小説【海で全てを終わらせる】



5月4日午後6時10分

彼女が死んだ。

春らしい暖かい気温の中で彼女の体は冷たくなった。

山に太陽が寄り添ってやがて隠れる。

いつも僕の隣にいた彼女がどこかに消えた。

彼女は天国に行ったのだろうか、地獄に行ったのだろうか。

それも分からずに僕はキッチンで包丁を手に彼女の元へ行こうとした。

それを必死で止める母親。

母親の方を見ると無意識に父親の仏壇が目に入った。

何故こうもしてまで自分の生死を人に左右されなければならないのだろう。

もうすぐ陽の光が完全に消えて辺りが真っ暗になる。

それに合わせて自分も消えたらどんなに楽だろう。

電気も付けずに部屋の中で僕は彼女のことを考えた。

そしてまた彼女の元に行きたくなった。

彼女には友達がいなかった。

それでも僕と会う時は幸せそうにしていた。

教室でいつも一人でいる彼女に僕は惹かれた。

後々彼女が一人親家庭ということを知り親近感が強くなり自分の気持ちに気付いた。

彼女の教室での様子を見ているとまるで昔の自分を見ているような気分になる。

彼女は学校では必要ない時意外言葉を発しないで色のついた空気のようにそこにいた。

静かだけど確かにそこにいた。

色のついた空気が無くなった今、僕はどうやって生きていこうか。

息を吸って吐いて、また息を吸って吐く。

そんな単純なことが出来そうになかった。

呼吸が出来なかったら人は死ぬ。

そんな当たり前のことを考えていたら自分の首を絞めそうになった。

脳裏に母親のヒステリックな声が響く。

机の引き出しからカッターを出して刃先を出す。

自分の手首を当ててみたものの、それで何が解決するのかと思い雑にカッターをしまった。

生前自傷行為を日常のように行っていた彼女の気持ちは分からなかった。

そして結局何も出来ないまま眠りに落ちた。

彼女の夢は見なかった。


GW最終日に行われた彼女の通夜では予想以上に多くの制服を着た集団とスーツを着た大人がやって来た。

彼らは全員彼女のクラスメイト、教師だった。

昨日の学校からの一斉メールで彼女の死を知った連中はさほど親しくもなかったくせにひどく悲しんで泣いている人もいた。

ただ一人を除いて。

「彼女、自殺だってよ」

その一人は集団から少し離れた僕の隣にやって来てそう言った。

何を根拠に、と思ったが情報通の親友が言うんだから間違いないだろう。

「近くの海岸でODしたんだって。瓶の半分以上飲んだらそりゃ死ぬわ」

軽く言う親友の言葉に何も言えなくなった。

OD、オーバードーズ。

薬の大量摂取のことだ。

宙を睨みつけながら会話の続きの言葉を考えるが何も思いつかない。

沈黙が続きそうだったから足早に立ち去ることにした。

「悪いけど、行くわ」

「まだ帰んなよ。彼女のお父さんがお前のこと探してっから」

意外な人が出てきて足が止まる。

「父親が?」

「お前宛ての手紙があったって」

「…分かった」

親友に言われた通りに彼女の父親らしき人を探す。

全員お焼香が終わると親族の列にいた男が立ち上がってゆっくり棺に歩み寄った。

あれが父親だ、と直感的に思った。

男が棺から離れるのを待って声をかける。

「すみません」 

「あぁ、娘のクラスメイトの方ですか。本日は娘のためにありがとうございました」

丁寧に頭を下げられて少し恐縮する。

男はすらりと背が高く眼鏡をかけた真面目そうな人だった。

きゅっと結ばれた口元が彼女によく似ている。

「そう言えばこの方を探しているのですが、お知り合いですか?」

男がスーツの内側から出した手紙には僕の名前が書いてあった。

少し右上がりの丸い文字。

正真正銘、彼女が書いたものだ。

「それ、僕です」 

「貴方でしたか…!よかった…」

男は目をうるませて僕の手にその手紙を握らせた。

「どうか、読んでやってください…」

僕が頷くと男は深深と頭を下げた。

「じゃあ、僕はこれで失礼します」

「宜しければ娘の顔、見ていかれませんか?」

そこで僕はお焼香も済ませてないことに気が付いた。

「お焼香だけさせていただきます」

そう言ってお焼香をしてその場を後にした。

彼女の死に顔は見たくない。

最後に見た彼女の顔はあの時の笑っていた彼女の顔であってほしいんだ。

家に帰ると母はどこかに出掛けたらしく誰もいなかった。

冷蔵庫から水を取りだして自分の部屋に篭もる。

制服の内ポケットから手紙を出してもなかなか封を開けられなかった。

手紙を開けたら彼女が僕に書いた文章を目にすることになる。

そうしたら彼女がいないことを更に深く実感することになる。

僕はまだこれが夢だと、これが嘘だと思いたかった。

いくら水を飲んでも彼女のいない世界は流されてなくなるわけでもなくただ着実に時は進んでいく。

明日は彼女の葬式があるはず。

でもそこに行く気はなかった。

行ける気はしなかった。



翌日の葬式の日、僕はいつも通り学校に向かっていた。

声がかからなかったからだ。

当たり前だ。向こうは僕と彼女の関係について何も知らない。

たった1度僕の名前を見ただけだ。覚えてもないだろう。

教室に入ると彼女の席に一輪の紫の花が花瓶に刺さっていた。

それをものともせずにクラスの連中は笑っている。

人間が信じられなくなった。

何故あんなに悲しんだ表情を浮かべていたのに今はこうやって笑っているのだろう。

「あの花知ってる?」

親友はいつも声をかけるのが突然だ。

知らない、と言って自分の椅子に座る。

ここから彼女の席が見えるのが今は本当に苦しい。

「リンドウ。花言葉が誠実な人柄とか」

誠実

彼女にぴったりじゃないか。

「あとは悲しんでるあなたを愛する」

お前に言ってるみたいだよな、と言う親友の声はどこか遠くで聞こえた。

そこでチャイムが何も知らないようにのびのびと時間を知らせてそれに合わせて教師が教室に入ってくる。

そう言えば彼女に借りたペンは返しただろうかと思って机の中に手を入れると何かが当たる感触がした。

ペンではないもっと柔らかくて薄い感触。

ゴミかと思いながら取り出すとそれは手帳の切れ端だった。

【私は死んだんだよ】

たった一言だけ書いてあるそれは明らかに彼女が書いたものだった。

彼女が愛用していた紫色の手帳。

彼女は現代では珍しく携帯のスケジュールアプリではなく手帳に全ての予定を書き込んでいた。

その印に裏側には前に計画した僕と遊びに行く一ヶ月後の日付のマスがある。

大人しく座っていることは出来ずに彼女の席に飾ってある花を奪い取るようにゴミ箱に捨てて誰もいないところへ駆け出した。

教師の僕を引き止める声も聞こえなかった。

引き止めないでくれ。

僕は生きてはいけない、彼女の元に行くべきなんだ。

鍵がかかった屋上の扉を無理やりこじ開けると一瞬で外の世界と繋がった。

狭い教室にいるよりも開放感があってよっぽど楽だった。

走ってきて乱れた息を整える暇もなく彼女からもらった手紙の封を開ける。

こういう勢いのある時じゃないと僕は絶対にこれを開けないと思った。

【ねぇ私が死んだ世の中はうまく回ってる?
きっと、皆私が居なくても生きていける。
私は君がずっとずっと好きだよ。
自殺した私のことをもしもまだ好きだったら会いに来て。
…冗談だよ 笑
会いに来なくていいよ。
私以上の素敵な人を見つけて生きてね】

涙が次々と目からこぼれ落ちた。

彼女は馬鹿だと心底思った。

彼女以上に素敵な人なんかいる訳がない。

彼女は僕にとって最初で最後の最愛の人だ。

彼女がいなくなった今僕は何故生きているのだろう。

彼女が死んだのに僕はのうのうと生きているのだろう。

そのことが許せなくて屋上の柵に足をかける。

「おい」

こういう時に声をかけるのはやっぱり一人しかいない。

「飛び降りって20mの高さで死亡率が50%なんだってよ。この高さだと到底死ぬことなんて出来ねぇよ」

下を見下ろすと3階の高さだから少し足りない。

あと2階くらい、もう少し高いところがあれば…

僕は柵から降りて彼女の手紙を握りしめて声をかけた人の横を通り過ぎた。

「遺書、書かないのか?」

こいつはいちいちうるさい。

「…お前は何でそんなに死に執着してんだ」

震える声でそう聞くと彼は扉にもたれながら空を見上げた。

「執着はしてねぇよ。
ただ人の命が燃え尽きるのが神秘的ですげえ綺麗だと思うんだ。
望んでもない命を勝手に授けられてさ、欲しくもない名前を与えられて純粋な時代を生きてきて世の中の穢れを知ったら死にたいと思う。
それってすげえ我儘だけど人間らしいっつーか、生きてる意味みたいな気ぃするんだ。
どう生きたら自分が一番面白くて神秘的な死に方が出来るんだろうってずっと考えてるんだよ。
それくらいしか俺にはすることがないからな」

こいつは狂ってる。

狂ってるけど羨ましい。

羨ましくて生き生きしてて自分とは正反対だ。

価値観の合わない人間とは関わらない以外の選択肢はない。

そう自分に教わった。

何故自分は今まで彼とつるんできたのか、不思議でたまらなかった。

僕は彼の言葉に何も返さないで屋上を飛び出した。

屋上を飛び出して廊下を走り回って学校を飛び出して何も考えずに道を蹴る。

そうしているうちに彼女が死んだであろう海岸に行き着いた。

砂が舞い上がって目を突き刺す。

足元にはいつ流れ着いたのか分からない流木や中身が少し入ってる錠剤の瓶が無座間に転がっている。

砂に足を取られながら僕は海に入った。

何も後悔することは無い。

遺書だって書く人はいないし、バンジージャンプや富士登山なんか興味無い。

自分の私物は全て燃やすか名前も知らない国の貧しい人間にあげればいい。

死んで体が無くなれば世界一周だってなんだって出来る。

死は無敵じゃないか。

段々地面に足がつかなくなってくる。

その恐怖が無いと言ったら嘘になるが、このまま自分が生き続ける恐怖と比べたらなんてこと無かった。

口に海水が入る。

咳き込みながらどんどん進んでいく。

息が出来なくなる。

海藻が足に絡まってうざったらしい。

全身が海水に包まれる。

足元から体温は奪われていく。

僕は海と一緒になるんだ。

海と一緒になったらいつか彼女にも会えるだろう。

彼女と会えたら何を話そうか。

そのことを考えていると意識は遠のいた。

これが神秘的で綺麗な死の在り方なのだろうか。

いや、こんな死に方は世界で一番みっともなくて真っ直ぐだ。

でも、こんな死に方を出来るのは僕しかいない。

僕は僕にしか出来ないことをずっと考えていた。

その答えが命を手放す時に分かるなんて笑えてくる。

彼女の顔を思い浮かべながら僕は一心不乱に地平線に向かって進んだ。

記憶が途切れるまで彼女の顔をずっとずっと考えていた。




                                                             fin.

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