組織構成で感情というファクターを無視しない

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。青木と申します。

現在の職種柄、特定の組織ではなく、定期的に様々組織を点々としながら仕事をしています。一応会社員ではありますが、現在の会社に心理的に帰属しているという感覚は全くありません。

そのような状況下で、組織構成、特に人員配置について感じたことを記したいと思います。

組織とは

アメリカの企業経営者バーナードによれば、組織とは「2人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力のシステム」とのことです。そして、組織には3つの条件が必要と定義しました。

① 組織として共通の目的があること

② メンバーが互いに協力し貢献する意欲があること

③ 相互に円滑なコミュニケーションが取れること

朝の満員電車に乗る人々は、目的地に向かうという目的は共通ですが、殆どの場合において、メンバー間のコミュニケーションはありません。その意味で、人間が長方形の電力装置に詰め込まれ、動く光景は組織ではなく集団と言えるでしょう。

会社組織とは、正に3要素に該当する点で組織と言えるかと思います。②の要素に該当しない会社は、もしかすると多くあるのかもしれませんが。

組織とは、共通の目的に向かい2人以上の人間が共同する集団、とこの文書では定義したいと思います。

情報システムとの共通性

組織がある目的に向かい互いに共同するという意味で、組織は情報システムに非常に似ているな、と思います。

情報システムとは、その名の通りある情報処理を実行するシステムです。古くはMISから、語るまでもなく様々な企業で、様々な形で導入されている仕組みです。

一般に情報システムは、ウォーターフォール的発想となりますが、ある業務上の要件を満たすために構築、運用されます。例えば在庫管理のシステムであれば、在庫がどの程度あり、後どの程度で補充が必要かという情報を管理し、発注点に到達した場合は自動で商品を発注する機能を持ちます。通常では人が目視で在庫を確認し、経済的な発注点を計算し、実在庫との差分を計算の上、必要に応じて発注を行うという一連の業務を実行する必要がありますが、在庫管理システムはこれらを自動化、効率化します。在庫管理システムは適正な在庫を管理するという目的に向かって動作していると言えるでしょう。

情報システムはただそこに大きな箱があり動作するわけではありません。複数のプログラム(だけでなく定義ファイルやDB等も当然必要ですが、ここでは割愛します)が組み合わさり、動作します。例えば上記の例であれば、残りの在庫数をカウントするプログラム、経済的な発注点を計算するプログラムなどが必要になるでしょう。その意味で、情報システムは複数の個体が共同する仕組みとも言えます。

上記のことから、情報システムはある目的のためにプログラムが互いに共同する仕組み、と捉えられます。このように、ある個体が共通の目的に向かい共同するという意味で、情報システムと組織は共通点が多いと言えるのではないでしょうか。そもそも情報システムの多くは組織の業務を効率化するために導入されるケースが非常に多く、共通性は必然の産物です。昨今謳われるDXとは異なる前時代的な文脈ではありますが。

組織や情報システムの3分クッキング

組織がある目的の達成を存在要件とする以上、多くの組織は目的から逆算される形で組成されます。プロジェクトチームなどはその最たる例と言えるでしょう(組織とチームは異なるというご意見もあるかと思いますが、あしからず)。

組織は、ある目的にはどのような要素が必要かという観点で作られます。会社組織であれば、組織論ではなく戦略論となりますが、バリューチェーンという考え方が代表的ではないでしょうか。

例えばポテトチップスの新たな商品ブランドを立ち上げるというプロジェクトでは、そのプロジェクトの推進・実行する上で必要な要素、つまりは機能を洗い出します。ブランドのコンセプトを考える企画という機能も必要であれば、消費者ニーズを分析したり、また適切な広告戦略を考えるマーケティングという機能も必要でしょう(マーケティングの正しい意味を捉えておらず、専門家の方には怒られそうですが。。)。はたまた製造工場と調整したり、プロジェクト全体のスケジュールや課題を管理する機能も必要かもしれません。このようにプロジェクト推進に必要な機能を考え、その機能を担う上で適切なスキルを持った人間を配置します。こうすると、不思議な事にポテトチップスの商品ブランドを立ち上げるという目的に向かい、共同する組織が誕生します。最も、実務において組織構成はここまで単純ではないですが。

オブジェクト指向で作られたモジュールを活用する情報システムも同様です。出前を自動で受け、配達するシステムを作る場合を例で考えてみましょう。

顧客から注文を受ける機能。顧客の位置情報を取得する機能。レストランに調理を指示する機能。配達員に配達を指示する機能。デリバリーに必要な機能を洗い出し、それに対応するプログラムを配置すれば、不思議なことに出前システムが誕生します。本論からそれますが、オブジェクト指向は正にこのようにモジュールを部品として使いまわすことを想定した、便利極まりないパラダイムです。

このように、ある目的から逆算として機能を考え、必要なリソースを配置するという意味で、情報システムと組織の形成は非常に似通っています。

人はプログラムではない

ある機能に従い人を配置し、スキルに見合った仕事を人にさせることは非常に合理的と感じます。しかしここに、大きな落とし穴があります。人とプログラムの大きな違いは何でしょうか?

それは人には感情がある、という至極当然の認識です。ここが組織に重大な影響を及ぼします。プログラムであればソースコードに従い動作し、求められた機能を基本的には確実に担います。しかし、人間は例えどんなにスキルがあっても、感情がそのを利用を阻害する限り、機能要件を満たすことは難しくなります。感情はともすると、機能実行を阻害する重大なバグとなりますはたからどんなにその人がその機能を担うことが合理的と思えても、本人がそれに心から納得していない限り、それは目的の達成に対して全く非合理な選択となり得るのです。

しかし組織の論理では、得てして人の感情を全体最適の観点から無視します。「嫌なら辞めろ」という言葉は、正にそのような文脈から発生する言説でしょう。それ以外にも「仕事だから仕方がない」という言葉も同様かと思います。その究極的な形が、全体最適のために個を否定する、全体主義と言われる形態でしょう。

組織構成において忘れてはならないのは、ある特定機能が組織の目的に必要な場合、その機能が潤滑に動くこと前提ということです。いくらその人のスキルセットが求められる機能に合致しているからといって、本人の意向を無視してその機能を担わせることは、機能の動作を歪め、組織の目的が達成されず、最悪の場合は組織崩壊にも繋がりかねません。人の感情を考慮することは、個人の尊重という観点だけでなく、組織という全体を考えても非常に重要なことなのです。

人のモチベーションを起点に組織を創造する

各個人が十分に力を発揮できるかは、スキルと感情の掛け算だと私は考えています。どちらかが0でも十分に人は能力を発揮できません。その意味で繰り返しになりますが、個人の感情を無視して組織の論理を押し付けることは、愚の骨頂と思います。

目的から機能を洗い出し、組織構成を考えるというプロセスは一見すると合理的で美しいのですが、ある機能に対して完璧なスキルと完全なモチベーションを持った人間がいるとは限りません。むしろ、そのような人間いることの方が珍しいでしょう。それにも関わらず合理性に執着し、人に機能を押し付けたところで、それは却って非合理な選択としかなり得ないでしょう。

その意味で組織構成では、今いる人員のモチベーションとスキルを起点とし、目的に対してどのような組織構成が取り得るか?という観点が必要と考えています。組織構成を人に押し付けるのではなく、人から組織構成を考える柔軟な発想が肝要なのではないでしょうか

最も大企業でこのように考え、実行することは非常に難しいでしょう。あまりにも巨大な組織の中で、個人の考えを尊重することは不可能に近いからです。人数が多いところでは、当然利害関係も多様に対立します。一人の意見を尊重することは、別の誰かの意見を無視する、ないし否定することに繋がります。その意味で、大企業という組織そのものが限界を迎えているのかもしれません。以前であれば転職自体の難易度、ハードルが高く「嫌なら辞めろ」が強い効力を持っていましたが、人材の流動性が上がる中では本当に辞めればいいだけです。村八分は脅しとしての効力を、特に若い世代に対して、完全に失いつつあります。

その意味で小さな、しかし個人の十全なる力の発揮を促す組織は、その力に圧倒的なレバレッジを掛けるテクノロジーにより、より大きな存在となっていくのではないでしょうか。


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