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性別というアイデンティティー

性別とは1つのアイデンティティだ

今回は”トランスジェンダー”についての主張を私の”性別”に対する主義と価値観で記事に残します

・男尊女卑の問題
・社会的な女性の扱いに関する問題
・男性の扱いに関する問題

上記のことについて、主張や意見をする気はありません
あくまで”性別”と向き合う話です

※過激な言葉が記事内に出てきます

肉体と自我のアイデンティティ

多様性やジェンダーレス、平等な社会、セクシャルマイノリティetc.
様々なことが言葉にされて可視化され、意見を述べたり現状の改善を求めたりすることが出来るようになってきました

少しずつ少しずつ世間は変わりつつありますが、
性別というものの存在は変わりません

性別というものを私は色と質のグラデーションとして考えていて、どこが濃くてどこが薄いのか・どこが重くてどこが軽いのかを重視しています

そして、自分のアイデンティティとして性別がどれほど大きなものなのかを常に意識して昔も今も生きています

私の場合、昔は性別は自分にとって大きなものであり、肉体と心が一致しない気持ちの悪いものでした

今は幸いにも歳を重ねるごとに上手く噛み合うようになって折り合いがつき、自分の性別と正面から向き合うことが出来るようになりました

上記はあくまで私の話です

グラデーションの濃い・軽い位置にあるものと重い・軽い位置にある物を合わせることが出来ない、合わせる努力を時間をかけても合わせることが出来ない
合わせることが出来ても、常に苦痛と共に生きている

つまり
肉体は男だけれど自我は女
肉体は女だけれど自我は男

肉体と自我の性別が一致しないという状態は、悩む人にとって苦痛と肌が同化しているようなものではないでしょうか

社会では、性別で求められるものも認識も見解も対応も違います
肉体と自我の性別が違えばこの社会で息をすることすら難しい、出来ないと感じてしまうのではないかと思います

解決方法は、私は今の自分を変えることだと思います
少なくとも今の社会で上手く呼吸が出来ないのなら、今の自分が変わるのが私の中の最善です
自分が変われば社会が変わる可能性も上がりますから

どうすれば変わることが出来るのか?
「心は○○だから○○として扱え」と周囲に命じるのは違うと思いますし、私は好きではありません

だからといって、いきなり肉体を変える・手術をするということではなく
まず専門家に相談をしてみたり、自分にしっくりくる服を着てお洒落を楽しんでみたり、自分が思う自分らしい仕草を少しずつ始めてみる……など、方法はあると思います
まず隠れて1人でやってみるのも良いかと

何が女性、何が男、という型はありません
どんな女でありたいか、どんな男でありたいかを考えて模索することは必要なことです

信頼出来る相手がいたとしても、まずは専門家に相談してみることを私はオススメします
専門家には知識と対応力を持つプロであり、更に良い道へ進むことの出来る場所に繋がっている可能性も高いので

肉体を変えることについては、人生や命の全てをかけるようの話なので慎重に考えすぎるくらいが丁度良いです

性別に対する言葉で人は殺せる

性別というものは苦しく、痛く、辛く、不平等で理解不能なものです
もちろん喜ばしく、楽しく、幸せなものでもあります

性別というアイデンティティは様々なものです
小さなものも大きなものも、重いものも軽いものも、濃いものも薄いものも違います

性別は誰かにとって最も尊重してほしいものでもあります、蔑ろにしてはいけません

男だから、女だからと振る舞いや役割を決めつけるのは良くないことだと言うように
男として、女としての振る舞いや行動は当事者が自由に決めるべきもの
誰かが勝手に侵害して良い領域では無いのです

性別というものはアイデンティティであり、とてもデリケートなもの
土足で踏み躙ることで簡単に命を奪うこともできます

肉体は男だけれど自我は女だから手術をして肉体を変えた、という方の性別をどう思うかだけなら自由です

「手術をしただけの男」
「どうやっても女にはなれない」

例えそれが譲れないことだとしても、主張する権利があったとしても、言葉にすることで人は殺せます

少なくとも私なら、自分が自分になれたこと・なれることや苦痛を伴いながらも生きてきたことを否定されることほど絶望的なことはありません

人を死なせる、ではなく、人を殺すには充分です

性別で他人を侵害する言葉もまた同様に人を殺せます
女性だから、男性だから、女のくせに、男のくせに、社会は〜普通は〜不適合だ〜人権が〜

人を蔑ろにすれば、人は殺せます
私は生きていますが、経験した分だけ傷跡が心身共に残っています

何かを思うことは自由です、私も嫌悪を覚えることは沢山ありますから
言葉や行動で表に出せば凶器に変えることが出来ます

○○かもしれない、○○だとしたら?
立ち止まって可能性を考えてみる時間を少しでも持つ必要がありますね

他人の性別も自分の性別も尊重できる
自分が自分の在りたい姿と心で生きられる社会
適合・不適合ではなくアイデンティティを他人も自分も安心して確立できる社会

そんな社会で生きられたら、もっと呼吸が楽になると思います

追記

今回、肉体の性と自認の性について私なりの考えと主張を記事にさせていただきましたが、更に追記として書かせていただきたいことがあります

私は、肉体の性と自認の性のどちらを重要視して判断することについては個人の自由であり、どちらの判断であろうと大切なことだと考えています

肉体の性を重視して肉体の性でグループ分けすることや区別することは必要なことです
自認の性で判断することについて、批判・意見することについて差別や悪いことだと考えていません
使う言葉によっては批判ではなく罵倒になるという考え方をしています

言葉は人を殺せると記述しましたが、私自身も言葉を正しく使えているのか・傷つけていないとは思いませんし、まだまだ勉強不足だと常に感じています

もっと早くに気づき、書くべき事でしたが後から追記という形になってしまいました
申し訳ありません

ここまで読んでくださり、ありがとうございました


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