山本太郎都知事選街宣、馬淵澄夫応援演説書き起こし、6/30日、上石神井駅北口

古い政治家の馬淵澄夫です。既存政党の代表のような馬淵がなんで山本太郎さんの応援に来るのか、驚いた方もたくさんいらっしゃるかと思いますが、あらゆる人を魅了して、そして、仲間にして、同志にして、共に頑張ろう。これこそ山本さんの魅力なんです。まず、皆さん、冒頭にお願い申し上げます。この都知事選は何としても力を与えて下さい。山本太郎一票よろしくお願い申しあげます。
山本さんとの出会いは5年前に遡ります。もちろん同じ関西人でありますが、5年前と言えば安保法制の強行採決、これを何としても阻止しなければならないとして、参議院の第一理事会室の前で野党が集まって、必死になって我々は反対を唱えていた、この時に、スクラムを組んだのが山本太郎さんです。始めて会って、山本太郎さんの第一声は、「先生なんですかこの腕はごっついですね」と言って二の腕を触られました。
そんな山本さんといっしょに、われわれ普段はやさしいんですよ、山本さんも、でもあの時は怒りました、とんでもない、こんな強行採決を起こさせるわけにいかないとして共に戦った。それが始めての出会いです。そして、その後、山本さんは参議院、私は衆議院におりましたので、なかなか、会う機会はありませんでしたが、再び、山本太郎さんと出会う機会になったのが去年の参議院選挙です。
先ほどもお話がありましたように、山本さんはたった一人でれいわ新選組を立ち上げると言って、小沢さんたちと離れて、新しい政党を作れられた。私はこれを見て何て無茶苦茶なことをする人なんだと驚きました。
いやいや、正直言うと、や、これで政治生命大丈夫かなと、そんなことも思いました。でも、山本さんはその後の戦いの中で候補者を擁立し、そして、全国を巡りながら、たくさんの人の思いを受け止めて、228万票の得票を得て、舩後さんや木村さんというお二人の国会議員を誕生させられました。しかし、残念ながらご本人は席を失ってしまったんですね、でも、あの参院選のうねり、みんなといっしょにこの国を変えましょうと熱い語りを見て、もう一度山本さんと話してみたいな、再会したのが、昨年の8月です。ご本人はけれんみなく、いや、負けちゃいました、とおっしゃっていましたが、でも、ここからが勝負なんだと、未来に向けて夢を持って語っておられました。
私と山本さんの一点は、この国の経済の根幹を揺るがす消費税の減税を訴えるということ、私自身は2010年民主党の政権の中にいました閣僚も経験させて頂きました、官邸にもいましたが、消費税だけは絶対に、あの厳しいデフレ環境下で上げてはいけないとして、私は民主党代表選挙でも野田総理候補と戦ってあえなく敗れました。
でも、消費税が増税された後も減税しなければいけないことを訴え続けてきたから、この一点で共に、私たちで力を合わせて、消費減税をしっかり訴えていこう、減税研究会を共同代表としてスタートさせたんです。
その山本さんが都知事選へと挑戦をするということを耳にしたのは、先ほどのお話の通り、このコロナの災禍が始まったころでした。山本さんは心の中で私は共に歩みを一にして国政で戦おう、そんな願いを思っていました。でも、先ほどのお話にもありましたように、自粛或いは経済が停滞する中で、人口の一割が集まるこの東京都で惨憺たる状況になっている、今の都政を、結局は人気ばかりを追うような現職の知事に対して誰もなんにも言わない、ここで黙っているわけにはいかない、これが山本さんの願い、思い、私は正直、薦めることは出来ませんでした。いや、実は反対もしました、山本さん、ここは都知事選でなくて国政ではないか、そんなお話もしてきましたが、山本さんの思いの中には、これこそ、今の都民の困っている方々に対する思いがひしひしと伝わってきた。そして、どうなるのか、分からない状況の中で、ご本人はずっとひしひしと言い続けてきてこられたんです、なぜか、それは迷っているのではありませんでした。山本さんはしっかりと政策を詰めている、15日の出馬表明の朝、ようやく政策の整理が出来ましたと、私に報告をして下さいました。
記者会見が本当は不出馬宣言になるところだったかもしれませんと、屈託なく笑う、山本さんの姿はそれこそけれんみのない、真っすぐな政治家の姿でありました。だから、私は心に決めました。山本さんを全力で応援しようと、そして、この東京都で本当に必要な政治家はどういう方なのか、それを皆さんに知って貰って頂きたい。この選挙だからこそ山本太郎という人を皆さんに知って貰う大きな機会を得られます。そして、山本さんはこのコロナの問題をいち早く、災害だと喝破いたしました。このコロナは災害なんです。すなわち、災害として対応することこそが国に求められる、それを東京都が率先して訴えていく、こうした取り組みを本気でやって頂ける山本さんに私は心から期待をしています。
東京の大災害と言えば、かっていまから100年前1923年9月1日の関東大震災がありました。この時は山本権兵衛内閣が震災からわずか2週間余りで復興院を立ち上げました。そして、復興院の総裁には後藤新平氏が内務大臣として兼務で就かれたんです。
よく、この後藤新平さんの話が出るんですが、多くの方々は後藤新平氏が復興院が立ち上がったすぐに総裁官房、計画局、土地整備局、電気局、土木局、物資供給局、ありとあらゆる組織を作り、内務省や当時の鉄道省から官僚たちを選りすぐって、素晴らしい行政手腕で復興を成し遂げたというふうに言われています。しかし、行政マネージメントが優れていたのが、後藤新平さんじゃないんです。じゃなにか、それは後藤新平さんは、周りからできっこないような壮大な計画を一人で練り、復興を実現した当時遷都(?)はしない、復興予算は国家予算の2.3倍、さらに、土地に関しては、土地を持っている地主にも制限を設ける、誰が聞いてもそんな無茶なことが出来るか、ということを、できないから始めるのでなく、何が求められているかをちゃんと分かって、行動に移した。この姿は、いま、まさにこの都知事選で訴えている山本太郎さんの姿といっしょじゃないですか。
出来ないことばっかいう政治家はたくさんいます。それは自分の責任を回避するためです。だから、私たちは出来ないことを言う政治家ではない、皆さんの夢と希望を受けて何が出来るのか、何が必要とされるのかということを本気で考え行動する、そんな政治家をこの都政の先頭に立たせなければならないんです。
どうか皆さん、いよいよ終盤戦に入ります。昨年の参院選挙で山本さんはあなたたちを幸せにしたい、そして、あなたは生きてていいんだと、こんなメッセージを語られました。これがまさに、いま、惨憺たる状況の都民に届く言葉で、さらに、私たちが身近に感じることができる政治家を都政の先頭に立って頂けるようになれば、顔の見えない人、誰だか分からない人ではない、私たちが話せる人、私たちがしっかりと聞ける人、こういう人に率いて頂ければ、必ず東京は変わり、そして、この国は変わります。どうか皆さん、この残りの終盤、ラストに向けて、皆さんの一票一票だけではだめです。お友達にも声を掛けて頂いて、都以外の方々には都内の知り合いの方に声を掛けて頂いて、どうか皆さん、山本太郎を都政に送り込もうではありませんか、どうか皆さん、山本太郎に力をお与え下さい、私も全力で山本さんを応援します。
ボランティアセンターに詰めかける百人を超えるたくさんの方々、今日、お集りの皆さん、山本さんの声を聴いて始めて政治に関わった、選挙に行った、そんな人がたくさんおられます。そのうねりを作って行きましょう。この東京から日本を変える、山本太郎、どうか皆さんお力をお与え下さい。よろしくお願い申し上げます。衆議院議員馬淵澄夫からの訴えとさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。

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