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私の好きな短歌

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私が好きな短歌を紹介します。主に大正、昭和の歌です。時々現代のものも。
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#アララギ

私の好きな短歌、その38

胡桃の葉枝はなれ落つる音きこゆ母病み逝きし室に坐れば

五味保義、『一つ石』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p247)

 母が亡くなったときの歌。作者はこの一首までに、老いた母との切ない介護の場面を多く詠ってきた。母が生きていた部屋にひとり座している作者。秋であり、葉が落ちる。その音に気づき一首となった。葉が枝から落ちることを生命の象徴と捉えると月並になりそうだが、それを月並みと言わ

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私の好きな短歌、その16

逝く人はかへり来らず月も日も留まれる者のうへにつもりて

 岡麓歌集、『雪間草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p393)。

 「老を嘆く」中の一首。誰しもある程度年齢を重ねれば何人かの知人の死を知ることになる。老境に入った人はなおさらだ。上二句は自然に口をついた嗟嘆そのままで、三句以下は詩的な表現になっている。詩的だが実感がこもった表現だ。「月も日も」という表現に工夫が感じられる。月日

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私の好きな短歌、その15

生のままセロリきざみて粕にあへかをり高しと粥すすりつつ

 岡麓、歌集『雪間草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p392)。

 「七面鳥」中の一首。下三句すべてが「か」で始まっている。それによってセロリの歯ごたえ、また独特な爽やかな香りが強調されているようだ。セロリは当時どのくらい普及していたのだろうか。定かではないが、おそらく歌の素材としては新しいのではないだろうか。作者はこの時73歳

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私の好きな短歌、その14

みどり児のねむるつり籠つりかけし庭木の上を烏の飛びぬ

 岡麓、歌集『宿墨詠草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p365)。

 「夏日永し」中の一首。「みどり児」とは作者の孫。前の歌に「木のかげにつり籠(かご)つるし幼児(をさなご)の眠(ねむり)をまもる母はわが子ぞ」とあることから知れる。わが娘がその子、つまり孫を見守っているのを、父/祖父である自分が見守っているという、幸せな光景である

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私の好きな短歌、その13

雨乞の寺の鐘鳴りひびくなり白昼の如く月てりわたる

岡麓、歌集『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻 p330』)。

 次女茂子の夫の郷家のある備後地方の、「湯田村」と題された一連中の歌で、詞書に「今年の旱魃は三十年来の事といへり」とある。「雨乞」が新鮮。大正14年には寺で雨ごいがされていたわけだ。
 東京生まれの作者にとっては、備後湯田村は異国の地である。旱魃に苦しむ村で、月夜に響く雨乞の鐘を聞い

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私の好きな短歌、その12

私の好きな短歌、その12

外に行くと病み臥す母に告げにけり春の雨夜の宵しづかなる

岡麓歌集、『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p322)。

 何の用事の外出なのかは分からないが、分からないままであることがいい。この時の様子をただ述べている。事実をそのまま述べるだけで、そこから悲しみや不安、愛情などがにじみ出てくるということが、写生文学の素晴らしさではないだろうか。背景を完全に説明しないことで、読者それぞれ

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私の好きな短歌、その10

あしたより日かげさしいる枕べの福寿草の花皆開きけり

 島木赤彦、歌集『柿陰集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p80)。

 「恙ありて 二」中の一首。大正15年1月、胃がん発症を確認してから作られた歌。病を知った上で、朝の光の美しさ、それを受けて一斉に咲く福寿草に感じるものがあったのだろう。初春に咲くという可憐な花である。
 作者の病という背景を知らなければ、素直な喜びが明るく表現され

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私の好きな短歌、その9

あからひく光は満てりわたつみの海をくぼめてわが船とほる

 島木赤彦、歌集『太虚集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p65)。

 「満州」中「二十九日大連出帆」の一首。赤彦はこの年、南満州鉄道株式会社に招かれて満州へ行った。初句と三句の枕詞が一首を古風にし、重厚なリズムを生んでいる。古代から変わらない壮大な風景があり、そのただ中を作者の乗った船が静かに進んでいく。「くぼめて」が見事。これ

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