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日本の学校の授業で、子供たちが発言をしたがらない理由【事実、萎縮しています】

こんにちは、Leoです。


今回は、日本の学校の授業で、子供たちが発言をしたがらない理由について考えてみたので、シェアします。


なぜ、こんな事を僕が思ったのか。



僕はこれまで、小学校・中学校・高校・専門学校と通ってきました。



そして、14年間学校という組織に関わり、実際の目で「子供たちの萎縮する姿」を見てきたからです。



学校では、授業のなかで、発言する(自分の意見を述べる)機会があります。
そして、それは2種類に分けることができます。


⒈問題について、分かった人が挙手して答える
⒉先生が直接、生徒を当てて答えさせる


答えるシステムは、上記のとおりです。
生徒の中には、前者のように、自ら手を挙げ、発言する子も、もちろんいます。


僕は、前者の立場です。


ですが、大半の子供たちは、自ら発言するような姿は見られません。



これは、事実であり、現実です。


ではなぜ、子供たちは発言したがらないのか。
これも大きく分けて、2つありそうです。


⒈子供たちは、本当にその問題について意見がないor分からない
⒉実は、自分の意見があり、発言したいけど、出来ない


1のように、「本当にその問題について意見がなかったり、分からなかった」場合はしょうがないとします。

次に、2を見てみましょう。



この場合は、「自分の意見があるのに、発言できない」という状態です。

実は、これが最大の問題であり、背景に隠されたものがあると考えました。



それでは、始めますね。


生涯の中で、学校は人間の大切な時期を共に過ごしている

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まず学校というのは、6歳から小学校という環境で育ちます。
日本の義務教育は、小学校と中学校なので、最低でも「9年間」は学校という組織の一員として生活をしていくことになりますね。

幼稚園や保育園も合わせると、最大「15年間」にもなります。

さらに、高校に行く子が全体として多いので、高校まで合わせると「18年間」

大学も行けば、「21年間」になりますね。


結構、長いですよね(笑)(笑)


次に、人が、0〜100歳まで生きたとしましょう。
その中で、人間として形成していくために最も重要な期間は、どのタイミングだと思いますか?


結論は、最大「21歳まで」でしょう。


発達段階に沿って、それぞれの重要なタイミングというのはあります。


「21年間」という長い月日は、非常に長いものです。



その長い21年間を、人は学校という組織で形成されていくのです。



先ほども言いましたが、、、


21年間は「人間として形成される最も大切な期間」と言いました。
つまり、その21年間を学校で過ごすのであれば、学校での内容が、その人へ、大きなの影響を与えることになります。


したがって、学校という組織での経験は、人生を通して、とても重要となるのです。 


学校のシステムの問題

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いくつかあるので、順に説明していきます。


1. テストのシステム

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学校では、テストが定期的にあります。

テストというのは、一定期間で勉強したことを一度頭で整理して、アウトプットさせるために行われます。


つまり、確認の作業ですよね。



そして、100点満点で採点されます。


テストのシステムが、なぜ問題と考えるのか。



それは、一つしかない正解を答えないと減点にされるから。



これは、非常に大きいです。


極端にいえば、“正解が答えれないやつは、意味がない”と言われるようなものです。

実際に、生徒もそういったマインドが植え付けられていくので、発言もしたくなくなります。


だって、間違った答えをいえば、認められないし、否定されるから。


そんな風になれば、やっぱり発言なんてしたくないですよね。


2. テストの中で、自分の考えや意見を自由に書く欄がない

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学校のカリキュラムの中で、どんな授業をやってきたか覚えていますか?


数学
国語
理科
社会
英語
体育
家庭科
総合
道徳



小学校でいえば、こんな感じですよね。


次に、テストがある教科って、なにか覚えていますか?


数学
理科
社会
国語
英語
体育
家庭科


こんな感じです。


上記の2つの質問を見比べて、何か違いが分かるでしょうか。



つまり、「総合」と「道徳」は授業にはあるのに、テストとしてない。



どうしてでしょう。
僕も、分かりません(笑)


総合や道徳というのは、正解が一つではなく、複数の答えがあるものです。
つまり、個人が色々と考え、さまざまな意見があっていいのです。


決して、否定されるものではありません。


しかし、そのような「答えのない問題」については、テストの中に、ほとんど存在しません。


どれも、数学や社会や英語といったテストには、答えが「一つ」の問題ばかりで作られています。


つまり、正解を求める問題しか、テストにはない。ということです。



したがって、子供たちは、「勉強=正解を求めるもの」という認識を学校で植え付けられます。



そして、カリキュラムの比率も、「正解を求める授業」が8〜9割を占め、「答えがない授業」は1〜2割程度しかありません。



これでは、子供たちは「萎縮」してしまい、自分の考えや意見など、答えなくないですよね。
だって、間違えてたらダメなんですから。


3. 正解を言えなければ、冷たい視線を向けられる

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事実、「正解」を出せなかったときは、地獄のような雰囲気になります。


まじで、ヤバいですよね。この同調圧力。



これもそれも、みんなのマインドがやられている証拠です。


認められない辛さって、めちゃくちゃキツいです。



実際、世の中の問題の中で正解があるものなんていくつあるでしょうか。


ほとんどは、正解なんてなく、自分で考え思考するものばかりだと思います。


このままでは、日本人は正解を求めきれなければ、どうしようもなくなってしまう人間になりかねる気がします。
もっともっと、一人一人の意見を素直に受け入れて、「正解のない問題」を考える思考能力を高めるようなカリキュラムも増やすべきだと思います。

4. グループ作業が多い

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グループ作業というのは、複数がグループを作って話し合い、時には4〜5人の意見を「一つにまとめる」作業をしなければなりません。



グループ作業が、全て悪いということではありません。
メリットも、沢山あります。

では、実際に、4〜5人のグループで話し合ったとします。



その4〜5人の意見が、みんな一つの意見なはずは無いですよね。
でも、グループ作業というのは、「必ず」意見を一つにまとめなければなりません。


つまり、少数派の意見はなくなり、多数派の意見が強くなる構造です。



そして、少数派の子供たちは、何か意見があっても、「多数派の方の意見が正しいのではないか」と思い込みます。


実際、日本では「右向け右」の文化が根強いので、他の意見と違った場合は、潰したがるし、潰される傾向にあると思います。


そして、みんな潰されたくない為に、自分の意見を押し殺しながら、多数派の意見に乗っかることがよくあります。

これが続くと、個々の思考力も低下しますし、発言力も低下するので、複数の意見が出ないツマラナイ世の中になっていくと思います。


だから日本人って、めちゃくちゃ流行りにすぐ乗っかりますよね。

時代の流れに乗ることは非常に大事だと思いますが、個人の思考がないまま流されるのは、ヤバいんじゃないかなと思ったりします。

5. ノートや、テストの問題に全て「枠」がついている

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これに関しては、確信的なものではないです。


しかし、「枠」がついていることは、逆を返せば「枠から外れないようにする(はみ出ると良くない)」という意味にも捉えることができます。


「枠から外れないように(はみ出ると良くない)」なんてマインドを植え付けられると、新たな発展や発明は生まれません。


創造力がアップすることも、なくなるでしょう。
縛られた世界でものごとを見る習慣が身についてしまいます。


必ずしも、「枠」があればダメだということではありません。


「枠」のなかに収める練習や、その文字数で考えをまとめる能力も、非常に大切だと思います。

しかし、中には、「枠」のない欄があってもいいなと思います。

僕なりに、縛られない世界を味わうための方法を見つけました。


スケッチブックや、真っ白の紙に思いっきり何でもいいので描いてみると、新しい発展が期待できそうです!


芸術家の人も、真っ白のところにかいて、素晴らしい作品を作りあげますしね。

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そして、もう一つオススメな場所があります。
それは、、、


「海」や「山」の自然です。
「海」や「山」は、枠がどこにもありません。



つまり、ものごとを広く見れるようになったり、縛られた世界ではないので、『 創造力や人間としての広さを形成できる場所。』ではないでしょうか。

僕が約20年間、海と触れ合ってきたからそこ、感じるところです。

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6. 同じ人間の製造機

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これまでの話をまとめると、、、


学校は、『平均的に周りと同調ができる、正解求め人間』の製造機


こんな感じのシステムになってます。

『多様性』の欠ける人間しか生まれませんよね。


ちなみに、僕が通っていた高校は「定時制かつ、単位制」の学校で、大学のように自ら自分のカリキュラムを構成していきます。
校則も基本はなく、学校は私服で登校し、メイクやアクセサリー、髪を染めることも許されていました。


学校の方針も、個々の『多様性』を受け入れ、個々の特徴を伸ばしていくやり方でした。


したがって、個人を否定されることもなく、先生から認められる環境が整っていたので、生徒一人一人が生き生きとしていた印象です。


最近は、そういった個々の能力を引き出して伸ばすような学校が増えてきましたね。

親や、周りの環境の問題

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これも、めちゃくちゃ影響します。

1.親が、叱り過ぎ

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これは、実際よく見かけます。
僕は小さい頃から基本的に怒鳴られたり、叱られたりすることは少なかったです。

人として間違っていることに関しては、しっかりと叱られてきましたし、そういった叱りは必要です。



しかし、子供がチャレンジしていることや、新しく取り組んでいることに対して「否定的」な意見や言葉をかけ過ぎです。



子供は、新しくチャレンジした事や、初めて取り組んだ事に対して、「褒めてほしい」のです。


そして、もし取り組んだ事が失敗したとしてもそれは経験になります。
叱ったり、怒鳴ったりすることは間違っています。


これを「しつけ」とも言うのでしょうか。


親や周りがそれらを続けていると、子供はチャレンジすることをやめ、答えが決まっているものにしか挑戦しなくなります。

そして、自発的な発言や行動は、無理に抑えようとします。

さらに、周りの顔色を伺いながら、発言や行動をするようになります。



これでは、個々の主張はかき消され、周りに流される思考力の低下した「右向け右人間」になっていくと思いますね。


つまり、話を元に戻しますが、「発言したがらない」サイクルに陥ってしまうのです。


しかし、一つだけ改善できる方法があります。



それは、3Hです。
3H=『褒める・励ます・広げる』



この3Hです。

「次の目標を設定し、視野を広げてあげる」

これを行えば、子供たちは心から豊かになり、思考能力もアップし、自発的な行動に自信を持てるようになります。


事実、自分に自信のない子供たちは、沢山います。



もっともっと、周りが3Hを実践すれば、これからの時代にも適応できる「多様性のある子供」に育っていくのではないでしょうか。


2. 親のエゴがすごい

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事実、周りを見渡す範囲でも、エゴが散乱しています(笑)

親のエゴが、なにを表すのか。


他人の目を気にしている。


したがって、子供たちも影響を受けますので、子供たちも「人の目を気にする」ようになります。



結論、子供たちが「人の目を気にする」ようになれば自発的な意見や発言を、遠慮するようになります。



結果だけを見るのではなく、その背景に何があるのかを考えると、理由が繋がってくるのです。

3. あれダメこれダメは、子供を萎縮させ、思考力を低下させる

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親や周りの「ダメ」や「良くないから」は、その人にとって良くないだけであって、別の人にとって「ダメ」が共通することではありません。


子供は、「ダメ」「良くない」と言われ続けると、自発的な意見を発しなくなります。
しかし、周りも自らの経験からアドバイスをし、失敗しないようにして欲しいために言うのだと思います。



しかし、アドバイスも、ほどほどが適量です。



調味料と、一緒ですね。


一つのスパイスばかり入れ過ぎると、その味一色に染まり、本来の味は、かき消されてしまいます。


「スパイス」が周りで、「本来の味」は子供たちです。


「本来の味」の可能性を広げ、引き立てる役割です。少しスパイスを加えるくらいで、ちょうどいいのです。


言いたい気持ちを少し抑えれば、子供たちも飛躍的に成長しますし、自分に自信が持てるので自発的な行動を起こせるようになります。


まとめ

今回は、「日本の学校の授業で、子供たちが発言をしたがらない理由」について、その背景に何があるのかを考え、どうすれば改善できそうか述べてきました。


学校のシステムから考える
親や、周りの環境から考える



子供たちが発言したがらないというのは「結果」であり、「事実」です。


しかし、「結果」には必ず背景があるのです。


背景を見ていくと、解決できることは沢山あるのではないでしょうか。



今回は、以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました。


それでは。


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