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忖度なしのオンライン対話が生み出すもの

最近、イベントとかそういうものではない「対話」メインのZOOMに参加しすることが多いです。

土曜は、今年に入って盛り上がってるオンラインの夜のお店とかではなく、ZOOMが日本に入ってきたあたりから、ZOOMでのオンラインBarを続けている方の開催テーマに興味があったのと、なんとなくしゃべりたい欲があったので参加してみました。

一応大人なので、場の雰囲気やTOP、本音と建て前わかっております。ですが、比較的自分としては「本音」をしゃべるようにしています。リアルな場での開催は付随する社会的位置とかがついてくる(年下に指摘されると社会的立場が。。。とか)ことが影響されることが多いような気がするので大人しめに、オンラインではだいぶそのままをしゃべるようにしています。

前の記事でも書いたように、こどもも大人も、立場が違っても「時間の価値」は同じだと思うのです。

そうすると、忖度してしゃべらないなら、時間のムダというか。同じすごすならコンビニスイーツを手にダラダラしているほうが個人にとっては有意義な時間になってしまうというか。

だから、失礼は承知で、相手の時間も自分の時間もムダにしたくないので本音で言うようにしています。もちろん、礼儀と指摘するべきではない一線というのは越えないようにしたうえです。

忖度する会話では、結果が見えているので、参加する意義すら見失う。オンラインという場は、「退出」すればそれこそ、そこの場からフェードアウトできるのである意味「参加者優位」の場でもあるともいえる。

フェードアウトの権利があるうえで、その場に居続けるという選択をするということは、「忖度をしない会話」をする責任が生じると思うのです。

忖度しないからこその面白さや偶然の産物


忖度すると会話、対話の落としどころって決まっていて、そこにもっていけばいいだけで、イベントや講座はそれが忖度とは別に大事なスタイル・ファシリかもしれません。

ただ「対話」「ディスカッション」となると、まじりあわないと面白くない。そして、ぶつかることで生まれる偶然のなにかも生まれない。

思えば、団体のミーティングや交流会も最初は、なにかしら「決めること」や「テーマ」があってそれのためのオンラインミーティングだったのですが、だんだんと、いつも本筋からずれていくようになり、とはいえ根っこはずれていないので、より深いコンセプトを持ったうえで「なにかが決定する」という流れになっていくようになりました。

偶然や、意見のぶつかり、そういうものに対する耐性が強くなっていった、もしくはもともと耐性の素質があるタイプが集まったか。

ぶつかり慣れしてくると、そこからなにか「面白いものが生まれる」という経験値もあり、対話自体が深まるようになる気がしています。ぶつかり慣れといっても喧嘩、批判という意味ではなく、

だれかトップやパワーバランスの強い人の意見に合わせるという意味ではなく、自分の意見を出すのを遠慮しないこと

その意見がパワポ並みに整う前でも出せること(違和感程度のことでも)

批判とクリティカルシンキングの違いを理解していること

が自然とできるようになっていて、雑談しているのに最後はちゃんと結論に辿りついているという現象になっています。だれかがトップダウンしなくても、頭の片隅にテーマを意識しながら話す、そのうえで偶然の組み合わせも楽しめる。

忖度しないオンラインミーティングがたどり着くのは意外と面白い世界だなと思っています。

(が、最近絶対数としてZOOMなどが増えてきたことで、忖度を持ち込んだままのオンラインが増えたのもまた仕方ない事実かと。。)

参加者が選べるという権利をもっと認識する

無料にしろ、有料にしろ、時間をとって、その場に参加するということは相手に時間を使う、ということであり、それが自分にとって価値のあることなのかどうか、もっと参加者が意識していいような気がするのです。

ON、OFFだけでその場から離れられる。逆を返せば、主催者は、そのOFFを選ばれないような場作りが必要で。
空気を読んで、とか忖度で、その場に制約することは「リアルな場」よりも難しいことです。
だからこそ、押し付けのようないままでの権威的なイベントや講座をオンラインにしたところで、その権威はオンラインの先には効かず、コンテンツやひとなど本質的なところが大事になってくる。

参加者が立場がうえっていう意味ではなくて、選択肢を持つということ。
以前別のブログで「学びが自由になったとき学校は選び取ってもらえますか?」みたいな内容を書いたことがあったのですが、このオンラインが発展して休校時のように当たり前に日常的に学校内に入っていったとき、ONできる権利OFFできる権利(学校だから無理して参加するでしょうけどそこは置いておいて権利として)に保護者・生徒が気づいたとき、オンラインのままにし続けてもらえるのでしょうか。
コンビニスイーツ&だらだらまったり、に負けないでしょうか?

参加者が権利を意識するということは提供側(主催者や学校)のコンテンツの質を高めるきっかけ

となるのではないかと思います。いじわるで、マウンティングでOFFしてやる!というのではなく、社会としてリソースの質を高めるうえで、参加者側も「権利」を意識することは大事なのではないかな、と感じた久々のオンライン対話でした。

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