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【実際『倒産の瞬間』ってどんな気持ち?】

普段どうでもいいことを書かせてもらっている私も、5年前に負債総額16億円、創業105年のローカルスーパーを倒産させた身である。会社の倒産は、どんな理由があれ社長の責任!誰一人望まないことであるが、それは今日も確実に起きていて、十社十色の理由がある。


倒産までの過程は著書『こうして店は潰れた』に書いたのでここでは避けるが、実際のところ『会社倒産』の瞬間とはどんなものか?経験者はとかく口を閉ざすが、伝えていくのも贖罪の一部と思っている。

会社はいくら赤字でも、キャッシュがあれば存続できる。金が払えなくなった日、それが倒産の日である。

普通なら経営者一族やトップ陣を守るため、水面下で専門家の指導の元「Xデー」を決めておき、当日は張り紙をして身を隠す。あとは代理人弁護士が窓口になって、直接矢面に立たないように経営者の身を守る。

👤私の場合は倒産の予定もなく(経営改善中の最中)、普通にスーパーの経営をしていたが、取引業者やその他の思惑から「一斉納品停止」された結果の即死だった。倒産後のことなど考えず、年末商戦で稼いで従業員と共に復活を期していたまさにその時である。

3年間のリスケと経営改善の結果、再び黒字化に成功し、タイトな資金繰りながらも【納品→販売収入→仕入れは後日支払い】の回転差資金で凌いでいた。その中で問屋の商品供給が止まれば、資金はショートして「万事休す」となる。

倒産までは「経済的苦痛」その後は「精神的苦痛」

正確な「倒産日」とは、裁判所が破産宣告をした日であり、会社を閉じた日とは異なる。それまではよく張り紙にある「当社は破産(または再生)準備中であり、中に立ち入ることはできません」の紳士協定でしかない。


ここでは倒産日を閉店日とするが、その日の朝、今後メインの問屋から納品がないと知り、腹心のスタッフと長年の取引業者との話し合いで、本日を以て倒産することを決めた。(法的には臨時株主総会の決議が必要)

🕔【直前】辛いのか?→辛くはない=そんな余裕は無い

ただ長年やってきた会社が潰れることを消化できないまま、必死に(当時9店舗)連絡や段取りをしていただけ。

🕗【瞬間】いよいよ全店を閉める夜8時→辛くはない

噂を聞いて駆けつけた新聞記者が、店に貼られた「営業終了のお知らせ」を確認して店鋪2階の本部を訪ねてきた。倒産から3分後には既に独占取材を受けていたので、悲しいとか怖いなどの感覚は無かった。

🕙【その後】取材が終わった後も一人会社に残っていたが、まだ報道されてもいないので、電話が来る訳でも誰かが怒鳴り込んでくることもない。いつもと変わらない静かな事務所。ここでの気持ちは「寂しい+怖い」

✅感慨にふけるのは「その瞬間」まで、その後はもう「ここが俺の人生の最悪地点だ!」とそこに旗を刺せばいい。以前も書いたが「最悪を決めたら、後は解決に向けて良くなるばかり!」の流れに身を任せるだけと自分に言い聞かせる。

もちろん自分で出来る、ありとあらゆることをしたり(されたり)する『覚悟』が必要。

🕖【倒産翌日】→「恐怖」のみ!

私は幸い取引先や地域の方々から温かい言葉や破産費用のカンパを頂けたので、最悪の状況を想定していた「倒産翌日」も、恐怖を感じながらも「なんとかやれるかも…」の前向きな気持ちになれた。(おそらく普通なら皆さんが想像することが現実となり、経営者は壊れていく)

倒産前の「経済的苦痛」からくる「精神的苦痛」を乗り越え、ここからは「倒産社長」という精神的(気持ち)な問題のみと戦っていくことになる。これは時間がかかるが仕方ない。全てを失い5年が経過したが、死ぬまで消えることはないだろう。消してもいけない。


これが私の倒産の瞬間を挟んだ気持ちの変化である。
倒産とは、大きな爆弾を一発喰らうのではなく、いつ終わるかわからないマシンガンの銃撃をず〜っと浴び続けるが如くである。

皆さんは絶対その景色を見てはいけない!
(長文失礼しました🙇🏻)


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【私はこんな人間です】


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