フェミニズムと性差別と男女平等

フェミニズムから男女平等において考えが止まらなくなった。
Pixerのショートムービー Purl を観て 違和感 を感じたからだ。

普段から女権拡張論、所謂フェミニズムな考えはどういった伝え方、伝わり方でうまく行くのだろうかと、色んな方々の訴えや記事を読みながら思う。

そして改めて関連の記事を読み直したのだが、自分が感じてることを纏めたいと思った。

男は男らしくあるべきという考えがステレオタイプであり、
女は女らしくあるべきという考えがステレオタイプである。
女優 Emma Watson の主張を参考。

この意見は同意できるし、理解しやすいと思う。
そのステレオタイプと男女平等の声を上げる人との衝突が起こるのは避けられないと思う。
私自身男女平等の考えは大いに賛成だし、女権拡張も更に進展すれば良いと思う。
こういった考えを男の私が思っていても、冒頭に話した違和感の正体がよくわかっていなかったのだ。

この違和感というのは恐らく男の私だから思ったことではなく、フェミニズム自体に批判的でなくても、どこか違和感を感じてる女性が多くいるのも事実で、おそらくそれなのであろうとおもったから、noteに纏める。

女権拡張において、男女平等を訴えるのが男性に対してマウントポジションを取るような攻撃的な発言や表現が多いこと。
ただ、これは仕方ないとも思う。
が、これを行うとただの男性嫌悪となりかねないということに問題がある。
一方を貶めて、一方を持ち上げるというのは平等とは程遠く、
同時にフェミニストや女権拡張論が腫れ物のように触れにくい話題となるのだ。
これはフェミニズム推進とは逆効果になるのではないかという違和感。

これは多くの人が感じてるのではないだろうか。

そしてもう一つ正体の分からなかった違和感。
男が男らしくある、女が女らしくあるという考えがステレオタイプなのはわかる。
その上で、

男が男らしくある必要がなく
女が女らしくある必要もない
という考えは、常に自分は男ないし女と意識して生きる必要がないということだ。

が、ここに違和感の正体があり、

なんだかんだ
女らしくあること
男らしくあること
に憧れている人間が多いのではないか

ということだ。
これは性差別とは別軸の話であり、この感覚がフェミニズムへの違和感なのだろうと思った。

私は、男らしくある必要はないと考えている。
女が女らしくある必要もないと考えている。

が、私は男であり、
男らしい男に何処か憧れがあるのだ。
例えば背の高さ、体格の良さ、筋肉、顔つき、性格等々。
具体的な内容までは言わずとも、何かあれば大切な人を守れるくらいの精神性や肉体をもって、優位である身体で生まれたかったと思う。
が、私自身そこまで恵まれた体格ではない。

故に憧れるわけだ。

これは女性に置き換えても同じなのではないかという事。

女権拡張と同時に男女平等を訴える運動で、
ステレオタイプである考え方を根絶しなければ終わりはこないという。
考え方自体はステレオタイプでなくとも、
それぞれの性が持つ魅力、特性を尊重しあい男女平等を訴えなければ、
この違和感はきっとなくならないのではないのだろうか。

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音楽家 音楽やクリエイティブにおいての思想を零していきます。
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