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宮澤賢治が常日頃、教え子たちに伝えていたこと

自然の中を歩くのが好きで、自然からある種のときめきや感動を得られたらと思っている人は多いのではないでしょうか。宮澤賢治の作品が、自然をより楽しむためのヒントになるかもしれません。賢治作品から自然を楽しむヒントを集めた『自然をこんなふうに見てごらん 宮澤賢治のことば』(澤口たまみ著)から、プロローグをお届けします。

「宮澤先生から教わったのは、どのようなことでしたか?」

そう尋ねると、花巻農学校に学び、宮澤賢治に可愛がられたという小原忠さんは、静かに答えました。

「自然を見ること。いまの言葉で言う、自然観察のようなものでした」

それは一九九六年、あるテレビ局の仕事で、そのころまだご存命だった教え子さんたちにインタビューする機会を得たときのことです。

小原さんが賢治に目をかけられた理由は、文学が好きだったからだそうです。賢治は宿直の晩に学校を抜け出し、小原さんのもとを訪ねると窓を開け、
「小原くん、詩の作り方を教えよう」
と声をかけました。机に向かっていた小原さんは、宮澤先生がいきなり顏を出したのに驚きましたが、「詩の作り方」と聞いて、喜んで出かけました。
賢治は、先に立って夜の野原を歩きまわり、その晩は結局、散歩をしただけで帰ってきたということです。

小原さんは、
「宮澤先生は、歩きながらしきりにぶつぶつと呟き、口のなかで声に出して言葉を選んでいるようでした」
と回想され、そのときの散歩が、「銀河鉄道の夜」のなかの、主人公のジョバンニが夜の野原を歩いてゆくシーンに反映されていると語りました。

賢治の思い出を語るときの小原さんは、まるで夢でも見ているように満ち足りた表情を浮かべていました。

「宮澤先生と歩いていると、ひとりで歩いていたときには灰色にしか見えていなかった冬の雑木林でも、にわかに生き生きとして、宝石でも散りばめたように美しく見えてくるのです」

賢治に自然を見るよう勧められたのは、文学好きの小原さんだけではありません。やはり賢治から大きな影響を受けた照井謹二郎さんは、北上川の岸辺につないである小舟に賢治が「借りるよ!」と声をかけて漕ぎ出し、川にリンゴを落として、しぶきのなかに小さな虹ができるさまを楽しんでいた姿を見ています。

「宮澤先生は、きれいだ、きれいだー、と喜んで、何度も、何度も、リンゴを川に落としていました」

そう語る照井さんは、演劇好きだった賢治の遺志を継ぐべく、晩年まで賢治作品をお芝居にして子どもたちと上演を重ねました。

特筆すべきは、小原さん、照井さんのほか、インタビューした教え子さんの多くが、
「宮澤先生はいつも、自然、自然と言っていた」
と語ったことです。賢治は、文学などの芸術のみならず、あらゆる場面、おそらくは人生そのものにおいても、自然を見ることに意味があると考えていたのでしょう。

教え子さんたちは、自然のなかで目を輝かせたり、喜んで飛び跳ねたり、「ほう!」と歓声を上げたりしている宮澤先生の背中を見て、
(自然を見るとは、こんなにも素晴らしいことなのだ)
と、感じとっていたものと思われます。

賢治が亡くなった一九三三年から、まる九十年が経ったいま、わたしたちは、その背中を見ることはできません。
しかし賢治は、数多くの言葉を残していました。

これからお読みいただくのは、自然にまつわる賢治の言葉に、それを読み解く易しいエッセイを添えたものです。これらの言葉をたどるなかで、賢治がなぜ、教え子さんたちに「自然、自然」と言っていたのか、自然を見つめることにはどのような意味があるのかを、皆さまそれぞれに感じとっていただけたなら幸いです。

さて、冒頭に紹介した小原さんは、賢治が花巻農学校の生徒のために作詞した「精神歌」を、インタビューの終わりに口ずさんでくださり、
「わたしは夜、眠る前に必ずこうして歌っているのです」
とおっしゃいました。そしてその理由は「銀河鉄道の夜」のなかにある……とも。

小原さんのもとを辞して、わたしは「銀河鉄道の夜」を開きました。ページを繰るのももどかしく文字を追い、つぎの一行を見つけて、思わず感嘆しました。
わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう
この言葉が、小原さんの胸を離れることは、ついになかったのでしょう。

賢治の自然の言葉を集めながら、わたしは賢治から、
(わたしの読者は、いまどんな自然を見ているだろう)
と問われているような気がしてなりませんでした。自然を見つめ、こころを寄せる者がいなくなれば、賢治の愛した自然も失われてゆくかも知れません。
まずは身近な自然に目を向け、その美しさや不思議に驚き、自然を見つめる日々を楽しいと感じるところから、始めるといたしましょう。


宮澤賢治のおはなしには、⾃然を⾒る視点の魅⼒が詰まっている。
岩⼿在住のナチュラリストが、その57の⾔葉を読み解き、⾃然を見つめる視点の魅力を綴る。

著 澤口たまみ
定価  2090円(本体1900円+税10%) 
発売日 2023年2月13日
四六版 208ページ

内容紹介

⽊の芽の宝⽯、春の速さを⾒る、醜い⽣きものはいない、⾵の指を⾒る、過去へ旅する…
⾃然をこんなふうに感じとってみたいと思わせる、宮澤賢治の57のことばをやさしく丁寧に紐といた⼀冊です。

「銀河鉄道の夜」も「注⽂の多い料理店」も、宮澤賢治は、おはなしの多くを⾃然から拾ってきたといいます。それらの⾔葉から、⾃然を⾒る視点の妙や魅⼒をエッセイストの澤⼝たまみさんが優しくあたたかな⽬線で綴ります。
読めばきっと、こういうふうに⾃然を感じとってみたい、こんなふうに季節を楽しみたい、と思わせてくれるはずです。

著者紹介

澤口たまみ
エッセイスト・絵本作家。1960年、岩手県盛岡市生まれ。1990年『虫のつぶやき聞こえたよ』(白水社)で日本エッセイストクラブ賞、2017年『わたしのこねこ』(絵・あずみ虫、福音館書店)で産経児童出版文化賞美術賞を受賞。 主に福音館書店でかがく絵本のテキストを手がける。絵本に『どんぐりころころむし』(絵・たしろちさと、福音館書店)ほか多数。宮澤賢治の後輩として、その作品を読み解くことを続けており、エッセイに『新版 宮澤賢治 愛のうた』(夕書房)などがある。賢治作品をはじめとする文学を音楽家の演奏とともに朗読する活動を行い、 CDを自主制作している。岩手県紫波町在住。

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