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「映画」ではなく「映画館」を楽しめる歳になった。

商業施設を歩いているとこんがりとした香りが僕の鼻に届いた。
2階の映画館から、キャラメルポップコーン(匂い)が流れてきたのだ。
ふと、2週間前に映画を観に行ったことを思い出した。

その日は、上映作品をろくに調べることないまま、映画館に足を運び、映画を観た。全く知らない作品だったのだが、結果として物凄く面白かったし、目が離せない展開にドキドキ、そしてワクワクした。

とても満足しながら帰路についた。そのときにふと感じたのだ。

僕は映画そのものに満足しただけでなく、映画館に行ったことに対して満足をしていた。休みの日に、のんびりと映画を見ているという、その瞬間に満足をしたのだ。内容はどうだってよい。右手にキャラメルポップコーン、左手にはコーラを持っているだけで、なんとも言えない高揚感に包まれるのだ。

"作品を楽しむ"だけでなく、"映画館"という空間を楽しむ。

若いころはそんなことを考えたこともなかったし、観たい映画、好きな映画があるときだけ映画館に足を運んでいた。少ないお小遣いでポップコーンを買って、満足げに頬張っていた。

昨今の時代では、AmazonPrimeやらNetflixなど、動画配信サービスで映画を観る人が増えてきたし、主流にもなった。少し待てば続々と新作映画が配信され始め、好きな時間に観ることができるのだ。たった500円程度の月額費だけで、それはそれは何本も、好きなだけ。

このサービスによって、便利さは増したが、映画に対する緊張感は無くなった。何かあったらリモコンの四角いボタンを押して時を止めればよい。犬が妨害してこようが、母親が夜食を持ってこようが、友達や恋人から電話がかかってこようが、睡魔が襲ってこようが。明日の暇な時間に再開できる。TSUTAYAで7泊8日で借りていたDVD、新作は1日で返さなればならなかったあの時代が懐かしい。

代わりゆく世の中、変わりゆく自分の感性。

映画館で観た映画は忘れなくなった。…というより家で観る映画が忘れやすくなったのかもしれない。金曜ロードショーだって楽しんで観なくなってしまった。沢山の人が映画に対する口コミをネットに書き込む。それを見て、良いレビューが蓄積されたのものだけを選択するようになってきた。失敗はしたくないという強い思いから、評判の悪い映画を観ようとはしなくなった。

僕たちの映画に対する感覚は変わっていった(と思う。)映画館が今後勢いを落とさずに集客をしていくには、映画に対する緊張感をなくさないように提供することが大事だ。映画館自体に価値を感じてもらうこと、音響やらなにやらに期待して行きたい。今までも当たり前ではあるが尚更だ。

しかし、偉そうに言うけれど、本当は何も変わってほしくない。みんなで映画館に足を運びたい。大画面で並んで、同じ方向を見つめ合いたい。ポップコーンの咀嚼音が気になって、静かなシーンには食べられなくなる現象もあって良い。後ろの人が観にくいかもしれないと気になって、背筋を伸ばして座れなくても良い。途中で退出することが絶対に嫌で、開場前に必ずトイレに行くことも今後も繰り返していく。

それが映画館での僕の生き方なのだ。

またきっと何度も映画館に足を運ぶ。

何を観ようが、その時間に、空間に、満足している限り。

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