音楽はなぜ人を幸せにするのか

私がこんなタイトルの新潮選書を出したのが、2003年。
およそ20年も前のことになる。
自著としては何冊目だったのだろう?
選書は5冊出しているが、多分、これはその5冊目だったはず。
ただ、この著作が、私の中では一番心残りになっている。
私の選書は、大学や高校中学などの国語の入試問題(メインの長文読解で使われる)にこれまで何度も使われてきたが、この著作だけは今でも入試問題でよく使われている。
きっと(入試問題を作る)大学の先生には参考にし易い文章なのかもしれない(このタイトルが人目を引き易いのかな?)。

それはそれとして、「音楽はなぜ人を幸せにするのか」というタイトルで本を書きながら、果たして私は本当にこの疑問に対する答えをこの著作の中で示すことができたのだろうか?という思いがこの著作を発表して以来ずっと付き纏っている。

あまりにも、テーマが大き過ぎる。
ずっとそんな気がしてならなかった。
人間として生まれたら誰しも考える「人は何のために生きるのか?」と同レベルの哲学的で根源的なテーマだ。

じゃあ、なんでお前はこんな本を書こうと思ったんだよ?
(著者が)今さら何を言い出すんだ?

きっとそんな風に突っ込まれそうだが、これにはある事情がある。
最初、新潮社の出版部から依頼されたテーマは、「音楽とサイエンス」。
う〜ん、それならやってみたい、と二つ返事で書き始めたのだが、リサーチをすればするほど、「待てよ、これはサイエンスの話どころじゃないな。音楽と人との関係の根元まで突き詰めないと答えが出ないぞ」。
そういった葛藤が編集者と延々と続き、結局、最終的なテーマは、「音楽はなぜ人を幸せにするのか」に落ち着いた。

で、最終的に出版された本は7つの章でできている。
「音楽は進化したのか」「人はなぜ歌を歌う」「音楽は本当に世界共通の言語なのか」「音楽は、どんな時に、なぜ必要か」「音楽で病気が治せるのか」
「人はどこで音楽を聴くのか」「私たちが音楽に求めるもの」

当初は「サイエンス」がテーマだったので、音楽という事象の核になる「波長」、つまり「波」を量子力学的に説明していけば良いか程度に考えていたのだが(つまり、昨今物理学で流行りの「ひも理論」とかいうやつね)、それでは説明できないものが、音楽にはあまりにも多過ぎる。

そもそもが、私たちは音楽を聞いて「何で感動するの?」「何で涙が出てくるの?」「何でハッピーになるの?」
そんなこんなをサイエンスで説明しようとしたこと自体が間違いだったのかもしれない。
そりゃあ、コルチゾールだとかキラー細胞だとかいった免疫システムからのアプローチもないわけじゃないけれど、それだって所詮、「こうだからこうなりました」的な説明でしかない。
いわゆる「状況証拠」というやつだ。
(犯人の)「動機」なんかどこにもありゃあしない。
そもそも人間は何で音楽を作ったのよ?
何で人は音楽をやるの?聴くの?

そんな疑問(動機)は、本来、神様でもなければ説明できっこない領域なのだ。
なのに、私ごときがそこに手を突っ込んで結論を出そうとした。
もう、これは「暴挙」と言うしかない。

出版以来20年。
改めてこのテーマを考え直している。
今も、このテーマを考えながら音楽を仕事にしているのだが、ひょっとしたら、音楽からちょっと離れてみた方が良いのかもしれない。
そもそも、「幸せってなによ?」

不幸にならないことが幸せ、なら答えは簡単じゃないか。
不幸だと思わなければ良いだけのこと。
私は、そうやって生きてきた(今もそうだ)。
そう考えている人は、おそらく私だけではないだろう。
では?
だから、私は幸せなのか?(まあ、そうだろう)

じゃあ、不幸って何よ?
そんなアプローチもあるかもしれない。
多分、自分自身の存在を肯定できない時、人は不幸を感じるのかもしれない。
痩せたいのに痩せない。そんな自分が大嫌い。
こんな時、人は不幸になる(確実に)。
では、その反対は?
自分の存在を肯定。つまり、「俺は…、私は…、生きていて良いんだ。今のこの自分で良いんだ」と明確に思える時、人は幸福感を得ることができるのだろう。

例えば、すごく美味しいものを食べた瞬間、人は「生きてて良かった!ハッピー!」と思えるはず。
おいしいものだけではない、すごく綺麗なもの、美しい音や姿、形、色、そんなものを体験した瞬間に、人は幸福感を持つ。
アートというのはそのためにこそある。
それが異性であれば、「愛」に結びつく(異性でなくてもね)。
そういう(自分は自分で良いんだという)肯定感を与えてくれるものが、人に幸福をもたらす。

人が「生きている実感」そして「生きていて良いんだ」という肯定感を導くものの一つが音楽。
だから、「音楽は幸せを人にもたらすのだ」。
たったそれだけのことを、私は、先の著作で十万字以上使っても書ききれなかったのかもしれない。


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