スポーツとの比較から見るeSportsの現状と展望:「プロ」と「アマチュア」の関係

はじめに

 本文では、主にプロ活動とアマチュア活動の観点から「スポーツ」と「eSports」を対比させ、eSportsの現状の確認と、今後の展望について述べる。

 今までは「ゲーム」というと、勉強や仕事と対をなす、娯楽のためのものであった。それが「eSports」という名前とともに、真面目に競技をする活動が行われるようになってきた。
 しかし、それはまだまだ発展途上であるし、問題も山積みであろう。一部の人たちの間で盛り上がっていたものが、ゲーム配信というものの発展もあってか、一般にも認知されるようになってきた。ゲーム界隈が競技として盛り上がり、その結果として「eSports」や「プロ」が生まれるようなボトムアップ式ではなく、一般人からすると突然にそれらが出現したような印象を受けてしまう。土台ができていない頭でっかちなものは、崩れるのも容易である。eSportsというものを、確固たるものとして発展させるためには、基本的な理念や方針を考慮する必要があるだろう。

 1章から4章は、概念的な話や理念などの堅苦しい、めんどくさい内容である。あまり面白くもないので、2-1の「プロゲーマーの定義について」や、文末の「現状の諸問題」だけでも、読んでいただけると幸いである。

1章 「eSports」とは何を指す言葉か


 はじめに、「eSports」について語る際の重要な注意点を提示する。現状で使われている「eSports」という言葉が何を指しているのかを確認したい。「eSports」について語るとき、問題提起をするとき、「eSports」で一括りにすることができるのだろうか。


1-1いわゆる「スポーツ」の例
 野球やサッカー、陸上競技や水泳など、いわゆる「スポーツ」と呼ばれるものがある。それぞれのスポーツにおける「組織」や「理念」は、当たり前だが多種多様で、一括りにできないようなものである。それは同じスポーツの中でも、活動している人たちや目的によっても様々である。
 例えば野球ならば、公園で子供が遊んでいる野球と、甲子園を目指している部活動、プロ野球チームでは、同じ野球でも目的も理念も違う。近年は野球ができない公園が多いが、子供が公園で野球をすることで生じる問題には、親や自治体、学校などが対応するべきで、それぞれがルールを定めたりする。子供の野球遊びについてプロ野球チームに問い合わせることは意味がない。
 「部活」といって一括にしても、それぞれの学校によって力の入れ具合は異なる。スポーツ推薦で選手を集め、全国大会出場、その後のプロ入りまで目指すような部活動もあれば、普通の公立高校で文武両道として活動している部活も多い。大学であればプロ入りが間違いないレベルの選手やオリンピック代表の選手、あるいはサークルで楽しくやっている人たちまで様々である。 また、同じ「プロ」といっても種目によって組織も理念も異なる。日本の野球の「プロ」とは「NPB(日本野球機構)」のことであり、サッカーならば「JFA(公益財団法人日本サッカー協会)」である。「プロ野球」や「Jリーグ」といった表現をするならば、これらの組織を参照すればいい。
 プロ野球とJリーグは理念もチームの経営方法も異なる。もっとわかりやすい例ならば、「大相撲」もそれらとは全く違う。

 以上のように、単に「スポーツ」と言っても、それぞれの種目ごとに組織や管轄が異なり、一括りにできるようなものではない。われわれが「スポーツ」について語るとき、それがそもそもの概念の哲学的な話や、「日本のスポーツ界はこうあるべきだ」というような全体的な話ではなく、個別的で具体的な種目についてものならば、その対象について語るべきである。プロ野球について語るときは、プロ野球について語るのが正解であり、「スポーツ」について語るのは適切ではない。

1-2 eSportsは? 
 1-1では「スポーツ」の例を示したが、「eSports」ではどうだろうか。これはスポーツ以上に曖昧で、多種多様で、複雑である。eSportsで「大会」や「プロリーグ」というものを開催している組織もあり、それが何なのかは、その大会やリーグを参照すればいい。
 例えば、「PUBG JAPAN SERIES(PJS)」であれば、DMMが主催している(ようだ。PUBG関連は昔からわかりにくい)。「League of Legends Japan League(LJL)」はライアットゲームズ日本がオーナーであり、「実況パワフルプロ野球」の「eBASSEBALL プロリーグ」は、NPBとコナミの共催である。
 「スポーツ」でも示したように、eSportsでもそれぞれの種目によって組織も異なれば、理念や運営方針、利益の出し方なども異なる。
 ここに挙げた3タイトルは、ある程度の知名度や実績もあるタイトルであるが、もっとマイナーなものや、なくなってしまったものも数多くある。PJSやLJLの選手たちを、知名度もなく大会やってるかわからないようなタイトルの「選手」と同列に扱うことはできない。

 このように異なるものを、ただ「eSports」として語るのは、やはり無意味であろう。スポーツの時と同じように、具体的な話ならば、それぞれのタイトルやプロリーグについて語ることはできるが、eSportsについて語ることはできない。特にスポーツとは違い歴史も浅いeSportsは、対象によって様々なことが異なりすぎている。

1-3 JeSU
 「組織」についていえば、「一般社団法人日本eスポーツ連合(JeSU)」というものがある。見づらい公式サイトにアクセスすれば、設立の趣旨や認定タイトルについて確認することができる。
 現状のこの組織には、あまりいい印象をもつことはないだろう。1-2で挙げた3タイトルは認定タイトルではなく、この組織とは関係がない。認定タイトルでないところで活動している人たちからしてみれば、自分たちでゲームを盛り上げ、大会を開き、選手がプロとして活動できるようになったのに、なぜそんな組織の世話にならなければならないのか、と思っても不思議ではない。
 私としても、JeSUの認定タイトルのゲームはどれもプレイしていないし、大会やリーグを見てもいないため、現状としてはこの組織には必要性を感じていない。しかし、eSportsというものが発展していくために、あるいは発展した先には、しっかりとした公式の「組織」が必要であるとも思う。現状のeSportsは色んな意味で「ちゃんとしてない」ため、それが良いこともあるが、今後の発展や経済活動の面も考えると、「ちゃんとした」組織は必要であろう。
 ともあれ、現状ではJeSUが管理しているのは公認タイトルだけで、eSports全体を管轄しているとは言い難い。したがってeSportsについて語ることはJeSUについて語ることとは異なる。公認タイトルでないものの話をJeSUに持ってこられても困るだろうし、JeSUの理念等を別タイトルに当てはめるのも誤っている。

参考:
JeSU (Japan esports union)  https://jesu.or.jp

小括
 以上のように、1章では「eSports」というものが指す対象は「スポーツ」と同様にそれぞれ異なっており、同列に語ることはできないことを確認した。
 eSportsは発展途上であり、成功例もあれば、様々な問題も生じている。しかしこれらはそれぞれのタイトル、組織によって異なるため、「eSports」として一括にして語ることは無意味である。Jリーグについて語るとき、「スポーツ全体」として語ることはしない。同様に、eSportsについても、それぞれのタイトルについて語る際に、eSports全体で語ってはならない。
 したがって、例えば「eSportsって何なの?」「eSportsの選手になるにはどうすればいいの?」「eSportsの理念は?」というような問いには、「わからない」としか答えられない。問いの「eSports」という言葉が何を指しているかわからないためである。eSportsと一括りにせず、それぞれのゲームタイトルやチーム、選手といった個別の具体的なものを対象にして語るべきである。
 ただし、1章で述べたようなことはあくまでも「個別の話題を全体化してはいけない」というだけであり、「eSports全体について」語ることももちろん可能であるし、「eSportsではーーー」という表現を用いてから、各タイトルを当てはめることもできる。
 
 2章以降では、eSportsの全体的な理念や概念について述べる。その内容は、1章で述べたようにそれぞれのタイトルによって異なるため、「全てがこうであるべき」のような考え方をしてはならないことには留意したい。大まかな概念を示し、それが各タイトルにどのようにあてはまるのかを考えていきたい。


2章 「プロ」と「アマチュア」

 ゲーム大会の規模が大きくなり、経済的な広がりを見せたとき、「ゲーム」ではなく「eSports」と呼ばれるようになっていった。ここでは、プロとアマチュアについて、特に「アマチュア活動」について述べる。

2-1 「プロゲーマー」の定義について 
 eSportsの広がりとともに、「プロゲーマー」と呼ばれる人たちが現れるようになった。このプロゲーマーとはどのような人を指すのか、どうなったらプロゲーマーなのか、定義は何なのかと、様々な問いが投げかけられることがある。ここでは、定義が重要なのではなく、「プロゲーマー」という言葉を使う人の考え方が重要であるということを述べる。
 
 「スポーツ」の場合、ふつう「プロスポーツマン」のような言い方はしない。それぞれの競技において、「プロ野球選手」「プロゴルファー」のように呼ばれる。それに倣うならば、eSportsの場合でも、「LJLの選手」のように、個別のタイトルの選手である表現をすればよい。
 しかし、いわゆる「プロゲーマー」と呼ばれる人たちは、そのような現役選手だけでない場合がある。特定のタイトルに選手として参加しているわけではなく、複数のタイトルを配信でプレイすることを仕事とする人たちもいる。そのような人たちを「プロゲーマー」と呼んでいいものか。
 
 これに関しては、「どうでもいい」と思う。どうでもいいというのは、議論がくだらないという意味もあるが、「どうあっても良い」とも言える。
 「スポーツ」の例でも、それぞれの「プロ」の活動の仕方や、賃金の発生方法は様々である。プロチームに所属し、チームから給料がもらえる選手もいる。その選手は年俸契約であったり、出来高契約であるかもしれない。チームからの給料とは別に、スポンサーから契約金をもらっているかもしれない。あるいは個人で活動しているため給料はなく、大会の優勝賞金で稼いでいるかもしれない。
 チームとの契約も、いわゆる「客寄せパンダ」的な意味で所属している人もいるし、試合の戦力というよりはコーチとしての役割を求められている人もいる。怪我をしてリハビリするだけの1年でも、何千万、何億の給料が発生するプロ野球選手もいる。
 プロリーグがないような競技であれば、企業の社員や大学の講師・コーチをしながら、トレーニングをして大会に出場する人もいる。
 
 「プロゲーマー」に関しても、その仕事内容は様々である。eSportsについてはここ数年で発展してきたものであるので、旧来の定義をそのまま当てはめることはできないし、当てはめる必要もない。eSportsは今までのスポーツとは、賃金の発生する仕組みや顧客の消費方法など、金銭の動きの面でも異なっている。

 1章でもとりあげたように、それぞれのタイトルによって異なっているため、一括して「プロゲーマーの定義」というものを定める必要はないだろう。しかし、そうだからこそ「プロゲーマー」という言葉を使うときは、どのような意味であるかを確認しなければいけない。
 あるeSportsの選手で、YouTubeの動画のタイトルやサムネイルに「プロゲーマー」という言葉を用いている人がいる。その人はプロリーグの選手であるし、仕事としてやっているので「プロゲーマー」といっても異論はないだろう。そしてやはりYoutubeのタイトルやサムネイルに「プロゲーマー」という言葉を使うほうが目に付きやすいし、再生されやすいであろう。「プロゲーマー」という言葉を適切に最大限活用しているといえる。
 
 しかし、一般人が「プロゲーマー」という言葉を使うとき、それは自身で「プロゲーマー」とは何かを省みる必要がある。「あの人ってプロゲーマーなの?」という問いをたまに見るが、その「プロゲーマー」というのはどういう意味なのかを逆に問いたい。「プロ野球選手なのか?」という問いは、「NPBに選手登録されている人物なのか?」という問いに等しいが、「プロゲーマーなのか?」という問いは、問いが曖昧で、何をもってして問う本人がプロゲーマーだと認定するのかがわからないため、答えようがない。

 
 以上より、「プロゲーマーの定義は?」という問いには、「定義はない」と答えるし、ある人が「プロゲーマーかどうか?」という問いには、「そのプロゲーマーってどういう意味?」と逆に問うことになるだろう。これは消費者側の問題であり、「プロ」という言葉を勝手に盲信してはならない。
 あるゲームのプロリーグにおいて、「プロの選手」というならば、定義ははっきりしているだろう。安易に「プロゲーマー」などという広く曖昧な括りの言葉を使わず、その人物(選手)についてしっかりと理解し、どのような活動(仕事)をしているかを正しく把握しようとする姿勢が重要であろう。

 「プロゲーマー」という言葉は現状では曖昧であるが、今後何十年もeSports業界が発達していけばチームや契約のシステムも整備されていき、何をもってプロと呼ぶのかがはっきりするかもしれない。あるいは一般人がeSports界隈にさらに詳しくなれば、「プロゲーマー」という言葉がある程度の共通理解をもって使用される言葉になるかもしれない。「プロ野球選手」といえば、ある程度は通じるように。
 将来的には気軽に使える呼称になるかもしれないが、先に述べたように、現状では対象となる人がどのような活動をしているのかを正しく把握するようにしたい。

2-2 スポーツの「プロ」と「アマチュア」
 1-1でも述べたように、「スポーツ」には様々な人たちがいる。スポーツ少年団に所属する小学生も、甲子園を目指している高校生も、プロとしてプレイしている人達もいる。それらは全てスポーツである。

 スポーツは、基本的には「プロありき」ではない。多くのスポーツがあるが、日本国内ではプロリーグが存在するものの方が少ない(代表選手という意味なら、ほぼ全てのスポーツには存在するが。実業団に所属している選手をプロと呼ぶかどうかは定義の話になり、今は問題としない)。
 スポーツを楽しむ人のほとんどはアマチュアであるし、プロを目指していない。その競技にプロリーグが存在していなくとも、自分がプロになれる実力がなかったとしても、関係がない。自分がスポーツを楽しめればいいのだ。それは個人だけでなく、部活動を管轄している学校からしても、基本的にはプロ云々は関係ないし、スポーツメーカーは各商品をもちろんプロにも提供するが、アマチュア相手にも商売をする。

 繰り返しになるが、「プロ」の存在とは関係なく、「スポーツ」を楽しむ人や団体がほとんどである。
 ただしそれは、あくまでも個人やそれぞれの部活、チームがプロに直結しないことがほとんどだというだけで、プロの存在がその競技全体に影響を与えていないというわけではない。競技人口や技術・機材のレベルアップに貢献していることは間違いない。しかし、個人や各団体が「スポーツを楽しむ」というのは、プロありきではない。 


2-3 eSportsの「プロ」と「アマチュア」 
 2-2ではスポーツのプロとアマチュアについて述べたが、ではeSportsではどうだろうか。ここでいう「eSports」が何を指すのかがわからないと答えようがないと1章では述べたが、現状で「eSports」と呼ばれているものに、やや曖昧ながらも当てはめて考えていきたい。

 2-1でも触れたが、何を持って「プロ」というのかが曖昧なため、その活動がプロである/プロでないと明確に定義づけることはできないが、現在のeSportsと呼ばれている活動は、ほとんど「プロ」と関連性が強いものであると言っていいだろう。
 各ゲームタイトルのリーグ戦や大会に、プロゲーミングチームと呼ばれる組織に所属する選手たちが出場し、賞金をかけて戦う。あるいはその選手やチーム、放送や配信にスポンサーがつき、金銭やデバイス等を提供する。チームや選手は、その大会やリーグ戦に向けて練習をする。これが現在の日本のeSportsと呼ばれているものの仕組みであろう。

 一方で、例えば私のような一般人がただゲームをすることは、eSportsとは呼ばれないだろう。一般人が出場できる大会に個人やチームで出場することはあり、もしかするとそれをeSports活動と呼んでも良いかもしれないが、ここで重要なのは定義の問題ではなく、アマチュアのeSports活動という点である。

 2-2で述べたように、「スポーツ」はアマチュアの活動がほとんどであり、盛んである。部活している人たちは、練習試合をしたり、大会に出場したりする。水泳部に所属している人はタイムを伸ばそうと練習しているし、市民ランナーと呼ばれる人は次の大会に向けて今日も走っている。週末は草野球のリーグ戦に出る人もいる。

 このようなアマチュアの活動が、現状のeSportsにはほとんど見られない。要因はいくつか考えられる。

 まず、単純に「やる気がない」というものである。やる気がないというとネガティブに聞こえるが、ゲームは本気でやるのではなく、あくまでも趣味として楽しむ程度でいいという、いわゆる「エンジョイ勢」の人たちが多く、「ガチ勢」はプロ活動やそこに近い人達しかいない。そのため、アマチュアのeSports活動はそもそもやろうとする人が少ないのではないか。
  これに関しては、半分は正解であろうが、もう半分はわからない。たしかに、ゲームを本気でプレイする人よりは、趣味の範疇で遊びとしてプレイする人のほうが多いだろう。しかしそれは「スポーツ」に関しても同じで、ある程度の年齢になると「部活」よりは「サークル活動」のようなスポーツをする人が多いだろう。
 そしてスポーツをある程度本気でやろうとする人は、ほとんどがアマチュアの「部活」や「クラブチーム」に所属する。eSportsには、このようなものが殆どない。

 これは、まだまだeSportsが発展途上だということもあり、なんともいえない。卵が先か鶏が先かという話で、部活のようなものがあるから本気でやろうとするのか、本気でやろうとする人が多いから部活ができるのか。「eSports部」がある学校もあるが、まだ一部である。eSportsの専門学校(専門校?)も存在するが、いい噂は聞かない。
 
 ただ、個人的な感想でいえば、子どもたちの若い世代は、ゲームに真剣になれるし、真剣にやりたいと思っているように感じる。ゲームを野良でプレイしているときも、大人よりは子どもたちのほうが積極的にボイスチャットを活用し、勝つために必死でプレイしている人たちがいる(もちろんそうでない人も多い)。アマチュアの部活やチームがもっとたくさんできれば、所属する子どもたちは多いだろうし、真剣にプレイすると、私は思う。

 また、「ランダムマッチ」「ランクマッチ」の利便性向上も、この問題に関わってくる。現在のオンライン対戦ゲームは、ほとんどのゲームで自動的にマッチングがされ、同じ程度の実力の人たちと対戦をすることができる。これは非常に便利な機能であり、チームや部活に所属しなくとも、(ゲームにもよるが)ある程度充実した勝負を楽しむことができる。
 これはオンライン対戦ゲームにおいては非常に優れた点であるが、アマチュアのeSports活動という観点から考えると、一長一短である。繰り返しになるが、わざわざチームに所属しなくとも、対戦を楽しめることは便利である。しかし、それはあくまでも野良試合であり、どうしても真剣味は薄れてしまう。味方が全員パーティで連携を取りながら上達を目指している人たちもいるだろうが、相手チームが野良の人たちの集まりだという場合だと、どうしても試合のレベルはフルパーティ同士の対戦よりは劣ってしまう。
 アマチュアのチーム活動や試合・大会もないわけではないが、「スポーツ」に比べると圧倒的に比率は低い。
 
 一般のスポーツの場合では、部活やクラブチームに所属し、チームスポーツならチーム内で優れている選手が試合に出場でき、対戦相手も同じようなチームである。監督やコーチの指導もあり、チーム内で競争もある。真剣勝負の試合をし、さらなるレベルアップに向けて練習をする。部活やクラブチームに所属する「スポーツ」ではそのようなサイクルが存在し、アマチュアの活動としても充実したものとなっている。

 ゲームとeSportsの違いの一つは、この要素かもしれない。アマチュアのチームや部活ができ、そこに所属する選手たちが練習し、試合に出るようになれば、それはゲームではなくeSportsと呼ばれるものに昇華できるのかもしれない。

 ランダムマッチが充実していない昔のゲームであれば、やる気のあるプレイヤーたちがチームやクランを組み、クラン戦と呼ばれる活動をしていた。いくつかのゲームで私にもそのような経験がある。
 それはeSportsの走りのようなものと言うことができるが、eSportsの機運が高まってきた今の時代に、そのような活動が減り、ランダムマッチが主流となってしまったというのは皮肉なものである。

小括
 2章では、「スポーツ」と「eSports」のそれぞれについて、「プロ」と「アマチュア」の活動について確認した。「スポーツ」においては、プロもアマチュアも充実した活動をする環境も整っており、若い世代を中心に真剣にプレイする人たちも多くいる。一方で「eSports」においては、アマチュアでそのようにプレイする人は少なく、環境も整っていない。
 ただし、アマチュア活動の発展がeSportsに必要なことかどうかはわからない。たしかに「eSportsの発展」という大きな意味では、アマチュア活動が活発になることも重要であろう。しかし、現状のeSports界隈では、それをやっている余裕がなかなかない。プロチームは自チームと選手を発展させることが最優先であり、アマチュアにかまっている余裕はないだろう。eSportsが発展すればいいとは思っているだろうが、一つのチームがそのような活動をするメリットはほとんどない。

 「スポーツ」ではアマチュア活動も盛んに行われていると述べたが、種目によってその程度は異なるし、アマチュアの人口が少ないようなものもある。例えば、フィギュアスケートの大会は地上波で放映され、トップ選手の知名度は高いが、競技人口は数千人程度である。逆にバスケットのように競技人口が多くとも、プロの試合がテレビで放映されることはほとんどない競技もある。競技によって、プロとアマチュアの関係は様々である。

 eSportsがプロとアマチュアをどのように発展させていくかは、それぞれの組織の理念によるだろう。「アマチュア活動を推進していないから今のeSportsは駄目だ」というふうに安直に判断することはできない。しかし、現時点では「アマチュアのeSports活動」というものはほとんどなく、ただの娯楽としての「ゲーム」が存在するのみであろう。

3章 eSportsと「競技性」


 3章では、eSportsの「競技性」について述べる。eSportsという言葉の定義は曖昧ではあるが、「ゲーム」と「eSports」の違いは、この「競技性」にあるべきではないだろうか。

3-1 「競技」を楽しむということ 
 2-3でも触れたが、スポーツだけでなくゲームにも、勝負を真剣に楽しむ要素がある。個人、あるいはチームで練習をし、真剣勝負の試合や大会に挑む。試合の後は反省し、さらに練習をする。このようなサイクルがスポーツには存在し、それをゲームにも適用したものがeSportsと呼ばれるようになっていったように思われる。

 ゲームでもスポーツでも、「ガチ勢」と「エンジョイ勢」というような対比がなされることがあるが、言葉的には「ガチ勢」と「非ガチ勢」と言うべきだと思う。ガチ勢は楽しんでいないわけではない。部活動の本気度が増すと、厳しい練習に耐えるような面ばかりに注意を奪われがちであるが、それはあくまでも一面である。
 努力して自分の能力が向上すること、記録が伸びること、試合に勝つことは楽しいことであり、喜びである。試合中に全力で走ったら勝てるという場面で、疲れるのは嫌だから全力を出さないという選手はいない。
 努力して能力が向上し勝利を掴むというのは簡単なことではないし、誰でも享受できる喜びではない。しかし難しいからこそ、全力で取り組む価値があるのだと思う。

 「ゲームは楽しくプレイするものだ」というのは、どこでもキャッチフレーズのように言われることである。しかし上述のように、ガチでプレイすることも楽しいのである。一般的に、ゲームをガチでプレイすることは間違いで、エンジョイ勢としてプレイすることが正しいというような認識が、ゲーム界隈には存在しているように感じられる。

 ゲームは「ガチ勢」よりも「非ガチ勢」のほうが多いだろうし、非ガチ勢はガチ勢に文句を言われたくないので、そのようなキャッチフレーズや、楽しむ(ガチでやらない)ことが一番だというような認識が広がっている。
 これは、別に悪いことではない。ゲームは娯楽としての面が大きい。勉強や部活、仕事などで気を張って疲れている人が多い中、家庭で誰でも楽しめるゲームというものはとても良い娯楽である。もちろん程度にもよるが、他の趣味に比べると金銭や時間の負担も少ない。ガチでやる必要性などどこにもない。

 ただし、それが完全なる正義というわけではない。スポーツをするうえで「部活」に所属する人が多いように、真剣に競技をすることも楽しいのである。繰り返しになるが、ゲーム界隈は「非ガチ勢」の方が正義だとされることも多いが、競技としてガチで楽しむことは十分可能である。
 
 そして、4章でも述べるが、ゲームをゲームではなくeSportsと呼ぶために必要なのは、この競技性にあるのではないかと私は考えている。


3-2 競技性の現状
 3-1では、ゲームを「競技」として楽しむことも可能であるということを述べた。では、現状はどうだろうか。
 現在、eSportsと呼ばれるものは、2-3でも述べたようにプロの競技である。プロとして活動している人たちは競技を楽しんでいることだろう。一方で、一般のゲームプレイヤーのほとんどは、競技として楽しむのではなく、娯楽として楽しんでいる。
 では、一般のゲームプレイヤーが競技としてゲームを楽しもうとすれば、どうすればいいのか。

 これは2-3でも述べたように、現状ではなかなか難しい。スポーツの「部活」のように、競技を楽しみたい人が集まってプレイする環境が、ゲームには整っていない。真剣にゲームに取り組みたいプレイヤーでも、野良のランクマッチをプレイすることがほとんどである。
 このことが、「ガチ勢」と「非ガチ勢」の軋轢を生むことにもなる。プレイングの本気度の違いもあるが、チームに所属していない場合、同じガチ勢であっても目的意識や理念等も異なり、真に競技性を楽しむことができない。

 競技性というのは、個人がただ単に試合に勝とうと思うことだけではない。チームに所属し、監督・コーチから指導を受け、練習をし、上達を目指し、同じチームの選手とも競争をして試合に出場できるようになり、試合での勝利を目指す。そのような一連のサイクルが、競技性と呼ぶには相応しい。

 現状のeSportsと呼ばれるプロが行っている活動では、このような競技性はある程度発揮されているように感じられる。しかし一般人やアマチュアがプレイする場合では競技性を見出すことできないし、そのような環境を求めることも難しいのが現状である。

小括
 3章では、「競技性」について述べた。ゲームは娯楽としてだけではなく、競技として楽しむことも可能であり、そのような競技性をもってして、ゲームはeSportsと呼ばれる存在になれるのではないか。
 そういう意味では、現状ではその競技性を楽しむような環境がなかなか整ってはいないため、「ゲーム」は普及していても、「eSports」はなかなか普及していっていないと言えるだろう。


4章 スポーツのチカラ


 4章では、スポーツのチカラと称し、スポーツをすること(させること)の効用、有用性、意義について述べる。スポーツとは娯楽であるのか、肉体・精神修養であるのか。あるいは、商業目的の興行であるのか。


4-1 アマチュアスポーツの理念
 中学校以上のほとんどの学校では「部活動」が行われており、多くの若者がスポーツに勤しんでいる。「文武両道」というスローガンは多くの学校でみられ、学校教育において部活動としてスポーツをすることが教育のためになっているという考え方が共通認識としてあるように思われる。

 文部科学省のガイドラインにも、以下のような記述がある。

 生徒の心身にわたる成長と豊かな学校生活の実現に大きな役割を果たし、……スポーツは、人類が生み出した貴重な文化であり、自発的な運動の楽しみを基調とし、障害の有無や年齢、男女の違いを超えて、人々が運動の喜びを分かち合い、感動を共有し、絆を深めることを可能にします。さらに、次代を担う青少年の生きる力を育むとともに、他者への思いやりや協同する精神、公正さや規律を尊ぶ人格を形成します

参考:
「平成25年 運動部活動での指導のガイドライン」http://volleyball-yva.jp/data/mext_guidelines25.pdf
 
 また、アフリカのタンザニアでは、日本からの援助もあり、野球がプレイされている。「アフリカ野球友の会」によるYoutube動画によると、タンザニア野球のスローガンは「Descipline, Respect, Justice(規律・尊敬・正義)」であるという(「Descipline」は原文ママ)。「第5回タンザニア甲子園大会」の動画中では、野球コーチで学校教師のカボネカ先生が以下のように語る。

 子どもたちには、野球をプレーすることで社会に出た時にいい大人になってもらいたい。彼らは「規律・正義・尊敬」を学ぶ。大人になった時に、野球を通じて規律などを学んだことが人生において役に立つようになる。そして、模範的な国民になれる。

 また、第6回の動画中では、学校教師・野球コーチのヘレン先生は以下のように語る。

 野球をしている子どもたちの大半は野球に出会う前よりも学力がとても向上し、日々の生活に立っています。何人かの子どもたちは大学などに進学し、高校の試験に合格する生徒もいます。野球のおかげで賢くなりました。時間を守ったり、一生懸命野球を練習する時の姿勢がテスト勉強にも生かされています。(野球が)学力向上につながってとても嬉しく思います。 

(どちらも一部句読点は筆者挿入) 
参考:
「第5回タンザニア甲子園大会」
https://www.youtube.com/watch?v=MUDc9i1UJrk
「第6回タンザニア甲子園大会(初めての球場が完成!)」https://www.youtube.com/watch?v=eNhmoDoXS-E

 以上のように、日本だけでなくアフリカにおいても、若い年代がスポーツをすることは、人間の成長において有用であるという。これはおそらくこの2つの国だけではないだろう。古代ギリシャの時代から修養のためのスポーツは行われており、これは世界・人類共通だと考えてよいと思われる。


4-2 eSportsの理念
 では、eSportsにおいてはどうだろうか。結論から言えば、eSportsに4-1のような理念はない。これは批判しているわけではなく、2章で述べたようにeSportsにはアマチュア活動がないからである。現状では「プロ活動」こそがeSportsと呼ばれるものであるので、選手たちは「教育のため」にプレイしていないだろうし、チームの運営者も教育目的で選手を募集していないだろう。
 
 「プロ活動」がeSportsであるならば、一番の目的は興行であり、経済活動である。こちらも金儲けを批判しているわけではない。「プロ」と呼ばれるためにはただプレイするだけでなく、経済的に成功することが必要不可欠であろう。
 それでは、「プロ活動のみ」がeSportsなのであろうか。こちらも2章で述べたが、「スポーツ」は「プロありき」ではないが、現状のeSportsはほとんど「プロ活動」のみである。
 では、eSportsはスポーツのような「教育のためになるような理念をもつアマチュア活動」が、行われることになるのか。行われるようになるべきなのか。

 4-1に挙げたような理念は、「文科省」や「学校の先生」によるもので、いわゆる「真面目」な話である。そして、現状の日本における「ゲーム」というのは、真面目なものではない。3章でも少し述べたが、ゲームは娯楽として楽しまれている。勉強や部活、仕事などを真面目にやっている一方で、息抜きとして、楽しみとしてゲームをエンジョイしている。あるいは、「真面目にできない」人たちにも、それは有効な娯楽となりうる。勉強や部活の能力が低くても、ゲームはクリアすることはできるし、対人戦で勝てるかもしれない。

 繰り返しになるが、現状ではゲームのプレイヤーは娯楽としてゲームを楽しんでいることがほとんどである。若者であれば学校の勉強や部活とは違い、真面目にやらなくてもいいもの、真面目にできなくてもいいものである。そのような娯楽が、教育のための真面目なものとして、受け入れられるのであろうか。

 私の個人的な意見としては、2-3でも述べたが、子どもたちが真面目にゲームを「スポーツ」のように活動する環境が整えば、学校の部活や、アフリカの野球のようなものになりうると思う。ちゃんと指導者がつき、人間の成長のため、教育のためになると思う。もちろんそこではワガママに、好きにゲームをしていいわけではない。部活動、クラブ活動のように、真面目に「eSportsとして」ゲームをし、それを楽しむのだ。
 そしてそれは現状の娯楽としてのゲームを妨げるものではない。競技としてプレイしたい人はすればいいし、辞めたければ辞め、娯楽として楽しめばいい。スポーツや部活でも、その競技をずっと続ける人もいるが、そうでない人も多い。小学生のときだけサッカーをしており、大学でフットサルサークルに入るというような人も多いだろう。

 ただし、これは棲み分けができているからである。大学であれば真面目にやりたい人は部活動に所属し、娯楽として楽しみたい人はサークル活動をするだろう。しかし、2-3でも述べたが、現状の対人はランダムマッチが主流である。同じレベルの人たちとマッチングされるようにはなっているが、真面目にやっている人たちと同じフィールドでプレイすることになるし、ランキングやレーティングシステムによる「格付け」も強制的になされてしまう。現在のゲームプレイヤーたちからすると、好ましくないと思うことも少なくないだろう。ただでさえ、勉強や仕事でそのようなストレスに追われているのに。
 この考え方はゲームやプレイヤーによって異なるものである。ランクマッチがないゲームもあれば、ランクマッチしかないものもある。どちらもあるゲームでも、ランクマッチは全くしない人も、それしかしない人もいる。どちらが正しいというものでは、もちろんない。しかし、eSportsをアマチュア活動まで広げるのであれば、避けては通れない問題である。

小括 
 4章では、アマチュアスポーツの理念を元に、それがeSportsにも適用できるのかを考えた。現状ではなかなか難しいであろうが、環境さえ整えば、そのような活動としてeSportsを行うのは不可能ではないと私は考えている。真面目にeSportsに取り組むことは、部活動としてスポーツに取り組むのと同じように、子どもたちの教育の役に立つであろう。 

おわりに:eSportsは「スポーツ」を目指すのか


 以上、1章から4章にわたり、eSportsの現状とスポーツとの差異を、特に「アマチュア活動」の観点を重視して確認してきた。
 しかし1章でも述べたように、ここでいう「eSports」が何を指しているのかには十分注意しなければならない。eSportsにアマチュアスポーツのような競技性や理念が必要なのかもしれないが、それは一体誰がそうさせ、誰がそうするのか。黎明期からゲーム業界、eSports界隈を盛り上げてくれた選手やチーム、スタッフたちに、偉そうな机上論をなげかけ、あなたたちのやっていることは間違っているというのは、適切ではない。
 「スポーツの理念」などと偉そうなことを書いているが、そのようなことは望まれていないかもしれない。「アマチュア活動」の観点でも同様に、そんなことはどうでもよく、「プロ活動」が視聴者を集め、スポンサーを獲得できればそれでいいのかもしれない。
 
 もしかすると、JeSUか、あるいはそのような組織がさらに発展し、アマチュアのeSportsが普及するかもしれない。数十年後には、多くの中学・高校でeSportsが部活として行われているかもしれない。

 そうなるために必要なのは、ただ「流行ってる」というだけではなく、しっかりとした理念が必要であろう。発展させるためには、本論で述べたようなことが正しいか否かではなく、このような観点をもってゲームやeSportsというものを考えることが重要なのではないかと思われる。


現状の諸問題


 最後に、概念や理念などの机上論ではなく、eSportsと呼ばれる現在の活動の諸問題について具体的に述べる。それぞれのタイトルについて、こういうところが良くない、こうしたほうがいいなどという細かいこともあるが、それらを列挙するわけではなく、eSportsとよばれるプロ活動の全般的にあてはまるような事柄を挙げていく。
 ほとんどは個人の感想に近いものであり、具体的な出典が出せないようなものは、曖昧に、ぼかして記述する。アマチュアについて記述した1章から4章までとは異なり、現状のeSports、すなわちプロと呼ばれる活動についてである。


1 選手名・チーム名
 eSports選手の登録名が本名でないことが、しばしば批判されている。私からすれば、「本名かどうか」はさほど重要ではない。山田というプレイヤーが実は田中だったとしても、そんなことはどうでもいい。
 スポーツでも本名でないことは珍しくない。プロ野球でも「イチロー」をはじめ、登録名が本名でないことは多くある。元中日ドラゴンズの登録名「雄太」選手の本名は「川井進」であるし、阪神タイガースの矢野燿大(本名は輝弘)監督、日本ハムファイターズの金子弌大(本名は千尋)選手のように、漢字だけ変えている例も多い。プロレスではリングネーム、相撲には四股名がある。「獣神サンダーライガー」や「朝青龍」に本名でないと文句をつけるのはお門違いであろう。
 そのような批判からかどうかは定かではないが、eSports界隈でも本名を明記することが一般的になりつつある。実況パワフルプロ野球の「eBASEBALL プロリーグ」でも、初年度はプレイヤーネームだけだったものが、現在では本名がメインとなっている。

 私としては上記のように、本名だろうがリングネームだろうがどちらでもいい。ただし、特にプロ活動について言うならば、「あなたたちプロとしてやってんでしょ?」と思うような名前が少なくはない。
 ゲームではなくeSportsという大層な名前で、ゲームではなく競技としてプレイしており、視聴者に見てもらうこと、応援してもらうこと、そしてスポンサーに支援してもらうことが目的である。そのようなチームや選手たちが、そんな名前でいいのか?と思うことがある。極端に言えば、「私はプロゲーミングチーム『あいうえお』の「あああ123」です。こちらは同じチームの「いいい456」です。応援よろしくおねがいします。スポンサーになってください」と、言えるのか?と。商業活動をするチームとして、あるいは支援をするスポンサーが、それでいいと納得するのか。

 具体的な名前は出さないが、多くのタイトルのチームや選手に、そのような例がみられる。もちろん上記ほど酷くはないが、多くのプロ活動において、疑問に感じることがある。

 ただ、これは私の感性の問題であるかもしれない。私は以前に子どもたちのサッカーイベントを手伝ったことがある。あまり詳しいことは覚えていないが、5~9歳くらいの子どもたちを集めて、練習や試合をするイベントだった。そこでは、チーム名やコート名が子ども向けに設定してあった。「クマチームとイヌチームは青のコートに集まってくださーい」と呼びかけていた気がする。子ども向けだから、それが適切である。
 
 では、eSportsはどうだろうか。興行であるならば人気を出し、視聴者を集めることが重要である。それらの視聴者に向けたような、受けがいいような名前であるべきなのかもしれない。4章でも書いたことだが、ゲームというのは現実の真面目さから隔離されたような場所である。そこで、本名のような真面目さを露骨に表すのは、もしかすると受けが悪いかもしれない。一方で、例えば高校野球だと、各高校の選手たちが真面目に厳しい練習に取り組み、甲子園大会を勝ち上がろうとしているような、そんな真面目さを視聴者はわかっているので、あれほど人気が出ているのであろう。場合によって、適切なものは異なる。

 eSportsとなっているゲームのタイトルには、対象の年齢層が低めに思われるゲームもある。いい年こいた大人のためのものではない。大人の感性に合わなくても、それでいいのかもしれない。厨二病の人たち相手に商売するならば、選手名が「卍邪王炎殺黒龍波卍」でもいいかもしれない。

 雑な結論を言えば、選手やチーム、スポンサーが、選手名がそれでいいと思うならいいのだと思う。いい意味でも、悪い意味でも。

 名前とは違う部分であるが、(2020年はコロナウイルスの影響でほとんどがオンラインでの開催であるが)とあるタイトルの以前のオフラインでのリーグ戦においては、選手の態度があまり良くないと思うことは少なくなかった。チームのユニフォームを作っているのに、選手によって服装が統一されていなかったり、勝利チームが観に来ている観客に向けて行う挨拶がダラダラしたものであったり。学校の先生かよ、ゲームなんだからテキトーでいいじゃんと言われるかもしれないが、プロと名乗る選手がそれでいいと、チームやスポンサーが認めているのだろうか。

2 eSportsという名称
 選手名やチーム名と同様に、eSportsという名称が議論になることがある。スポーツではないとか、スポーツは競技という意味で運動とは関係ないだとか、eが付いてるからスポーツとは差別化されているだとか。
 これに関しても、私としては名称に関してはどうでもいいと思う。ただし、名前に「スポーツ(Sports)」が付こうと付くまいと、スポーツのような競技を目指すならば、それに倣うようなものであるべきだと思う。
 これが2章から4章で書いたようなことである。興行としてのプロ活動とアマチュア活動、競技性、理念や教育等の面で、ゲームがスポーツのようなものを目指すのであれば、プライドを持って、その名に恥じないようにするべきである。
 これはゲームだからどうこうではない。若者がサッカーをやっていたとしても、部活には所属していない、ただ遊びでボール蹴ってるだけで、上達する気もない、試合で活躍する気もないというのであれば、それは「スポーツ」と呼ぶにはふさわしくないものであると思う。
 eSportsは名前ありきではない。活動内容を健全なスポーツにしたいのであれば、名前を近づけるのではなく、その活動や理念がスポーツに近づけるようになるべきである。

3 トラブル
 eSports界隈でもさまざまなトラブルが起こり、問題になることがある。それはプロの試合の中だけでなく、選手の普段の活動におけるモラルや違反行為についてでもあり、そのようなことが起こるたびに、「これだからeSportsはダメなんだよ」と言われることもある。

 トラブルに関しては、別にeSportsに限った話ではない。犯罪や違法行為などは日本中で毎日、何万件も起こっている。それらを犯した人の職業について、これだから銀行員は、これだから教師は、と言われることもあるが、別に職業は関係ない。悪いことする人はどこにでもいる。

 ただし、ゲーム(やインターネット)の界隈においては、それで済まない原因があるようにも思われる。4章でも述べたが、ゲームやインターネットは「真面目ではない」場所である。真面目にする必要はなく、真面目にできなくてもよい。違法という意味だけでなく、「ちゃんとしてない」というのが魅力であり、だからこそ発展してきた界隈であると言っても良いと思う。

 楽しむだけなら、それでいい。好きなように遊べばいい。しかし、人が集まり、それが商売になり、仕事になるならば、それは「ちゃんと」しなければならないし、「真面目」でなければならない。そしてゲームやインターネットは、真面目でちゃんとしてない界隈であるのだ。

 ここが、一つの「ゲーム」と「eSports」の境目かもしれない。好きなようにやって、それが結果として人気が出ればいいのか。あるいは、真面目な経済活動として、しっかりとした企業にスポンサーになってもらうために、「ちゃんと」するのか。eSportsを、あるいはeSportsのチームや活動を発展させるために必要なのは、後者であろう。
 ではeSports界隈は、「ちゃんと」できるのか。失礼な話だが、一昔前はそうではなかった。選手も運営もいいかんげんなものが多かった。最近はeSportsというものの規模が大きくなってきており、まだまだ課題も残るが、「ちゃんと」してきている。そういう選手たちが増え、そのような人たちがコーチや運営になり、さらにはスポンサー側にまでなってくるようになれば、現状のゲーム界隈特有のトラブルのようなものは減ってくるだろう。しかしそれには、やはり時間がかかることである。20年、30年後もeSports界隈が賑わっていれば、自浄作用も十分に働くだろう。

4 プロの寿命
 「プロゲーマーは寿命が短い」と言われることがある。これに関しては、半分は正しいと思うが、もう半分はわからない。もちろん、肉体的な全盛期というものはある。視力や反射などは若いほうが優れているだろう。私自身も元々の目の悪さもあるが、様々なゲームにおいて目の衰えは感じることがある。
 
 ただし、これはゲームに限ったことではない。プロ野球でも30歳を超えるとベテランと呼ばれるようになってくる。あるいは体が全盛期でも、能力がない選手は容赦なくクビになっている。ベテランになってもプロとして活躍できるような選手は、多少衰えても十分通用する実力を持っている。全盛期を過ぎたら終わりというわけではない。
 また、アクション系やFPS系のゲームなら若いうちが全盛期であるだろうが、目の力や反射に頼らないようなタイトルであれば、歳を重ねても活躍できるものもあるだろう。経験や統率能力、戦術指示が必要なこともあるだろう。

 また、現状のeSports界隈は多少結果が残せないとすぐに辞めてしまうケースが多い。これは本人だけの問題ではなく環境の問題でもある。経済的に成功しているチームでなければ選手としてしがみつく意味がないため、そうでないチームに所属するならば別の道を選ぶことは賢明かもしれない。黎明期に選手として活動していた選手たちが、現在でも競技の世界で競い合っていたならば、30歳になっても通用していたかもしれないが、それはわからない。当時の選手たちは、実力が足りないというよりは、プロとして活動していく環境の不足により、選手としてのプロ活動を引退している人たちが多いように感じる。
 eSports界隈でも、プロ野球やサッカーのように一流の選手が現役を続行できる環境になれば、寿命が短いとは言われないかもしれない。それらはそもそも必要な選手が多いというのもあるが、全盛期を過ぎた選手でも競技として活動することを生業とできる環境が整っている。Jリーグならば、多少全盛期を過ぎたとしても、他のチームに移籍したり、J2などの下位リーグで活躍することは可能である。
 eSportsはまだまだ歴史も浅く、発展途上であり、それは選手も同じことである。発売したばかりのゲームでも「プロ」と呼ばれる人たちが現れ、それが1シーズン限りで引退するようなことも珍しくはないだろうが、それは「寿命が短い」からではなく、能力が低かっただけかもしれない。本当に実力がある選手ならば続けられるのは、他のスポーツでも同じことである。

 したがって、たしかにゲームの全盛期は若い頃であろうが、それは他のプロスポーツから数年早いだけで、全盛期を過ぎたら即引退しなければならないわけでもない。数年前の黎明期では、今よりもプロリーグが整備されていなかったため、活動したくてもその環境がなかった実力者も多いだろう。eSports以外でも結果が残せなければ容赦なくクビになっていくのがプロスポーツであるため、eSportsの選手が特別寿命が短いとは言えないと思われる。

5 引退後
 上記とも関連する話題であるが、「プロゲーマーは引退したら何もできない」と言われることもある。こちらも、ゲームに限った話ではない。
 プロ野球ほどの組織であれば、もちろん引退選手に多少のサポートはあるし、それを支援している企業もある。しかし、元プロ野球選手という箔は多少あろうとも、そこからはプロ野球に関係ない一人の社会人として仕事を探さなければならない。元プロというだけでやっていける人物なら、プロ野球界隈から声がかかるだろう。そうでない、若くして実力が足りずにクビになってしまったような選手は、元プロと言う肩書はほとんど意味がない。

 これは野球に限らず、他の仕事でも同様である。基本的には、「なんらかの実力を発揮すること」で報酬を得る。医者ならば医術で患者を治療しなければならない。治療できないならば別のことをしなければならない。「勉強」のような真面目に思われる分野でも、「勉強」で飯を食っていくのはただごとではない。教育者になるか、あるいは研究者になるかだが、特に後者であれば結果を残さないといけない。ただ頑張りましただけではやっていけない業界である。極端に言えばコンビニのバイトだろうと、接客ができなければクビになって当然である。

 自分の実力で勝負する業界に入って、それが通用しなくなったことに泣き言を言うのは間違っているし、外野がとやかく言うことではない。あらゆる仕事にはそれをこなす能力が必要であり、職業によって必要な能力や難易度は異なる。それを選ぶのは本人である。

 「潰しが効かないから、目指すべきではない」というのは間違ってはいないだろう。しかしそれも多くの業界に言えることである。あるいは、本文で、主に4章で触れたような、eSportsが教育のためになり、そのようなアマチュア活動が盛んになり、その先にプロというものがあるのならば、問題はないだろう。うまくいってないのに「プロありき」だと、そのような問題は頻発してしまうだろう。

後記

 本文でも触れたように、ゲームやインターネット界隈は、「娯楽」がメインであり、「ちゃんとしてない」界隈である。そうだからこそ、ここまで発展してきた。過去の「オタク」ばかりが蔓延る環境から、現在では一般人にとってゲームやインターネットというものは生活の一部になっている。
 人が集まると、当然商売が成立する。そして、その商売は現実世界と違い「人の多さ」が正義であることが多い。少ない客相手に高額のものを販売するのではなく、とにかく多くの客を相手にすることが、インターネット界隈では成功する秘訣であろう。
 そうなると、もちろん「多くの人に受けが良い」ものが、正義だということになってしまう。そして、特にゲーム界隈、インターネット界隈で「多くの人に受けが良い」というのは、「ガチで競技をやろうぜ」というよりは、「みんなでたのしくげーむしようね!」というものである。

 結局は、本文は私のワガママを文章化しただけである。私はどちらかというと「ガチ」寄りのものが好きである。プロ野球の公式戦は好きでも、イベント戦のオールスターは好きではない。自身がゲームをする際も、ゲームに沿ってプレイしてクリアするゲームよりも、自分自身のプレイングの実力を向上させていくようなゲームの方が好みである。

 そういう意味で、私はeSportsの発展にはとても期待している。上記のような、「みんなでたのしくげーむしようね!」よりは、「ガチで競技をやろうぜ」の方が、私は好きなのだ。それはもちろんプレイすることだけでなく、視聴することにおいてもである。ただ、一般的にはそうではない。ガチなことは望まれていないかもしれない。
 あるいは、時間が解決するかもしれない。まだまだeSports界隈は発展途上なので、数十年後には私の望むようなものになっているかもしれない。

 サッカーのJリーグは、ジーコという偉人が来日し、多大な影響をもたらしてくれたおかげで、黎明期から発展することができた。麻雀のMリーグは、eSports以上に混沌とした麻雀プロ界隈を、藤田晋という偉人がリーダーシップを取り、出資し、一つのまとまった形となることができた。
 eSportsは、どうなるだろうか。みんなでたのしくげーむをするのだろうか。


山下 2020/09/20 10:50


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