゃっかり資金も稼いできました♪


一方で、この愛媛で働いていた頃からちょくちょく母親から連絡がくるようになりました。


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母親から連絡の内容は、祖父の体調不良について。

「じいちゃんが、あまり体調よくないのよ。もしかしたら胃ガンかもしれなくて、そうだとしたら手術もできるかどうか・・・。」

僕が幼い頃から今まで、祖父はとても我慢強く、働き者なイメージ。母親から色々と話を聞いても、病気を抱えている姿が想像できませんでした。

でも、この時、昨年亡くなった祖母のことをふと思い出しました。あの時も、初めて祖母が倒れたと聞いた時は「あんな元気でおじゃべりだったおばあちゃんが・・・」と半ば信じられずにいました。ところが、お見舞いに行くと、そこにいたのはまともに話もできず、寝たきりな祖母の姿でした。

僕はなんと声をかけたらいいかもわからず、ただただベッドの傍に立ち尽くすことしかできませんでした。


愛媛から岡山のゲストハウスに戻って少ししてから、祖父の顔を見に茨城へ帰ることにしました。

実際に会ってみると、どこか話し方がふわふわとしていて、体や顔は少し痩せたように見えた。この時「ああ、本当に体調が悪いんだなあ」と、ようやく現実を受け入れることができました。

その後、祖父が高齢であること、ガンが進行していることから近くの病院では手術ができないと診断されたそうです。それでも、母親は病気を克服したいという祖父の意思を尊重し、手術ができる先生や病院を探しています。

それからは、岡山に戻ってきても実家や祖父のことを考える時間が増えました。


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それと同じくらいの時期のことでした。

知り合いの会社の求人記事を見かけました。募集しているのは、ライター・編集者

僕は普段こうしてマイペースにブログを書いているだけですが、書くことや言葉について興味があって、いつか仕事として携わってみたいと思っていました。もう何年も前のことにはなりますが、高校卒業前には日本ジャーナリスト専門学校の資料を取り寄せ、真剣に悩んでいた時期もありました。

そんな僕の心を知ってか知らずか、最近になってライター・編集者の募集記事がいくつか目に入ってくるようになりました。Twitter やネットの記事、本を通して、そういった職業の方の言葉にも触れました。

その度に「ああ。この旅が終わったら、こういう仕事をやってみたいなあ。」という気持ちと、本当は今すぐにでもその世界に飛び込んでみたい!という気持ちとの間で、一人もんもんと考えるようになります。


ある時、最初に見た募集記事を出していた知り合いに思い切って連絡をとってみました。「未経験からでも働けませんか?でも、今は旅の途中なので、1,2か月間仕事の仕方を身につけた後はリモートで携われるようにしたい。」と。

そうやって何度か連絡を取っている間に、書くということに一度どっぷり浸かってみたいという気持ちが膨らんできました。


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個人的な話が続いてしまったので、話を少し戻します。


これまでの旅路を振り返ってみると、見切り発車もいいところで・・・。いつものことながら、自分自身の無計画さには呆れてしまいます(笑)

例えば、リヤカーを引いて歩くことは相当な体力を消耗しました。地図や天気を見ながら毎日ルートと泊まる場所を決めることも、繰り返していると頭が疲れます。そうすると、目的地に着いた頃には毎日クタクタのヘトヘト・・・。

でも、人を集め、囲炉裏を広げるとなれば、疲れているとか足が痛いなんてことは関係ない。いつもそう言い聞かせて、なんとか火起こしと準備を済ませ、出会う方と会話をしているうちにもう一度元気を取り戻すような感じでした(笑)


そんな拙い旅でも、歩き続け、発信し続けていると、もともと知り合いじゃなかった人からも路上やSNSで声をかけられるようになりました。でも、体力やその後の予定などを考えると、歩いていける範囲には限界があった。せっかく声をかけてもらったのに行けなかった場所がいくつもありました。


そのほかにも、

・小さなミニ囲炉裏では雰囲気が出ない。
・夏に囲炉裏なんて使わない。
・資金繰り、宣伝の計画性がない。  など...

いろいろと試行錯誤しながらやってきましたが、そもそも出発する前に想像すればわかるだろ!ってことばっかですね。ほんと・・・(笑)


正直、心の隅っこからは「ここから先はできるだけ早くゴールしたい。とにかく、ゴールさえすれば・・・。」なんて声も聞こえてくるようになりました。その一方で、日に日に「このまま続けていいのかなあ。」という気持ちも膨らみ始める。

もやもやと一人で考え込んでいても何もわからなそうだったので、自分が書いてきた記事を読み返してみることにしました。初心に返ったつもりで読んでいると、これまで出会ってきた素敵なご縁も乗り越えてきたいくつもの苦難も、同じくらい愛おしく、大切に思えました。そして、あることにハッと気づきました。


途中から目的がすり替わってしまっている!!


はじめは、出会う人たちと一緒に火を囲むことを目的に歩いていたはずでした。それが、いつからかリヤカーを引いて歩ききることが目的になってしまっていたのです。

これに気づいた時からなんとか軌道修正しようと思い、「中断」も選択肢の1つとして考えるようになります。もしかしたらこのまま無理やりにやり通すよりも、一呼吸おいて時間をかけて取り組むという方法もあるのではないか、と。


そこから、先ほど書いた祖父のことやライター・編集者のお仕事のことも踏まえて考えた結果、決断に至りました。



        最後に。

当初の予定では、2ヶ月後の3月下旬に岡山を出発して5月頃に茨城到着&ゴールという予定でした。

しかしながら、いくつかのキッカケを経て考えた結果、一時中断させていただくことにしました。

2月からは関東に戻ります。その後、ライターもしくは編集者としてのお仕事に就きたいと思っています。

仕事以外の時間では、リヤカー行脚の計画をより良いものにするためにできることを考えていこうと思っています。そして、囲炉裏が恋しくなるような季節や準備が整った頃に、さらに進化した状態で再開できればと!


短い期間でしたが、日々いただいた多くのご支援のおかげでここまでこれました。そして、道中では学ぶことが本当にたくさんあり、体力、忍耐力、決断力など、多くの部分が鍛えられました。

本当にありがとうございました!


皆さんからいただいた資金・物資などは、引き続き再開に向けて大切に使わせていただきます。

今後ともどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m


読んでくださり、ありがとうございました。


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