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【政治学講座5】「民主政と独裁」【体系的知識】

政治学講座(たぶん全十回くらい)

参考文献 中村菊男 著,政治学 改訂第3版,2010

第五回 「民主政と独裁」


民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。
他に試みられたあらゆる形態を除けば

(ウィンストン・チャーチル)

はじめに

今回のテーマは「民主政と独裁」、ちなみに”民主政”という語は民主主義や民主制などと同じ”Democracy”の訳語の一つで私が好んで使う表現である。

この講座中において、民主主義はDemocracyの”理念”の事、民主政・民主政治はその”理念に従って行われる政治”、民主制はその政治を行うための”制度”を指す言葉として用いていると思ってほしい。

ニュースやSNSではよく「民主主義を守れ」とか「なにがしは民主主義を破壊する独裁者だ」という風な言説がされているが、今回は実際の民主政とはどういうもので独裁とはどういうものなのかを詳らかにし、それらにどのような意義があるかを考えていく内容となっている。

ここまでは政治哲学的な内容が多かったが、ここからは次第に政治過程論の内容が増えてくる。

忙しい方→「まとめは最後段」

民主制

■民主政治の意義と議会制の役割

民主政治とは通常、『国民の意思に基づいて行われる政治形態』と定義される。

この形態を区分すると「直接民主制」と「間接民主制」に二分できる。

◯直接民主制(direct democracy)
 
スイスの全州民総会・国民投票やリコール制度(間接民主政の一部)
 ・利点:国民が直接政治に関与できる。
 ・欠点:実施が大変

◯間接民主制(indirect democracy)
 
議会制民主主義・議会政治・代議制
 ・利点:実施しやすい
 ・欠点:国民が政治に間接的にしか関与できない

直接民主政は参政権を持つ住民全体が一定の場所に集い、政治に関する議論・意思決定をみずから直接行う形態である。

スイスの一部地方で行われる全州民総会(ランツゲマインデ、人民寄合・青空議会とも)が最も象徴的で、これは有権者が州庁舎前の広場に集まり、案件の可否を挙手で決める直接投票制度である。

また、スイスでは代議制の議会と併存して、一般国民にすべての政治的レベルにおける決定に関して基本的な関与の権利を認めており、さまざまな政治案件について直接投票する権利を有し、「国民投票で憲法の改正や拡大を請求できる国民発議権」と「議会が通した法案の国民投票による審議権」という直接民主制の制度を持っている。

しかし、全州民総会のような一箇所に集まって行うような直接民主制の実行には時間と場所という制限が伴い、少人数で狭い範囲で行う場合ならまだしも、大人数で広大な地域で行おうとすれば、時間を合わせるのも移動をするにも難儀し、物凄い数の人々が集まることによる混乱も予想される。

例えば、全米国民が集会のために一同に会そうとすれば、経路にもよるが最大片道五千km、場合によっては数日かかる移動が必要となり、集合地では有権者約1億5千万人が結集することになり、集まるだけで物凄い事になってしまうだろう。

したがって、現代では殆どの国において直接民主制は主要な政治制度としては採用されておらず、国民投票やリコール制度(有権者が首長や議員を任期途中で解職できる制度)などの形式により間接民主制の一部として取り入れられるにとどまっているのが現状である。

スイスの全州民総会も中世には全ての州で行われていた制度であったが、
現代でもやっているのは2州だけであり、それを行う際の大変な困難が窺われる。

この困難の故に、直接民主制の熱心な支持者であったルソーは著書(社会契約論)の中で”直接民主政を実施するために国民が直接集まれる程度にまで国家を細分すべき”としていたほどであった。

ちなみに最近はオンラインで直接民主政をしようという意見が生じているが、これはITにより、これら時間や空間の問題をかなり解消できるようになったためである。

翻って、今日、ほとんどの国で採用されているのは議会制民主主義議会政治・代議制と呼ばれる「間接民主制」の政治形態である。


・民主制は何のためか

議会統治の起こりは専制君主の政治に対する国民の反抗であった。

例えば、マグナカルタも最高権力を握る国王に対する貴族達の反抗の結果といえ、フランス革命も第三身分による反抗である。

専制君主の行う政治では国民の状態や意思が無視され、君主ないし側近の意思が国民を支配する暴政に陥りやすい。

こういった政治形態においては、名君によって善政が行われる例もあるが、暗君・暴君によって、国民の自由、生存権・財産権その他のもろもろの権利、今日でいう基本的人権が抑圧される場合も多々あった。

権力行使の衝動は人間にとって除き難いものであり、抑制が無い限り殆どの場合、濫用や腐敗が生ずるのは避け得ない。

ルソーの「権力が世襲される限り必然的に暴君が現れる(社会契約論)」という主張の如く、例え、今は善政が敷かれていても、一つ所に権力が独占されているかぎり、いつかはそれを悪用し暴政を敷く者が現れる。

権力が無制限の社会とは常に権力濫用の危険と隣合わせの社会なのである。

それは例えば、前王朝の暴政を退け仁政を敷いた商や周に紂王や厲王が現れたように、またローマ皇帝カリギュラが初め善政を敷き名君と呼ばれていたのが後に人が変わったかの如く暴政を行ったように、英雄とさえ呼ばれたムガベ大統領が後に最悪の独裁者と呼ばれたように、同じ血脈、あるいは、一人の人間であっても、権力を握り続ける以上はいつ暴虐に転じるか分からない。

そこで、政治権力の濫用を防ぐため、政治権力を監視する制度・国民の意志に基づいて政治権力に携わる者を決める制度が考えられたわけである。

今日、国政・地方自治に関わる政治家は選挙制度によって選出されているが、これは一定の任期を限り、任期毎に国民の意志を問い、国民の信任を得たものが地位につき、信任を得られない場合は地位を維持したいと思っても強制的に辞任に追いやられるという手続きである。

民主政治ではこの「手続き」がとても重要視されるが、これは手続きを厳格にし、例外を排除することによって、専制や暴政に陥る事を避けようとしているわけである。

まぁ、逆に言えば、手続きさえなんとかしてしまえば民主政体からでも専制に陥らせることが出来るということでもあるが、これについてはまた後でやる。

こんな感じで【民主制とは、権力乱用とそれによる専制・暴政を防ぐための制度的な試み】であるといえる。


・統治と国民の乖離を防ぐ「手続き」

さて、一般に民主主義は「人民の人民に拠る、人民のための政府と考えられている」が、「人民のため」というスローガンは専制独裁国家、例えばナチス・ドイツやソ連、北朝鮮(民主主義共和国)などでも掲げられているものであり、これを以て民主政と独裁政の決定的な違いとは言い切れない。

民主政治の本質的な意味は、どのような政府でも陥りがちな権力の乱用を困難にする制度的試みであり、これは国民に「平和的手段によって、政府を批判し、あるいは反抗し、政府の方針を改めさせ、政府を置き換える権利」を与えるという事である。

権力を握る者は往々にして批判者や反対者といった政治的な対立者を不快に思うが、政治的権力はそれが物理的強制力である事から、これらを逮捕したり討伐したり(SNSでブロックしたり)するなどして排除に向かうのが常である。

こうした”反対者に対する不寛容”を防止するため、選挙といった制度を調え手続きを重視する体制を敷き、国民の監視と選挙によって国民を政治的権力者の地位の源泉とし、国民の意思に基づく政治を行わせるのである。

国民の意思に基づいて政治を行うといっても、実際に政治に携わるのは政治家や官僚であって、その数は国民の総数に比して圧倒的少数である。

この少数が国民全体の同意に基づき、その意思を尊重して政治をするのか、もしくはこれを軽視し、あるいは無視して政治をするのかという点に民主制と専制・独裁制の相違があるといえる

選挙や議会政治が発展したのは、これらの手続きによって国民の意思が尊重された統治が行われ、人権やらなんやらが守られると考えられてきたからである。

しかし、選挙や議会といった民主制的な制度の存在は、国民が意思を表明”可能”という権利能力を与えるだけのもので、いわば機会を与えるにすぎず、国政に参与するという重責に値する行為能力までをも与えるものでは無い。

民主制において市民(完全な参政権を持つ人)は権利的には平等であるが、その資質や態度、行為能力においては平等ではない。

ようは、政界の大物や経済人、学者や技術者であろうと、占いやあみだくじで投票先を選ぶ人であろうと、投じれる一票に差はなく被選挙権も平等である(選挙区に由来する一票の格差というのはあるが)。

よって、国民が知識や関心の無い者(知識はあっても、それが間違ってるという場合もあるが)ばかりになれば、選挙や議会は的外れな統治をもたらすばかりで、プラトンのいうような衆愚政治に陥ることになってしまう。

このような衆愚政治への忌避から、以前紹介したプラトンの”哲人政治”や”夜の会議”のように、単独ないし少数の”物が分かっている賢者”の意思に従った政治というのが志向されてくるわけである。

また、物事を決める際、民主制の場合は選挙や議会での討議、採決といった手順を踏む必要がある関係上、どうしても時間がかかるし、選挙の開催や議会運営、多数の議員報酬に余計な費用がかかることになってしまうが、哲人政治なら全てを能率的かつ最小限のコストで進められる。

こうしてみると、ほとんどの点で哲人政治の方が民主制に勝っているように見える。

しかし、一見、理想的な哲人政治であるが本当に実践してしまうと権力の腐敗や乱用という弊害に屈する事になってしまうのである。

フランス革命にしろレーニンや毛沢東にしろ、歴史は高尚な理念と高い知性を持った意識高い革命家たちが独占的な権力を握った結果、強権による専制、苛政と暴政を欲しいままにしてしまった事を伝えている。

そのような社会では自由や生存の権利すら失われることになる。

どんなに能力や人格に優れた統治者であろうと統治される者を顧みないかぎり、統治者がもたらす統治と統治される者の生きる現実とに乖離が生じる事は避けられない

そして、それはモンテスキューやバークの言う所の「専制」そのものであり、例え、それが”善意に基づいた政策であろうと”暴政を免れ得ないのである。

例えるなら、食材を見ず味見もせずに思い込みや思い付きだけで料理するようなもの、これでは生焼けで食中毒を起こしたり、焼きすぎて消し炭みたいな、とても食べられない結果になって当然で、滅茶苦茶にならない方が奇跡である。

こんな感じで、権力を制限しコントロールする、何らかの「民主主義的な制度」がない限り、どんな政体でも長期的に見ればルソーの指摘した通り、暴政確率100%になってしまう。

結局のところ、政治の目的が国民の秩序や幸福である点を考慮すれば、例え衆愚政治に陥る欠陥があったとしても、民主政以外の権力を抑制できない体制よりは民主制の方がよいと結論されるのである。

有名なスペースオペラの小説でも言われているように『民主主義は最良の政治形態ではないが、他よりは”マシ”』なのである。


■近代民主政治の起源

近代議会政治の発展はイギリスから始まったが、その精神的基礎はルネサンス宗教改革にある。

これらは共に中世の身分的社会秩序に疑義を投げかけた点で一致しているが、ルネサンス(文芸復興)は古代(ギリシャ・ローマ)へのあこがれと宗教的権威からの人間性と理性の解放である。

宗教改革はマルティン・ルターとカルヴァンが有名であるが、これはキリスト教徒と唯一神との中間に位置する教皇と教会の権威に対する反抗であり、聖書を通じて信徒が唯一神と一体一で直接向き合うとするプロテスタントを生んだ。

このように、両者は人々を外的な規制から解き放ち、”自己”に自由の精神と平等の意識をヨーロッパの人々に与えたのである。

こうして17~18世紀にかけて中世の階層的秩序は否定され、理性を重視する合理主義(大陸合理論)が花開いた。

ジョン・バグネル・ベリーによれば、合理主義とは”思想の全領域を通じて理性による理性の絶対権利の非妥協的主張”をいう。

簡単に言うと人間の考える力(理性)こそが絶対という主張で、フランス革命期に行われた「理性の祭典」は特に極端な例である。

この合理主義は現代の自由主義にも結びついており、民主政治の発展の基礎は自由主義の”人間の自由な意思の働きに社会の進歩の推進力を認める”考え方にあるといえる。

ちなみに、後にカントによって合理主義と統合されることになる経験主義(イギリス経験論)もまた自由主義の礎となっており、こちらは直接的に保守主義へと結びついている。

さて、前史はここまでとして、ここからは近代議会政治の発展をみていこう。

先ほど述べた通り、近代議会政治の始まりはイギリスである。

14世紀頃に上院下院が分離して独立の機関となり、16世紀~17世紀にかけて
機能が拡大され、英国議会は政治形態として権威を持つに至った。

18世紀、英国の議会制度はアメリカ独立とフランス革命で手本にされ、近代民主政治の起源となり、19世紀には文明国(主に西洋)の大半が民主制を採用することとなった。

イギリスがそうであったように、欧州諸国でも民主政は専制政体に対する国民の自由と権利の保障を確立する運動として顕れ、特にアメリカ独立以降は硬性憲法によってそれを強固にしている。

この傾向は20世紀以降は世界規模で促進され、第一次世界大戦では「民主主義を守るための戦争」というスローガンが(ドイツ帝国も一応は立憲君主主義の民主制国家だったにも関わらず)使われるほどだった。

戦間期には中央同盟の帝政崩壊と民族自決の原則で独立した国々が民主制を採用した事で、民主政治は世界的な潮流となった。

今日において、民主政治は封建主義や絶対王政のみならず「あらゆる形態の専制独裁体制に対立するもの」と考えられており、建前上、非民主的である事は”看過できない悪”とみなされるようになっている。

このため、ガチの専制独裁国家や専制独裁を目論む党派・テロリストですら民主的を掲げて民主主義を偽装するようになった。

例えば、既存の社会や他国を封建主義的・帝国主義的と断じて、それに対立する自分たちこそが真の民主主義と主張する感じのやつである。

しかし、いくら民主主義を掲げようとも民主政治の実態が無い限り、それは民主政ではありえない。

ブライスは『近代民主政治』で民主政治を次のように定義した。

「国家の支配権が合法的にある特定に階級ないし諸階級にではなく全体としてのその社会の成因の手に与えられている政治形態を意味している。これは満場一致が得られr内場合、その社会の意思と認められるものを平和的かつ合法的に決定する方法が他に発見されていないので、投票によって行動する社会においては支配が多数に属することを意味する。」

(James Bryce, Modern democracies, 1921)

これが実際に行われている場合には、皇帝や王を頂く君主制であっても民主政治であるといえ、そうでないならば民主制を掲げる共和国であっても民主政治とはいえない。

さて、民主制のもっとも重要な部分、すなわち、民主政治・民主主義の真髄は意見の分かれる相手に対して「批判と反対の自由」を許容し、その意見に対して寛容な態度で接することにある。

冒頭で「民主主義を守れ」とか「なにがしは民主主義を破壊する独裁者だ」というような言説がよくみられることを述べたが、実はこれら批判・反対の言説制裁無しに行える時点で”ある程度以上は民主政治が機能している”のである。

まあ、これを共産主義者が言う場合、民主主義とは民主集中制、即ち、共産党首脳による専制独裁の事なので、これら言説の本来的意味は「共産党の意に沿わない不届き者を処刑せよ」となるので言語的には誤りではないのかもしれない。

このように共産主義では独裁者が労働者の味方を名乗ってさえいれば民草を蹂躙しても正義であり批判・反対は反革命・真の民主主義を攻撃する処罰されるべきものである。

しかし、政治権力の担い手がいかな属性を持とうと批判と反対を容れない体制は本来的な意味でデモクラシーたりえない。


■民主政治と基礎的条件

歴史上、封建制から絶対王政、共和制へと移る例があるように、政治制度は可変のものであるから一定の政治制度を絶対視するのは良くない。
しかし、いずれ変わるからといってこれを軽視するのも良くない。

一定の政治制度は一定の条件の上に成立するものであり、その条件がうまく整ったとき、もっともよく運営されるものである。

例えば、中世の欧州や日本で封建制が長く続いたのは、統治機構や交通・通信技術の未熟さや歴史的経緯等から封建制が機能しやすい条件が整っていたからである。

ここから中央集権化が進んで封建制が解消されていくのは官僚制や行政機構の発展・街道整備や駅伝制・腕木など交通通信手段の発展に伴うもので、それらの条件が整っていない中世封建時代に中央集権を前提とする近代の政治システムを突っ込んでも上手くいくとは限らない。

つまり、民主主義に基づく政治が常にどこでもうまくいくわけではないという事である。

選挙など民主的な政治制度の形式を整えたからといって、そこに必ずしも民主主義的な実質が伴うとは限らない。

例えば、アフリカを始めとして世界中の多民族国家で見られるのが、民主的手段で選出された政治家が自分の属す民族集団を優遇するという例。

この原因は単なる自民族中心主義だけではなく、再選の可能性を高めるために民族的出身地への優遇策を執るという選挙対策にあり、単純に民主的な制度を導入すれば解決できるというような問題ではない。

民主政治が行われるためには制度だけでなく、制度の背景にある社会的条件や国民の政治意識こそが問題になる。


民主政治が有効に機能するために必要な条件は以下の通りである。

民主政を機能させるのに必要な条件
 1.社会的・経済的条件

 2.国民・政治家の心理的態度
 3.国民の道徳観念と個人の責任観念
 4.平和的条件

1.社会的・経済的条件

民主制が機能するためにはまず国民が不自由なく生活するに十分な所得があり、国民の生活水準が高いか高まる可能性が高い必要がある。

国民一般の生活水準が高ければ安定した生活が出来、今は低くとも見通しが明るいのであれば先行投資の支出が拡大する。

ひいては教育水準も上がり、国民が知性を錬磨し教養を身に着ける機会が増えるわけで、一般国民に広く政治的素養が必要とされる民主制には好適な環境である。

また、社会不安が少ない事も重要である。
極端なインフレ・デフレ、金融市場の暴落などが起これば、社会不安が増して治安が悪化し、テロや暴力事件など凶悪犯罪が増える。

こうした状況では国民に強権主義的な何かにすがろうという意識が芽生え、ワイマール共和国のように左右の専制独裁的政党が急伸して大変なことになりかねない。

このため、民主制には国民の生活・社会の安定が必須である。

ただし、民主制に豊かさが必須であるからといって、豊かになれば民主制になるわけではない

例えば、カダフィ大佐による独裁時のリビアは裕福だったが民主制ではなかった。手厚い教育や社会福祉を享受しながらも民主政治とは無縁だったのである。

このように、国民の富裕は民主政治に必要ではあっても、それさえあれば民主政になるというわけではなく、独裁制と富裕の組み合わせは、むしろ独裁の正当性を高め独裁体制の強化にすらなる。

昔、専制国家も豊かになれば民主化するなどといって太陽政策と銘打った全体主義国家への経済援助をやってたが、それは結局、独裁体制の強化にしかならなかった。

2.国民・政治家の心理的態度

国民の”全体主義を否定する政治的態度”であり、指導者と称するエリートと一般国民の差があまりにも開いている”行き過ぎた権威主義を認めない政治的態度”である。

全体主義では自由主義や民主主義を否定(ないし自らが真の自由・民主と主張)するが、全体主義は主として行き過ぎた権威主義に根差している。

権威主義では指導者と大衆が同質ではないが民主主義では指導者と大衆が同質でなければならない

どういうことかといえば、民主制では、たとえ政権与党の首脳として権力を行使する者であっても、失政や汚職をすればその地位を失い権力の座を去らねばならない。

福沢諭吉先生が『学問ノススメ』で述べた通り、その役職がやるべき任務が偉いのであって役職にある人間が偉いのではない。

どんなに地位の高い人間も役職を除けば他の民衆となんら変わるところがなく、同等同質という事である。

また、政権の変更は政策の転換を意味し、これが容易にできなければ民主制は機能しようが無い。

そして、政権変更が可能であるためには国民の政治意識と政治家の態度が民主制のルールに順応できていなければならない。

ようするに政治家が失政や汚職をしながら責任を取らず権力を握り続けようとしたり、国民がそれを見逃し、あるいは許し、逆に応援したりするのであれば、もはや民主政治は望みようがない。

よって、民主政には国民の政治意識(political interest)が十分に高い必要があるといえる。

他方、私見であるが民主制でも反権威主義でも全体主義的な態度に陥る事はありうる。

陶片追放が最たる例で、これは指導者になりうる(と見做した)人物をやり玉に挙げ寄ってたかって攻撃し、ポリスから追放ないし殺害する制度であるが、直接民主制や共和制を志向する人々の中にすら全体主義は生じるのであり、ここには異質な者を排除したいという人間心理があるように思える。

3.国民の道徳観念と個人の責任観念

英国の民主政治がうまく行われているのは幼少年時代から公共の問題についての個人の責任を強調する道徳教育が普及しているからだという。

個人の権利のみ主張し責任や義務の履行をまぬがれる事を以って民主主義と心得るのは誤りで個人の権利は社会や国家に対する責任の自覚によって全うされるものであり、権利を主張するだけで義務を怠るところには秩序と平和は保たれない。

逆に個人の責任と義務ばかりが主張され政府による国民への庇護がおろそかにされ権利が守られないのでは、専制政治と何ら変わるところがない。
義務を強いるばかりで権利なきところにも秩序と平和は保たれない。


4.平和的条件

民主政治が行われるには国際間に平和がたもたれている必要がある。

戦争は外交の延長ではあるがその勝敗は通常の外交とは一線を画し、領土失陥や不平等条約、国家滅亡といった決定的な結果をもたらす。

この重大さのため、戦争の遂行には国民を一方向に指導せねばならず、権力集中が必須となる。

実際、第二次大戦時には民主制国家の英米も物資統制や大規模徴兵、国民の組織化、日系人の強制収容など普通に強権的で軍国主義的な政策を打っていたし、今日、軍国主義と非難される時代の日本も戦争中であった。

また、戦争による混乱は社会的流動性(social mobility)を高める。

社会的流動性とは高階層の人が零落したり下流層の人が成り上がったりする頻度が高まるという事で、これには経済や技術の発展などの利点もあるが、民主主義には否定的に働く。

例えば、社会流動性の高さは社会の分断や先鋭化をもたらし安定的な民主政治を妨げるし、政治家は再選のために短期的・大衆迎合的な政策をとるようになり、長期的には政体そのものが破綻する可能性もある。

これらは公平な社会と政治参加を阻害するものであり、民主主義と一致しない。

民主主義は人々の平和な心に根ざすと言えよう。

平和と民主主義のイメージでAI生成したやつ

独裁制

■独裁制の意義

独裁、独裁政治(dictatorship)の本来の意義は古代ローマ共和国において、戦時など国家危急の事態を解決するために一時的に置かれた「独裁官(dictātor)」の地位から来ている。

平時のローマ共和国では二人の執政官による統治がされるが、この体制では対応できないほど危急ないし重大な事態と認められた場合にのみ、元老院の許可のもと執政官によって独裁官が任命されることになる。

この独裁官という地位はその任務に適当と思う処置なら全てを可能とする権限を持ち、裁判手続を経ずに刑罰を下すこともできる超法規的存在であった。

こう書くと古代王朝や絶対王政での専制君主やヒトラーやスターリンのような独裁者と同じように思えるが、独裁官の制度は”共和制を守るためのもの”であり、6ヶ月の任期を超えてその職にあることは出来ず、任期後にその振る舞いの適当か否かを精査される存在であった。

ローマ共和国大好きで有名なルソーは『社会契約論』で次のように述べている。

この任命はあたかも人間を法律の上に置くことを恥としたかのように、夜間しかもヒミツのうちに行われた。

共和国の初期において人々はしばしば独裁官に依頼した。

なぜならば、国家は憲法の力のみによって維持するには未だ確固たる基礎を持っていなかったからである。

その当時道徳観念はよく、他の時代において必要であった注意が無用であり、人々は独裁官が彼の権威を濫用したり、また、すでに機関の切れた後、それを維持しつづけることを恐れなかった。

反対にこのような大なる権力は授与された人にとって重荷であったようにみえ、あたかも法律に変わることがあまりにも苦しく、あまりにも危険な地位であるかのように、会食されようと急いだくらいである。

……なお、このような重要な委任がどんな風に授与されるにしろ、その任期をきわめて短期にきめ、決して延期できないようにすることが重要である。

独裁官が設けられる危機においては国家はやがて滅びるか、あるいは救われるかいずれかである。

そして、現在の必要が過ぎ去れば、独裁官は暴君になるか、無用になるかどちらかである

後期にはスッラやカエサルのように無期限や終身の独裁官を志向した人間もいたりするが、重要なのは、「独裁政治は本来、政治上の混乱または根本的な変革を必要とするような場合、特殊な政治的危機といった”非常時”を切り抜ける方法として”過渡的”に行われるもの」ということである。

しかし、現代における独裁政治は本来の非常時的・過渡的なものではなく、長期におよぶもので、政党や軍部の組織を基盤として強力に推進される所に特徴を持つといえる。

軍部独裁で生成したやつ

これら近現代の独裁政治においては、特殊な政治的危機への対処よりも、政党や軍部ないし独裁者の権力独占の永続化を目的とするような振る舞いが見られる。


■現代独裁制の成立

二十世紀以降、主要国において新絶対主義(オーストリア帝国)のような前近代からの王権による専制政治は次々に滅んだが、一方で立憲主義を否定したり、民主的な法治主義を否認し、議会政治を容認しない独裁政治の諸形態が現れた。

ちなみに余談になるが法治主義という言葉には韓非子などの「人の善性に期待せず、徳治主義を排して、法律の厳格な適用によって人民を統治しようとする主張」と「絶対君主の支配を否定し、国家権力の行使は議会の制定した法律に基づかねばならないとする近代市民国家の政治原理」のニつの意味があるので注意(デジタル大辞泉)。

前者は法を権威とし、法によって支配されていれば良しとするが、それだけでは後者の如き民主的な統治にはならない。
閑話休題

ようは王権による支配を退けた民主制をさらに否定し、旧来の王権とは異なる新たな独裁政治が現れたわけである。

前節でも述べた通り、独裁は混乱や危機に対処するには有利である。
議会政治は妥協を前提とし寛容を旨とするが、混乱や危機のただ中においてそれらは弱さに他ならず、安定と秩序をもたらすにあたって能率的でないばかりか、国内の対立と分断を激化させ危機を増大してしまう場合もある。

第一次世界大戦後の混乱はまさにそれで、これを契機として各国に諸々の独裁が発生するに至った。

その著名な形態として、ソビエト・ロシアの共産主義(日本共産党と同じマルクス・レーニン主義)に基づく独裁政治、イタリアにおけるファシズムに基づく独裁政治、ナチス・ドイツにおける国家社会主義(ナチズム)に基づく独裁政治がある。

ちなみに第二次大戦前~大戦中の日本をファシズムと見る向きがあるが、日本はこれを目指しはしたものの結局は独裁体制の構築に失敗しており、外形は似せれたものの厳密にはファシズムのような大層な体制ではなかった。

ファシスト・ファシズムという語は敵対者・反対する立場に対する蔑称として使われている場合が多いため、一見、ファシズムっぽくとも実際にはファシズムでは無いという場合が多々あり、例えばSNSでも共産主義者をファシズム呼ばわりする例が散見される。

このようなイデオロギーについてはまた後の回で扱う。

上記3種のイデオロギーはそれぞれ細部は異なっているが、共に旧来の社会構造や伝統を否定して新たな社会構造や価値体系を築き、それに人々を従属させようとしている点で一致しているといえる。

第二次大戦後はこれらの亜種・後継的な存在として東欧や中国では「人民民主主義」や「新民主主義」の名のもとに共産主義国家に準拠した独裁政治が行われ、ナチス・ドイツおよびイタリアの独裁政治は崩壊したが、スペインにおけるフランコの独裁、ポルトガルにおけるサラザールの「エスタド・ノヴォ」、チリやアルゼンチンなど南米における軍事独裁政権など、種々の形式における独裁政治が行われた。

これら現代独裁政治出現の原因としてよくあげられる説に資本主義の発展議会政治の凋落という二つがある。

前者はあらゆる産業が金融資本に結びつく事により、資本主義的な市場経済の発展とともに生起する資本の肥大化、それに伴う寡占・独占化が須らく独裁政治に繋がると主張されたものであった。

しかし、現実において、独裁政治はむしろアジアや中近東・南米諸国といった資本主義の発達していない地域に出現しており、独裁政治発生の原因を経済的要因のみに帰す事はできない。

次に議会政治の凋落が原因とする説だが、これは議会政治そのものよりも議会政治を正常に運営できない政治的社会的条件に問題がある

これまで述べてきた通り、民主制が機能しているなら、どんなに議会がダメダメでも次の選挙で議会を刷新し議会運営を軌道に戻そうとするはずで、独裁になるという事は、その社会が民主制を運用できる状態に無い証左であるといえる。

議会政治の堕落に際して、議会を破却したり議会を通して独裁政権を生み出してしまうのは、議会政治以前の問題として、その国の政治的社会的、政治心理的構造が民主政治の前提とする諸条件を容認するに不十分であったことが原因なのである。

Diana Spearmanは現代独裁政治の成立に影響を与える主要な三つの要素について『modern dictatorship,1940』で次のように指摘している。

(1)独裁政治発生の契機となった危機の種類
(2)独裁者の性格
(3)国民的伝統

これらは全て重要であり、独裁政治が行われる場合、その内容は契機となった危機や独裁者の性格、国民的伝統に強く影響される。

例えば、ナチスの独裁は敗戦による混乱から生じ、国外に敵を創り出して統一を図ったし、スターリンの独裁政治はスターリンの個人的性格を除いては考えられない。

そして、独裁政治を発生させた国民的伝統には以下のような特定の傾向があるという。

・身分制度・厳格な上下関係、共同体意識の強さ、社会の階層的秩序
・伝統や慣習の重視
・権威への服従
・官僚的傾向
・合理的観念が乏しい
・神権的支配に服従しやすい
・自由に対する国民的関心が薄い

ただし、上記のほとんどは代表的な民主制国家のイギリスにも当てはまるもので、経験論が発展したキリスト教の立憲君主国であることを考慮すると最後の一つ以外全部当てはまるといえなくもない。

またフランス革命は自由を希求した末に苛烈な独裁政治に陥ったことを見れば自由に対する国民的関心が高ければ独裁にならないというわけでもないといえる。

こう考えると、どのような国民的伝統を持っていたとしても民主政治が成功するとは限らないため、諸国民は民主制の正常運営のため常に鋭意努力すべきであろう。


今回のまとめ

民主制の特徴
・民主政治=『国民全体の意思に基づいて行われる政治形態』
・民主制の形態は
直接民主制」間接民主制」の二種に大別
・手続きを重視し権力乱用による暴政を防ぐための制度を整備
・国民に平和的手段によって政府を改める権利を与える
・民主制には国民の民主制運営能力・社会の平和と安定が必要
民主制の利点
・反乱やクーデターなしに悪政を改められる。
民主制の欠点
・政策決定が遅く衆愚政治に陥り社会的分断や混乱を拡大する危険も

独裁制の特徴
・独裁政治=『個人・一部団体の意思に基づいて行われる政治形態』
・本来、非常時を切り抜けるための過渡的なもの
独裁制の利点
・政策決定がはやく混乱や戦争など困難な状況に対応しやすい
独裁制の欠点
・高尚な理念と高い知性を以てしても権力の独占は暴政をもたらす。

・民主主義は最良の政治形態ではないが、他よりは”マシ”

次回は「民主政と国民」について

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