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麻生亨志『増補補訂版『ミス・サイゴン』の世界 戦禍のベトナムをくぐり抜けて』小鳥遊書房

1989年ロンドン、ウェストエンドで封切られたミュージカル『ミス・サイゴン』は、大ヒットとなり、2年遅れのニューヨーク公演も大好評。今は亡き本田美奈子をメインキャストに、1992年、日本でも公演された。

『ミス・サイゴン』の原点となったのは、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニによるオペラ『蝶々夫人』である。また、それは、1900年、ニューヨークで舞台上演されたデヴィッド・ベラスコの劇『蝶々夫人』をもとにする。

一方、ベラスコは、法曹家ジョン・ルーサー・ロングが文芸誌『センチュリー・マガジン』に掲載した中編小説『蝶々夫人』を読み、これを原作に舞台を作った。19世紀末のジャポニズムと呼ばれる日本ブームに乗じて書かれた人気小説だった。

ただし、『蝶々夫人』には種本があると言われている。フランス人海軍士官ルイ・マリー=ジュリアン・ヴィオーが、ピエール・ロスティのペンネームで著した小説『お菊さん』である。フランス人作詞家アラン・ブーブリルは、偶然ロンドンの街角でこの本を見つける。まさに運命の出会いだった。

『ミス・サイゴン』の舞台は、ベトナム戦争末期の南ベトナム共和国の首都サイゴンである。ナイトクラブで出会ったベトナム人少女キムと、アメリカ兵クリスの物語である。

フランス人作曲家クロード=ミッシェル・シェーンベルクは、フランスの雑誌で、1975年、陥落寸前のサイゴンの空港で、沈黙の別れを告げる母と泣き叫ぶ娘の姿を写した1枚の写真を見たという。11歳の娘はひとり退役軍人の父が待つアメリカへ出国した。

シェーンベルクがこの写真を見たのは1985年のことで、サイゴン陥落からすでに10年の歳月を経ていた。この写真を見た瞬間、「プッチーニがステージにした作品」すなわちオペラ『蝶々夫人』のことを連想したという。

フランスの旧植民地であったベトナムの独立戦争から、第二次世界大戦後すぐに起きたのが第一次インドシナ戦争、それをアメリカが引き継ぐようにはじまったのがベトナム戦争だ。ベトナム戦争後、ベトナムの難民は、アメリカだけでなくフランスをはじめとするヨーロッパ各国にも押し寄せていた。

フランス人作詞家ブーブリルは、自分たちの知らない歴史にあえて挑戦したかった。しかし、歴史的背景を考えれば、いささか微妙である。ブーブリルもこの点には充分に意識して制作にあたった。初演の劇場パンフレットには、「ベトナムはかつてフランスの植民地であり、アメリカより先に、フランスが誤りを犯していた」と記している。

『ミス・サイゴン』の舞台となった「ドリームランド」のオーナー、エンジニアはフランス人男性とベトナム人女性の間に生まれた混血児である。フランスが始めた戦争の傷痕は、舞台でもしっかり伝えられることになる。

ベトナム戦争のミュージカルという構想を抱いたシェーンベルクとブーブリルは、『キャッツ』や『レ・ミゼラブル』を手がけた英国人プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュにこの話を持ちかけた。

マッキントッシュは、テレビで戦争を見ていた世代を相手になるので、危険と感じながら、アメリカ人脚本家リチャード・モルトビーJr.を紹介し、『ミス・サイゴン』の制作を進めることにした。

『ミス・サイゴン」で描かれるベトナム発のアメリカン・ドリームには、賛否両論いろいろな意見がある。舞台では、「ドリームランド」のオーナーであるエンジニア、主人公のキム、「ドリームランド」で「ミス・サイゴン」に選ばれたジジら、一様にベトナムからの亡命を夢見る姿が描かれる。

シェーンベルクは、娘をアメリカに送り出す母親の苦渋の表情の写真から、「究極の自己犠牲」を見出したといい、キムの名曲「命をあげよう」を書き上げたという。一方、ブーブリルが考えたのは、アメリカ的な派手なミスコンテストを舞台にのせることだった。早速シェーンベルクに電話をかけた。そこでシェンベルクの口から出た言葉が「ミス・サイゴン」だった。

『ミス・サイゴン』は、戦争の悲劇を写す1枚の写真からスタートすると、『蝶々夫人』を経由して『お菊さん』にたどりつき、最後はアメリカ的なミスコンテストの世界に発展していった作品である。

戦争とミス・コンテストという本来あり得ない組合わせ、その非現実的な世界観が、『ミス・サイゴン』にこれまでにない魅力を与えた。それに相応しい音楽は、ハードロックや、サイケデリック・ロックでもなく、華やかなショービジネスの世界を体現するオープニング曲「火がついたサイゴン」となった。

舞台の中心となるクリスとキムの関係は、ベトナム文化を背景に東洋的な意味と雰囲気を求めた。舞台序盤、初めて結ばれたふたりが奏でる美しいデュエット曲「サン・アンド・ムーン」は、儒教思想の陽と陰で表せる世界観を、クリスとキムの男女関係に当てはめた。

一方、クリスとキムを結びつけ、アメリカへの入国ビザを手に入れようと目論むエンジニアの屈折した姿から、ギラギラした自己顕示欲と下卑た欲望を表わす名曲「アメリカン・ドリーム」が生まれた。

『蝶々夫人』は、アメリカ軍人ピンカートン中尉が蝶々夫人を紹介する仲介者ゴローと結託していた。しかし、『ミス・サイゴン』では、気弱ながらも誠実であろうとするクリスと欲深いエンジニアは、つねに対立関係にある。

キムは蝶々夫人とは異なり、男たちの欲望に搾取される操り人形ではない。ひとり息子のタムをクリスとその妻エレンに託し自害を遂げる結末は、蝶々夫人の最期と似ているが、意味するところはまったく違う。タムを守るために親が決めた許嫁だったトゥイを殺し、エレンの前では優柔不断なクリスの気持ちを変えさせようとするキムには、強い意志を感じる。

舞台最大の仕掛けであるヘリコプターこそ、『ミス・サイゴン』を語る重要なイメージである。サイゴン陥落の悪夢のなかで、アメリカ大使館から人々を救う役目を担ったのが、ヘリコプターだった。クリスとキムの物語には、「サイゴン陥落」のエピソードがなくてはならない。サイゴン陥落前後に脱越したのは旧南ベトナムのエリート層である。小金持ち、労働者階級は、カンボジア・ベトナム戦争の頃、ボートピープルとなって国をあとにした。

比較的学歴の高い白人兵士が多かった第二次世界大戦と異なり、ベトナム戦争は、労働者階級出身の白人や黒人が徴兵された戦争だった。徴兵制では、大学に通っていれば兵役は免除された。また人種的な偏りも存在し、軍全体では白人兵が多く占められていたが、徴兵率では黒人の方が高かった。

第一次世界大戦は「民主主義を守るための戦い」であった。第二次世界大戦はファシズムを撲滅するための戦いであった。その後の朝鮮戦争もベトナム戦争も、自由主義を共産主義から守る戦争と位置づけられた。その結果、北ベトナムとの戦いに事実上敗れたことで被った精神的な傷は、物質的な損失より大きかった。クリスはキムを救うことはできなかった。

一般的にはベトナム症候群と呼ばれ、個別にはPTSDと診断されることが多い帰還兵の心的ストレス障害は、その原因がアメリカ的大義の喪失であった。アメリカ社会では、ベトナム戦争での軍事的な失敗が現場の兵士の責任として問われ続けた。クリスのように良心の呵責に苛まれる退役軍人が多かったが、彼らを戦争被害者とみなす雰囲気は希薄だった。

『ミス・サイゴン』では、クリスを愛する妻エレンの姿を通じて、アメリカがベトナム退役軍人を受け入れ、ベトナムのトラウマを乗り越えようとする姿勢が示される。

統一ベトナムでエンジニアは囚われ、3年間の再教育キャンプの生活となる。エンジニアを処刑しようとするベトナム兵士を制止するのは、キムのかつての許嫁、人民委員に出世したトゥイである。命と引き換えに48時間以内にキムを探し出すことなる。

キムは、目の前にトゥイが登場しても、クリスへの愛は少しも揺るぎないことを示すためクリスとの子のタムを抱き寄せる。これに逆上したトゥイがタムを刺そうとした瞬間、キムは持っていたクリスの銃を発砲する。

ひとりになったキムのもとに、銃殺されたトゥイの亡霊が現れる。舞台では悪役のトゥイではあるが、アメリカ軍の銃で殺されたもうひとりの戦争犠牲者でもある。

キムが最後に自害するのは、『蝶々夫人』の筋立てに倣っている。これを「究極の自己犠牲」と考えた。しかし、ベトナムの伝統文化では、カルマの働きを大切にする習慣がある。カルマは仏教に見られる因果応報のこと。悪い行いには悪い結果が伴う。

アメリカが建国された18世紀後半、選挙で大統領を選ぶ自由民主主義は、希有な制度で、アメリカの例外主義であった。しかし、アメリカが掲げる自由と平等の基本理念は、世界のなかでも唯一絶対のもので、これを守るだけでなく、世界の国々に広めていく使命がアメリカ国民にあるものとする。アメリカとは選ばれし民によって作られた国という宗教的ニュアンスが含まれる。

「明白なる運命」を旗印に、アメリカ国民が正しく世界を統治すべしとする理念は、覇権主義の体の良い口実といえる。『ミス・サイゴン』の制作にあたって、アメリカ人脚本家モルドビーが意識したのは、世の中を良くしていこうとするアメリカの善意がいつもうまくいくとはかぎらないことである。

なお、白人俳優がアジア人キャラクターを演じるイエローフェイスの騒動など、配役をめぐる問題も取り上げる。ロンドンの初演ではキムをフィリピン出身の新星レア・サロンガが演じることで、フィリピン人俳優の活躍の場が広がるという効果をもたらしたという。

以上のほか、本書では『ミス・サイゴン』に関する多くのこと(当時の政治的背景や、社会情勢なども含む)が著されている。本当に良い演劇は、物語の背景にまで事前に学んでおくことで、さらに多くの感動を得ることができる。本書を読んでから、舞台鑑賞すると良いと思われる。




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