第54回: ポスコロを創る実証実験 (Apr.2020)

 軟禁生活6週目、2020年4月はまるまる自宅で過ごしStress Bakeも定年に備えた麺打ち (?) もした。今週からの緩和により農漁業・食品加工、物流、建築が動き始め、街中は明らかに活気づいてきた。たまの外出時、閑散とした道を覆う大木に咲く赤・黄・橙・紫・桃色の鮮やかな花を仰ぎ見るのが愉しみだったが、間もなく再び、絶え間なく警笛が鳴り、いつどこから突っ込んでくるか分からない二輪三輪四輪をかわしつつ、隣に居並ぶ人や犬や猿や牛とタイミングを合わせて道を渡る日常が戻るのだろうか。珈琲農園・紅茶畑は50%の労働力で再開されたが、多くの製造業も "IT & Bio" も酒屋も、未だ閉鎖されたままだ。

 ポスコロ (Post-Corona) はプレコロの何がどう変わるのか、目下、旅行・交通・外食・娯楽施設が滞り、医療・宅配・コンテンツが活況なのは世界共通。好むと好まざるとを問わず家族が密な時間を過ごし、結果はコロナブーマーやコロナ離婚に現れるだろう。こんなにも職場や通勤に時間を割き神経を擦り減らしていたのかと驚いたなら、オフィスの所在や役割、住居の間取りや通勤圏の概念を見直すべきだ。他方、これまで会社が提供してきた空間・設備や通信・エネルギーのコストは今後、誰がどのような割合で負担するのが適切だろうか。外出減は服飾・美容市場を冷え込ませるのか、スクリーン映えを狙う新たな市場創出の好機か。マスク姿が前提なら口紅は使わず、その分、目元がより華やかに盛られるようになる?息抜きのコンビニコーヒーや終業後のご褒美スイーツは、自宅に買い置くスーパーの徳用大袋という古くて新しい競争相手とどう戦うのか。

 大方の用事は遠隔で済むから、互いによほどの期待がない限り面談は成立しない。むしろ気軽に頻回にオンラインで会えるメリットの方が大きいだろう。コロナと共生する以上、例え会っても握手は厳禁、Namasteと合掌し名刺もスマホで送り合うのが安全だ。家族以外とのHug・Biseなど以ての外、気が進まない帰省はオンラインで済ませ、祭りや慶弔・催事もその瞬間だけ手元のカメラに手を振れば済んでしまうとすれば、これまで疑うことなく移動や旅に費やしてきた時間や労力やコストは何に振り替えようか。

 未だ何も定まらないポスコロの世界観、誰かが仕掛けたか偶然の産物かその契機を問わず、ひとたび実社会での有効性が確認された “WOW Value” は一気に広がって世界のNew Normとなる。国境・宗教・人種を超えて数週間で広まったウィルス、“いいね” による対策案の伝播もこれに同期している。

 かつて世界の街角で白眼視された日本人のマスク姿、自己防衛の為と信じて着用させることが実は公衆衛生に貢献していたことが分かり、各国こぞってNew Normに採用した。何事にもJUGAADを加えずにいられない当地は更に、世界的物資不足の中で人口に見合う供給は望むべくもなく、例え数ドルの出費増もままならない家計の窮状と併せて、“わざわざ外国から買わなくても伝統衣装の端で鼻口を覆えば事足りるのでは?” と気付いてしまった。いったんそうと分かれば、義務化の御触れを出し、首相自ら演じて見せ、街角の警官が個別指導して徹底する。思い返せば当地における一連のコロナ対策は海外の先行事例をいち早く真似て始まり、広くて複雑な国土・国民に効果を具現化すべく、ひたすらJUGAADを繰り返している。

 日本でも “意外に悪くない” どころか “もっと早くこうするべきだった” 感覚があるはずだ。レガシーに縛られた日本が変わる・変える好機、在宅勤務は成果主義・副業兼業へ、印鑑廃止はペーパーレス・即時決裁へ進むかと期待したが、社会が許容できる変化のダイナミックさには固有の閾値があるようだ。リモート環境でも部下の顔が常に見えていないと寂しいという上司、サイン可・判子不要でも原本の郵送を求める手続き。。。Exponential・Leapfrogと言われて久しい世の中との差はなかなか縮まらない。

 天然か人工か故意か過失かの発生源の議論に始まり、どさくさ紛れに不良物資を売りつけ示威活動を繰り返す隣国とは少しお付き合いが過ぎた、というのもまた、ポスコロNew Normのタネ。日本の秘めたWOW Valueを開花させるには、JUGAADを重ねる実証実験が有効だ。

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