IMG_6193_2トリミング

僕の中で失われた「つながり」を取りもどす

クロアチアにいます。

インスピレーションがわきやすい環境で
本の原稿を書こうと思ってとった
約一ヶ月の海外生活。

韓国、オランダ、ドイツときて
二日前にここドブロブニクにたどり着いた。

今回の本は
「強み」ってテーマについて書くんですが
直感的には「人と人とのつながりをつくり、強化する本」
になるんじゃないかなぁ
と思っていて。

そんなことを思いながら国を移り
旅行というよりはその国で過ごす。

自分という存在を相対化してチューニングする


違った環境に身をおくと
自分のことを客観的な視点から
相対化することができる。

自分にとっての疑わなかった当たり前が
まったく当たり前じゃない世界。

そんな中で観光するわけではなく
日本よりはペースはゆっくりだけ
働いて、ゆっくりして、食べて飲んで、寝る。

そんなことをやってると
新しいインスピレーションを得たり
違和感が自然と浮きあがってくる。

例えば、このツイートで書いたこと。


オランダのアムステルダムや
ドイツのフランクフルトで
ご飯を食べながらなんとなく感じていたこと。

一緒の空間にいる家族や夫婦カップルや友だちが、
どれぐらいの時間を過ごすのか。

その間の表情や身ぶり手ぶり。
そこにただよってる雰囲気感。

どれ見ても日本よりもゆっくりだし
なんか急いでなくて心地よさそうだなぁと。

僕がこんな環境の中で生まれ育ったヨーロッパ人だとしたら、せかせかした僕みたいな日本人の生き方に、尊敬の念はいだくことはあれど、憧れたりそうなりたいと感じることはないだろうなぁと。

当たり前の日常に心地良さと幸せがある。

どっちがいい悪いとかじゃなくて
こういうのもありだな、と。
というか、正直にいうと
こっちの方がかなり好きな感じだなと思った。

でも、日本にいるときみたいに
プロフェッショナルでチームを組んで
バシバシプロジェクトを進めていく「スピード感」もやっぱり大好き。
まだ若いしね。笑

いずれにせよこうやって
自分という存在や生き方、働き方を定期的に相対化し
チューニングできるってことはすごく必要なことだ
と実感しました。


僕の中でつながりが失われた出来事


日本を離れて約2週間で
気づいたことは星の数ほどある。

全部書くと100万字ぐらい書けそうなんだけど
その中でも大事な気づきだけ今日は書きたい。

「つながり」について。

つながりがあったあの頃と
つながりが失われた頃の薄い記憶について。


僕は小さい頃の記憶は薄い方だと思うけど
小学3年生になる前後で
大きな性格の変化があった気がする。

わかりすいところで言うと
それまでは人見知りじゃなかった。

家族でどっかに花見かなんか行ったときに
僕だけはぐれたことがあった。
(僕だけというのは僕は三人男兄弟の長男です)
というか親が僕のことを見失った。

親が来た道を戻って僕を探していると
10人弱ぐらいのグループが
ビニールシートを広げているところに

元からそこにいた一員かのように
輪に入って楽しく会話しながら混ざっていたと
親から後で聞かされた。
(僕の記憶にはない)


またある時は
母親の友達が数十人集まる会合に
僕を連れて行ったときのこと。

友人と話してた母親が
近くに人だかりができてることに気づき
「あれ何やろ?それで研太はまたどこに行ったんやろ…」
って思って、人だかりの中心を見ると

小学校1〜2年生だった僕が
有名な巨人の外国人バッターのモノマネをしていて(確か目が大きいマックって選手だったかな。笑)
爆笑をとっていたそう。


通知表に書かれるのは四字熟語はいつも「明朗快活」。
友達が多くいつもはしゃぎすぎて
怒られることが多いぐらい。

そのときのことはほとんど覚えてないけど
がんばって記憶をたどってみると
友達と川に泳ぎに遊びに行ったり
毎日が自由で楽しかったような気がする。


そんな僕が小学校3年生の後半には
休み時間に教室に男子一人残っている。
なぜかそんな風になってた。

みんなは1日のメインイベント来たりって感じで
運動場に出てドッチボールとか
ケイドロをしてる中で。
(ケイドロ=警察と泥棒に分かれて警察役から泥棒役が逃げる遊び)

何があったの?
って思われたかもしれない。
でも理由ははっきりとは僕にもわからない。


いじめられたわけじゃない。
ひとつ挙げるなら
ほかにも経験している人が多くいるように
小学校3年の2学期に初めて「転校」した。

転校したとき自己紹介の挨拶では
初めて「人見知り」を発動していたように思う。

なぜ転校だけで
そこまで変化があったのか
当時の自分自身の気持ちは思い出せないから分からない。
親に聞いても分からない様子。

ただ最近でも実家に帰ると
「昔の研太は、聞いて聞いてーって
ずっとしゃべってたのになあ」と
おかんがよく言うことを考えると
性格は親から見てもこの頃から変わっていったんだと思う。


この変化について
この2週間でふと思った。

小学3年の転校までは
「つながり」は当たり前に育まれていたもので
疑うものではなかった。

それが、物理的に自分の友達を離れて
連絡が取れなくなったことで
ものすごく「切り離された」ような感覚を
当日の僕は感じていたのかもしれない
と。

それから人と仲良くなりながらも
どっかで人と深くつながるってことを
恐れていたのかもしれないなーと
なんとなく思った。

Just インピレーションなんでわかんないけどね。笑

なんでそんなことを
思いついたのかは分からない。
正しいのか間違ってるのかも。
(人が感じる感覚なんて曖昧なものの
過去のことでも正しい間違いがあるのかも不明だけど)


強みを活かすことによって実現されること


この2週間で改めて思ったこと。
「人と人が安心して繋がってるって最高だな」と。

それをこのヨーロッパで過ごす中で
普段とは違う価値観の中で育った
多くの人の中に存在することで感じた。
僕は、これから人生では
つながりを前提に改めて生きていきたい。

なにも疑わず無邪気に
友達に「今日も泳ぎにいく?」って
学校終わりに誘い

帰っておかんに
「●●と川行くからまた送ってー」
ってお願いしていたあの頃のように。

あの頃の「つながり」を思い出し、取り戻し
それを前提に本来の自分らしい人生を
改めてかたち作っていきたいなぁと。

僕自身強みを活かすとは
「機能」の話だと思っていた。
「生産性」や「成果」の話だと思っていた。

でもどうやら本質は違うらしい。
「つながりを取り戻す」
それが今の時代で、今の日本にフィットした
強みによって実現される中心テーマだと
なんとなく肌で直観した。


思った方向とは全然違う感じになりそうだから
一旦執筆はやめて
代わりに自由気ままに書きたようにnoteを書いてる。

一本目で書いたtwitter攻略noteのように
ガッチガチに「攻略系」「ノウハウ系」に
振り切った内容を書くのも個人的には好き。

それも自分。

でもまったく有益性はなく
書きたいこと書けるこんな記事も最高だな。

これを最後まで楽しんで読んでくれる人が
どれぐらいいるか分からないけど
こんなnoteを書いていくことも
自分が忘れかけていた「つながり」を思い出す
大きなきっかけになっていくんだろうなと思っている。


さて、次はどんな記事を書くんだろう。
三日坊主で有名なやまけんなので
期待せず楽しみな方はお待ちいただけると嬉しいです。


追伸、
あ、あと「コンサルティングの技術を大公開」って
noteが下書き状態で残ってるから
それは数日以内に完成させて公開します。

追伸2、
最近食べた中でいちばん美味しかったパスタはこちら。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?