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2022年に小沢健二を聴く理由

小沢健二を聴いて田舎で育ち大学で上京

90年代後半の東京は
地方と比べ物にならない物量があり
ポップカルチャーのステキな香りしか
しなかった記憶がある。

僕は下北沢や渋谷、新宿、神保町で
レコードを漁る日々を過ごしていた。

ただ今の趣味と全く異なっていたため
昔の自分に今の知識を与えられたら
どれだけ良かったかと思うことすらある。

今と違い
時間のある人間には
それなりのモノが手に入れられた時代。

モノもだが
文化面…というかいろんな知識も
今と比べてると
オリジナルソースから引けた事が
後々になって大きく差が出ている気がする。

特に時間のある人間には
なんとかなる時代だった。

そんな中で生活していた人間が
小沢健二を2022年に聴くと
当時を思い出す。
ではなく
当時の気持ちを思い出す。

正しいのではないかと思う。

洗練された歌詞が
言葉として自分の成長に
大きな影響を与えているから
だからか
TKサウンドを聴いても
同じ気持ちにはならない。
なっても前者止まり。

当時の気持ちを思い出しても
今の生活に
何か影響を与えるわけではない。

ただ
歳をとった自分と
歳をとった小沢健二が
同じ時代を生活して
小沢健二の今の音楽を
昔と同じような気持ちになって
聞けることに価値がある。

今を楽しく生きてない限り
昔は良かったという未来はないし
昔は良かったという過去も
今を悲観する理由にもならない。

というようなところまで
考えを回してみたくなるのが
2022年に小沢健二を聴く理由
なのかもしれない。

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