それでも舞台をつくりたい

舞台をつくるという作業は、本当にたいへんなのです。
いきなりなんだよ、とお思いでしょうが、いきなりそう言いたくなっちゃうぐらい、たいへんなのです。

作品を選ぶのがまずたいへんだし(だっていまの時代の"僕ら"が上演する意味とか考えなきゃいけない)、それが新作だとすると戯曲作家が戯曲を書くところからはじめなきゃいけない(それだって、ただ書きたいから書きましたっていうスタートで素晴らしいものを書ける天才もいるでしょうけど、なぜいまの時代にそのテーマをそのかたちで戯曲にするのかみたいなことを考えなきゃいけないだろうし)。

どの会場で上演するのかも決めなきゃいけない。観客動員の見込みと、チケットの値段と、上演するまでにかかる経費と、何より会場の使用料(これがね、バカにならないんです、特に金のない小劇場の役者たちからしてみたら)。お金の計算上「ここでOK!」って会場が決まったとしても、すぐ押さえられるかはわからないですし。人気のある劇場だと、すでに使いたい日程埋まっちゃってるぅぅぅぅ……なんてザラですし。

キャストを集める、スタッフさんを集める。キャストのスケジュールを集めて稽古日程を組む。稽古内容もだいたい先に組んで、それに合わせてスタッフさんに稽古に同席してもらう日程を出す。

稽古だって一筋縄にいかないし、小道具、大道具、衣装、照明そのほか諸々。心配事は山のよう。問題は次々に勃発。お金が足りない。チケットの売れ行きが芳しくない。芝居も煮詰まっていく進度が想定していたより遅い。なに!?降板!?ダンサーが骨を折った!?主人公がインフルエンザ!?え!?まだクライマックスシーンの音楽できてないの!?

幕が下りた瞬間、「これだけ波乱含みでよくぞ上演できたな」と、その奇跡具体に感動しちゃったりして。

-------

ひとつの舞台を作るために、キャストはもちろん、演出家、演出助手、舞台監督、美術家、衣装、制作スタッフなんかは、フルコミットするわけです。うん、それはよい。みんなで全身全霊でひとつの舞台を作り上げていく。とても美しいかたちだし、それぞれの力がしっかと噛み合ったとき、素晴らしいものができる。少なくとも「俺たちはやりきった」感、みたいなものは、たしかに舞台上にも表れてくる。うん、その姿は、たしかに、美しい。

-------

一所懸命やるっていうのは、とっても価値のあることだと思います。というか、それがなければ舞台芸術やっている意味がないんじゃないか、っていうくらい。

やっぱりすごい俳優さんとか、すごいダンサーさんとか、有名な舞台とか見てても、一所懸命やっていない人って、いないもの。みんな、もう、ギリギリのところまで自分を追い込んでて、それが観客にも見えちゃうにしろ、上手いこと隠しているにしても、活躍されているプロと呼ばれている方々の中で、なんというか、舞台上で自分のコントロールできる範囲をいっさい突き抜けずにやってるって人は、いないんじゃないかなあ。

だから、そういう意味での一所懸命さっていうのは、舞台を作る上ではぜったいに必要なものなんだと思う。

これは前提。ひとつの前提。

その上で。

それぞれが一所懸命を持ち寄ってこそ成立する、素敵な舞台を作り上げていくときに、かならず必要なのは、どこか一定の距離を保ちながら、カンパニーの進んでいく方向を冷静に見定めている、船頭のような視点を持った人物なのではないかなと思う。

ボート競技でいう、コックスのような役割。

-------

僕はいま、東京でさまざまなチャレンジをしているところです。
クラシックも、芝居も、ミュージカルも。どの分野でもまだまだペーペーで、下っ端で、つまりぜんぜん「売れてない」状態。

僕の技術が足りないのも原因だろうし、僕の売れるための努力が足りないというのも原因でしょう。たぶんどっちも本当。で、これはもう必死こいて、改善していくしかないなと思うのです。自分の好きなことだけやっていられたら幸せ、という価値観もあるけれど、そして僕自身それには強く賛同するけれど、でも僕は同時に「売れたい」っていう欲も持っているので。それが実現するように、頑張るしかないなと思う。

でもそんな状況と並行して、山梨でもいろいろなことをやっています。これも不思議なことなんだけど、山梨で何かをやるって、べつに、東京でチャレンジをするっていう選択と並べて考えると、非効率以外のなにものでもないってのが現実だったりするのです。

東京でいきなりオーディションに呼ばれた日程で、山梨で企画したイベントが入っていたりしたらすなわち、ひとつのチャンスを失ったってことですから。「そんなことない。山梨でそれをやるということが尊い。」っていう考え方もできますけど、山梨で得られる"バズり"のスケールと、東京でのそれとでは、もう悲しいくらい歴然とした差があるわけです。

だったとしたら、東京でのチャレンジに専念したらいいじゃないかという思いもあるんだけど、でも、それだけっていうのも自分としてなんか違う気がするのです。僕自身はパフォーマーで、東京でパフォーマンスをしたいと思っていて。歌も芝居も、人前で披露できたらこんなに幸せな瞬間はない。

で、東京だけでやりたいって思っているはずもなく、全国のどこででもパフォーマンスできたら、これもまた幸せなのです。そして、東京でパフォーマンスをするっていうぐらい僕にとって大切な意味を、山梨という土地も持っているということなのです。

ただ、東京でパフォーマンスをするのと、山梨でパフォーマンスをするのとでは、ぜんぜん意味が違う。その土地の文化の成熟度が、ぜんぜん違う。
東京でならば「自分がやる」というところからスタートできるのだけれど、山梨のばあいそれ以前の「市場を開拓する」ところから始めなくちゃならない。

山梨の文化市場を開拓する、ってことに関しては、大学4年生ぐらいからぼちぼちといろいろやり始めて、今年なんかは、僕の力は米粒ぐらいしか関与してないけれど、新作のミュージカルを上演して2公演をホール満席にするぐらいのところまでは来たわけです。このプロジェクトはこれから先も続いていくみたいです。素晴らしい。

僕はパフォーマーなので、やっぱり山梨では、パフォーマンスをしたいのです。いまは、プロデューサー的な人材とかがあんまりいないので、たまに僕が企画の言い出しっぺとかしますが、最終的には僕は、やはりパフォーマーでいたいなと思います。

そう思ったときに。上の話に戻ると。

山梨の文化界には、圧倒的に足りてない人材っていうのがあって。

そうです。

どこか一定の距離を保ちながら、カンパニーの進んでいく方向を冷静に見定めている、船頭のような視点を持った人物

これが、もう、絶望的にいない。
このばあいのカンパニーには「山梨の文化界」っていう意味も付与できると思いますが。

コックスのいないボートですよ。

漕ぎ手が熟達したベテラン揃いなら、コックスがいないボートでもちゃんと想定されたコース通りに進むことは可能でしょうが、漕ぎ手の経験値も低くて技術も足りなくて、それぞれがてんでばらばらにただ「一所懸命に漕ぐ」ってことしかできなかったとしたら。

遭難。

そうなんです。遭難するしかいない。この船は。そうなん…です…。

-------

さて、ここからはひとつの決意表明みたいなものです。

僕はね、山梨の文化界のね、コックスみたいな状態になりたいなと思います。これは、さいきん考えついたんですけどね。

東京でのチャレンジは続けますし、東京にはたぶんしばらくずっと住み続けるでしょう。

並行して、山梨でのいろいろもやり続けるでしょう。でしょう、っていうか、やり続けます。そのいちばん理想的な立場は、パフォーマーとして、です。やっぱり僕は歌いたいし、お芝居がしたい。踊りも、1日でもはやく堂々と人前で披露できるようになりたい。

そして、同時に。山梨での活動においては、自分がパフォーマーでありながら、コックスでもありたいなと思います。演出とか、プロデューサーとか、制作とか、舞台を作るときにフルコミットせざるを得ないやり方は、無理です。なぜならば僕はパフォーマーとして存在することをいちばん大切にしたいし、東京でのチャレンジもし続けたいからです。そこに割くリソースを減少させるようなやり方で、山梨で活動し続けるのは、現時点では物理的に無理。

かといって、何もしないかといえばそれも違う。

これは、もう、胸張って言ってもいいと思うんですけど。

おそらく、山梨の文化のこれからについて、僕以上に真剣に考えている20〜40代の人物って、いないと思います。いや、ほんと烏滸がましいんですけど、たぶんいないと思います。僕がいちばん、山梨の文化のこれからについて考えています。宣言します。

もし、「そんなことはない!お前なんかポンコツだ!私の方が考えてる!」みたいな人がいらっしゃったら、ぜひそうおっしゃってください。慌てふためいて、全身全霊で謝罪します。地面にめり込んでその跡に水が溜まって、富士五湖がひとつふえて富士六湖になっちゃうぐらいには土下座します。なんなら先に謝りますごめんなさい。

-------

いま、2018年に上演する予定の芝居の下準備をしている真っ最中です。
新作です。山梨ゆかりの題材を使いますが、スタイリッシュかつ人間味のある作品になる予定です。決して「セリフが甲州弁だよ」とか、「山梨の土地って素晴らしいってことを伝えたい」とか、そういう一面的なダサいものにはしません。かといって、難解すぎて、見に来てくださった人が置いてけぼりを食らって、ポカーンとしちゃうような、そういう作品にもしません。

昨年度からスタートしたミュージカル「シンデレラ」は、現段階ではひとまず僕の手は放しました。すでに北杜市と甲府市の2会場での再演は決まっていますが、僕は出演しません。また、現時点では運営側にも関わっていません。なぜならば、僕自身2017年度の動きが忙しく、「シンデレラ」に昨年度のようにフルコミットできなさそうだからです。それだと、僕自身満足もできないですし、もしかしたら作品自体の品質を下げてしまうことにもなるかもしれないから。

ちなみに今年度の山梨では、もう再来週、4/22〜23の日程でミュージカルのワークショップを企画しています。参加募集は定員を超えてすでに締め切っていて、下は6才から上は50代までの、総勢25名が参加してくださる予定です。ちなみに、4/23の19時からは、コラニー文化ホールのリハーサル室で、発表を兼ねた上演会をやります。観覧無料でどなたでも見ていただけるので、興味とお時間がある方はぜひいらしてくださいね。

とまあ、2017〜2018年度は、こんなかんじで進んでいきます。2018年の2月ぐらいにも、なにかしらやると思います。で、こうやっていろいろやりながら、僕自身はコックス的な立ち位置を、試行錯誤してみようと思います。

もしかしたら、そうやってみたら、超絶に煙たがられるかもしれません。
「お前、偉そうなこといいやがって!このやろ!駆逐してやる!」
みたいな笑

とにかく、いろいろやってみます。がんばります。
もしもお力添えいただける人がいましたら、宜しくお願いします。
本当に、僕一人ではなんにもできないので。
常に、助けてくださる人、求めてます。
舞台を作るって、チョーたいへんなんですから。


==ここから下に本文はありません。よければ投げ銭、お願いします。==



ここから先は

0字

¥ 300

読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。