第45回: ナゼナゼを支えるもの (Dec.2019)

 目前の課題に対するアプローチの違いを例に、日本とインドの人・組織の考え方の相違を紹介する “Innovation in India !” と題した講演が好評だ。先日もまた別の工科大学に招かれ国際会議の基調講演を仰せつかった。グローバル企業の経営陣や欧米でキャリアを積んで戻った教授陣と “インドあるある” をいかにInnovationに導くかの議論は尽きないが、数万人に上る在籍学生の就職先確保が最大の関心であり懸念でもある主催者の学校側は、少々違う角度から議論を聞いていたようだ。

 英語に不自由せず理系専攻が主流、修士・MBA卒が当たり前でもなかなか職にあり着けない当地。一番の理由は実際に業務を担える “即戦力” たり得ないこと、産業界の要請と学校教育との乖離がよく指摘される。が、そもそも “リターンの確実な投資” しかしない多くのインド企業・経営者は新卒採用などという社会貢献をする気はさらさらないのが本音だ。目下の競争力確保に必要なR&D投資すら渋り、安価な標準品をいかに創意工夫して使うかが開発担当者の務め。目指す結果が遠くとも、何等かTry & Errorを重ねている限り時間をかけることには比較的肝要だから、かなりの要職でなければ人材の替えはいくらでも効く。待遇くらいしか就職先を選ぶ基準のない新卒生は、期待される役割が低い分、簿給でもある。

 こんな市場環境において、学校側は数か月のインターンシップを "必修科目" として社会人の素養習得や就職先候補との関係構築を促すが、企業側にしてみれば単純な事務作業をさせる以外に使い道がないのが実態。どうも噛み合わない両者の間隙を埋めるには学生自ら “手に職” を付けるしかないのだが、恵まれた境遇に育った若者が “Comfort Zone” から抜け出すことへの心理的抵抗が大きいのは日本の同世代とも変わらない。”リスクフリーな学生の内に、信じて育った常識が通じない世界で挑戦してみること” を勧めた講演終盤のメッセージに、学校経営者・教授陣からは大きな賛同を得た。

 翻って当地の日本企業、誰もが知るブランドに人財が集まり十分な体制と資金を元に採用・育成できるのは一握りの大手に限られる。新卒に限らず採用に苦労のない企業はないだろう。比較優位な待遇と日本研修で釣ったところで、そもそも現法の立ち上げ段階では業務内容の定義も難しい。時に本社とも相談して社風や組織へのフィット感、育成計画の作成、育成係と当面のタスクの割り振りなど、散々手間暇を掛けて選考を重ねてオファーに至っても、辞退・すっぽかし、早々の退職願いで返されるのは珍しくない。思い返せば今、当地で手掛ける ”専門業務請負” という事業コンセプトはシンガポールに居た際、日本企業から受けた採用相談が発端だった。インドで日本型事業運営を行うのに、駐在員数名では力不足・役不足に過ぎる。

 日本人・日本企業が現場スタッフと向き合う中で最も難しいのは “ナゼナゼ” が通用しないことだと感じる。“少し考えれば分かるだろ?考えろよ” と言ったところで前提となる経験則を大きく欠いている。責めてはいけない、まずは言い分を聞いてやろう、と “何故こうなったのかな?” と優しく問うたところで “言われた通りやりました。違うならやり直します”。話を聞けば聞くほど、その場凌ぎの創造的な言い訳が溢れ出し、結局何を信じるべきかこちらが混乱させられるばかり。目の前で同じ過ちが繰り返されれば心も折れがちだが、そもそも “指示されたことをやる” のが作業者の役割、カイゼンは役職者の仕事だ。長らく規定された身分制度の下、指示する者とされる者が重層的に分かれた社会においては、“技能習得” の重要性が見過ごされている。

 2018年の統計によると、過去10年間で農業 (一次産業) 従事者が10%pt減少して44%となり、製造業 (二次産業) とサービス業 (三次産業) がそれぞれ5%ptずつ増え25%と33%を占めるのがこの国の産業構造だという。単純にこの比率を日本の歴史に照らせば1950年代の水準と近しい。社会全体としては未だ、成熟した製品・サービスよりも “目前の不足を満たす何か” への要望が強いのだろう。

 とはいえ既にY2Kから20年、印僑は世界に散らばり、グローバルプレイヤーは様々な苦労を重ねつつもインドへの挑戦を続けている。世界の最先端と数十年前、数百年前が隣り合わせのインド、2020年も楽しく過ごしていきたい。

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