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大きな橋を渡る

お試しの夏期講習が終わり、塾に入ろうと思ったら、断られた。

「あなた、塾に入らないほうがいい」と塾長は言い、その言い方は柔らかったけれど、はっきり断られていることがわかった。一緒に受けていた友達だけ入塾した。

そんなことってあるだろうか。当時中学2年生の私は、比較的まじめな生徒だったし、酒もタバコも嗜まないし、ピアスも空いてない、スカートの丈だって常識の範囲で、学校の三者面談では「忘れ物が多い以外、特に言うことはないですね」と言われる、自称ピカピカの優等生だった。

しかし入塾を断られた。母は「なんでだろうね」と、おかしそうに笑った。しかし昔から、年上の男性に、すごくすごく嫌われることがあるのだ。

その度に私は、こんなに人間に分け隔てなく、尊敬しつつ接しているのになぜだ、と思っていたが、今思うと、目上の人に対するプラスアルファの尊敬が足りないのだ。大匙いっぱい多めに尊敬を盛らなければいけないことを知るまでだいぶかかった。私については、人間に対して、かしこまりながら接するくらいでちょうどいいのだと思う。

そこから数か月後に「お母さんの高校の同級生に、ちょっと変わった人がいて、塾をやっているらしんだけど行ってみる?」と母が言い出した。「変わってるから、今度は大丈夫じゃない?」と。

その塾は古い商店街の二階にあって、窓にガムテープで「BA」と貼られていた。BAとは塾の名前であるらしい。出てきたのは、水木しげるの本に出てきそうな眼鏡のおじさんで、不愛想だがよくしゃべる人だった。この人は、大匙いっぱい分多めに尊敬しなくても、気にしない人だと思って、私は安心した。

塾に通っていいですか? と私が聞くと、「君は、塾に入らない方がいい」とそのおじさんは言った。ここもダメか、と思って私は落胆した。

「でも、分からない問題がある時に、聞きに来てもいい」と続けた。

それからは主に進研ゼミで勉強をして、わからない数学の問題があった時に、先生を訪ねた。1カ月に1度か、2カ月に1度くらい。教えてもらうのは10分くらい。あとの2時間くらいはずっと取り留めのない話をしていた。

「沖縄の外にもね、面白いことはたくさんある」

と先生はよく言っていた。先生は東京の大学を出て、家の都合でずっと沖縄にいることになった。いつもは違う仕事をしていて、片手間で塾をしているらしい。

本もたくさん貸してくれた。今思うと、だいぶ胡散臭いものも多かったけれど。いつも座っている椅子は、アーロンチェアのもので、椅子にはお金をかけた方がいいとか、実は株で儲けているんだとか、不動産が云々とかそういう話もした。

私が東京に行くと決まったら、「いろんな人に会えていいさぁ」と楽しそうに言い、「東京に行けば、佐藤優にも会えるかもなぁ」と言った。先生は佐藤優の本を読むのが大好きだった。

「佐藤優? 会えますかね。どこで」

「パーティとかにいるかもしれん」

「パーティ?」

「パーティで『沖縄出身です』っていえば、秘書にしてもらえるかもしれんよ」

なんだそれ、と言って二人で笑った。「いいな、東京」先生はつぶやいた。

そうやっているうちに、私は大学を卒業して、就職して、辞めて、色々あって今の仕事をしている。そして、佐藤優さんの『16歳のデモクラシー』という本が出た。私が構成で関わった本だ。埼玉の公立高校に通う16歳の高校生に向けて、佐藤さんが講義したものをまとめた。

取材後、埼玉から都心に向かって、佐藤さんと編集さんとタクシーに乗った。長い長い高速を走った。沖縄出身なんです、と言うと、そうなんですね、と佐藤さんは今関わっている沖縄関連の仕事について話してくれた。高架から川が見える、大きな橋を渡る。

先生、パーティでは会えなかったけれど、仕事しましたよ、秘書にはしてくれなかったよ。やっぱりそんな簡単じゃないよ。でも東京には面白いことがたくさんあるよ。正確には埼玉だけど。

見本を多めにもらったので、一冊、先生に送ろうと思う。



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