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物語をつくる

子供が産まれてから、絵本を手にする事が増えた。
友達が出産祝いでくれたものや区の図書館で貰ったもの、自分で購入したものなどが数冊家にあるが、スペース的にも金銭的にも沢山は買えないので時々図書館で借りてくる。

絵本と言えば、小学校中学年くらいの時、手作り絵本クラブというクラブに入っていた。クラブというのは中学や高校でいうところの部活みたいなものだが、中学年と高学年では違うクラブに入っていた。
高学年の時はイラストマンガクラブだった。漫画を描いてる人は多分いなかったけど。
手作り絵本クラブはまあそのままで、まっさらな絵本をひとり1冊渡されて、そこに自分で考えたストーリーと挿絵を書き好きな画材で着色して絵本を作るというクラブだ。

その時作った絵本の内容を割とよく覚えている。
確かタイトルは「あ〜びっくりした」みたいな感じ。主人公は天使の男の子。真ん丸の顔で頭に短い毛が数本生えている。名前があった気がするが、それは忘れた。天使くん(仮)がある日歩いていると(飛ばんのかい)、道でばったり友達と会う。友達は確かうさぎなどの動物だったような。
すると友達が唐突に口を揃えて「天使くん(仮)のことなんて嫌い!」と言ってくる。天使くん(仮)はショックを受ける。しかしその後に友達は笑って「嘘だよ〜天使くん(仮)を驚かせようと思って」と言ってくる。
天使くん(仮)は「あ〜びっくりした!」と胸を撫で下ろす。おしまい。

…ストーリーには起承転結を作りましょうと言った先生の言葉こそ忠実に守ってはいるが、何てスカスカな物語だ。まあ、小学生の考えるものなんてそんなもんだろう。
しかし今思うと、中々に心の闇を感じてしまうストーリーでもある。友達から突然嫌いという言葉を突き付けられるという割とショッキングな展開。友達は嘘だよ、とドッキリのネタバラシを笑ってしているが、果たして本当にそれは嘘なのか…?そしてそのドッキリが本当にただの悪ふざけだとしても、ちょっとひどくないか?驚かせるだけなら他にもやりようがあるだろ。物理的じゃなく心理的にびっくりさせるのって中々悪質では…。
常に自意識過剰に人の目を気にしている私の「本当は嫌われているのではないか」という心理が、小学生にして潜在的にあったのだろうか…。いや、それは考え過ぎか。

1からストーリーを考えて絵も描いて、というのは小学生には中々難しかったのかもしれない。
私が文章や物語を書く事に初めて喜びを感じたのは多分、国語の「ごんぎつね」の授業だ。「ごんぎつね」のその後の話を書いてみましょうという課題があって、それを先生にとても褒められた記憶がある。こっちはこっぱずかしいので書かないけど(いやさっきのも大分恥ずかしいよ?)、これも概ね内容を覚えていて、最後の一文は今でもとても気に入っている。自画自賛が過ぎるが小学生にしては美しい表現が出来たのではないかと思っている。

記憶ボロボロこぼしながら生きてるけど、褒められた事って中々忘れないものだなぁ。えへへ。

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