「1回戦コールド負け」を自覚する


 「自分が一番、自分に自信を持っていれば、批判などは気にならない。世間に見る目がないと思っていればいい」(文言は正確ではないと思う)といった言葉が目に入った。それは確かにそうかもしれない。
 逆に、「自分は最下位だ。自分に自信がなければ、批判などは確かにその通りだと受け止められる。世間は見る目ある」と考えるのもアリかもしれない、と思った。
 僕が書いた本にはAmazonレビューで結構批判が集められる。時には、本の内容ではなく、自分の仕事や人格までも否定されているものや、明らかに間違った批判などもある。僕は心を痛め、動悸がして、泣きそうになることもある。しかし、なるべく気にしないようにしている。それは、「そう書かれて当然」と思っている(思い込んでいる??)から。
 僕は自分のことを低評価(というよりもありのままに評価)している。能力が低く、大した仕事もできず、飽きっぽくてめちゃくちゃ面倒くさがり。仕事に妥協してしまい、心ゆくまで極めることもできない。人付き合いもあまりうまくできない。上手くしゃべれない。これは本当のことなので、否定することはない。
 だから、Amazonで人格否定のつらいメッセージが来ても、「まあ当然か」と耐えうることができる。たぶん、そうだ。
SNS全盛時代、自分に自信がある人が多すぎるように感じることもある。確かにそれはそれでいいのだけど、なにか強気の人が多く、どうにも僕には、上から目線で言い切るものが目に付いてしまう。それが間違っているかもしれないのに、と思うこともある。怖いこともある。でもそれがSNSだし、それが正しい姿なのかもしれない。自分に自信があり、言い切ることは素晴らしいことだと思う。
 ただそれだと、「ずっと勝ち抜いていかなければいけないのではないか」などと、僕は思ってしまう。強気の人は強気に、論破して、勝ち抜いていく。トーナメント戦みたいになってしまうのではないか、と心配している。
1回戦負けの方が気楽で、批判も勉強になったり聞き流せたりして、気楽なのではないだろうか。これからも1回戦コールド負けの人生を生きていこうと思う。

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