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月夜千冊  第五夜         『天の歌  小説 都はるみ』 中上健次


 最近でこそさほどその名をさほど耳にしないものの、かつて彼女はまぎれもない天才として名を馳せて、昭和の演歌文化を支える大立者として君臨した。芸名を都はるみという。 

 都はるみの半生が、ひとりの作家によって小説として書かれている。彼女の幼少時代を、デビューのきっかけとなったコンテストの様子を、デビュー後すぐにヒット作を出し躍進していくさまを、思うところあってみずから引退を決めラストコンサートに臨むその日のことを。生涯のいくつもの場面を事細かに、まるで見てきたかのように、彼女になり変わったごとく心情までたどりながら描き出す。

 読み進むと、仮に都はるみの歌声を知らないとしても、若くして歌うことをわが身に背負い、歌うことを自分の為すべきことと考え実践し、歌を愛し続けた人間がああ実在したのだと、ありありと感じとれる。

 筆の力によってひとりの歌姫の姿がくっきりと立ち上がる。筆圧の高そうな、濃密な描写に酔いしれてしまう。並々ならぬ筆力に圧倒されるのも当然、著者は中上健次なのだから。

生前の中上は、都はるみと親交が深かった。ジャンルは違えど、表現者として感化される面も多々あったはずで、ゆえに彼女を主人公に据えて一編の小説を書き上げた。

 数々の有名作と並び称されることはあまりないけれど、今作は中上作品の魅力の根源が、最もわかりやすく露わになっている。

 文章によって人や土地の匂いを感じさせる。それが小説家・中上健次の力の源泉。匂いとは個性であり色気である。ある人や土地の個別性を感じるときは、かならず匂いを伴うし、人や土地の艶っぽさにどきりとするときにはいつも、匂いが介在している。都はるみという歌い手と、彼女が生きた時代と土地の匂いを、この作品は強烈に感じさせる。

 実際の都はるみは、いったん引退したあと、しばらくのちに歌手へ復帰する。より自由に、歌うことをもっと楽しもうという姿勢を貫くようになった彼女が歩んだ道もまた、興味深いもの。ほんとうは、中上健次に「その後の都はるみ」の姿を描き出してほしかった。彼の死によって、それはもう叶わないことになってしまったけれど。

 他の者でもいい。都はるみの半生は、もう一度書かれるべきだとおもう。



『天の歌  小説 都はるみ』 

中上健次

中公文庫

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