科学の進歩

 世界には無数の事象がある。すべての事象を科学で把握することなどできない。科学は視野狭窄を前提として成り立つ学問である。観察、実験する前にまずは視野を狭める必要がある。感覚器で受容できる一部の領域にのみ観察範囲を限定することで、科学は類まれな成功を収めた。今では見渡す限り科学である。現代社会で生活していると、いやでも科学に出くわす。朝起きてから寝るまでの間に、科学は至る所に潜んでいる。息をひそめて私たちの生活を支配している科学に、私たちはあまり気付くことはない。そんな生活をしているうちに、心も身体も科学に汚染されていく。症状が進行していることに、私たちは気付いていない。そして、この症状を治癒するための最悪な方法は、自然を賞賛することだ。科学によって制御されている都市社会のありさまを嘆いて、自然から離脱してしまった現代人を愚かと判定してみせる。そんなしぐさを見せてみたところで、事態は何も改善しない。科学による肉体への浸食は止まることなく進行していく。

 科学は世界の一部を表しているに過ぎない。科学で得られた知識は、極めて断片的で局所的なものであり、科学が提示する世界観は偏狭である。科学だけに囚われていけない。現代人は自分の感情、思考が脳の活動に起因していると考えがちだが、これはまちがっている。私たちの精神を汚そうとする科学的唯物論を芸術や文学によって解毒する必要がある。そんな内容を主張する人文系学者はよくいる。だが、そういうお前は生活のあらゆる場面で科学に頼りっきりではないか。科学がなければ、お前の便利な生活は誰が保障するというのか。こういう指摘は下品かもしれない。こんな反論をしたところで、知的な進展は何もないかもしれない。だが、私はこの指摘をせずに済ますことはできない。

 人文系学者は、いたずらに進歩する科学に警笛を鳴らしたりするが、当人たちに科学と本気で対峙する気概がないのが透けて見える。私たちの社会がどうしようもないレベルで科学に支配されているのは自明である。科学の進歩を批判しながら、江戸時代とか中世とか持ち出して何か言った気になるのは良くない。とある学者が言うには、近代に生まれた大量生産というものがよくない、非人間的なシステムの中に人間が組み込まれてしまい精神の阻害は深刻になっている云々。さらにその学者は、近代以前の職人の工芸こそが見直されるべきであると述べていた。私は読んでいていい気なものだと思った。まず、大量生産と職人の技術を対比するような捉え方に、私は納得がいかなかった。なぜなら、今日の工場に存在する大量生産のシステムは職人の技術が結集したものだからだ。どんなに複雑で非人間的で精密で高度な機器やシステムも、ばらして元をたどっていけば、人間が手と身体と頭を使って作っている。モノ作りを川上の方に遡っていけば、手作業と肉体労働に行きつくのであり、たいがい3K労働になると思う。

 結局どれだけ科学が進歩しても、人間は労働から解放されることはない。AI社会の到来などと言っている人たちはのん気なものだ。科学が進歩して、機械もシステムも複雑化、高度化すれば、それを作って維持するための労働力の総量は増えると考えるのが常識だと思う。だが、なぜか人々は機械の進歩によって労働量は減少すると考えたがる。AIができた社会でなくなる仕事と残る仕事の一覧表を目にすることがあるが、あれは逆だと思っている人は結構いるのではないか(逆は言い過ぎかもしれないが)。AI社会の到来によってバラ色の未来を描いている人は、今まで搾取する側だったのだろう。そのような人にとっては確かにバラ色かもしれない。

 現代社会は複雑になりすぎて、全貌が見えにくくなっている。知らない間に何もかもが科学に包括されていく。都市社会で生活する人間の精神は希薄になり、重層的な言論が生まれにくくなっていく。鈍重な文章も、複合的な思考も、科学に支配された都市社会では生まれにくい。多くの事象が単層的で単線的になっていく。手先と身体を使わなければ、文学も復興できないのだろうか。なんだか年寄りの説教みたいになってしまった。自分自身が生まれてから今日まで科学にどっぷり浸かった生涯を送ってきた。科学にうんざりするし、科学なんて消えてなくなればいいのにと思うこともあるが、そんな願いが叶えば数日ですぐ後悔するのだろう。

 思考も文章もデジタル化していっている。文芸の復興を望むような人の方が、理工系の人間よりもデジタルな文を書いていたりする。思考というものは、進んだり戻ったり、寄り道をしたりしながら何とか体勢を整え進んでいくものであったが、二十一世紀の今ではそんなことはなさそうだ。私たちは先人よりも軽快にスマートに思考している。先人のような愚鈍な思考をすることができなくなったおかげで文学は衰退する一方だ。

 科学がいたずらに進歩していく現状に懸念を示す人たちはいるが、科学の方は気にもとめずに進歩していく。科学の道を切り開こうとしている研究者たちが、科学の奴隷のようでもある。科学は人間が生み出したものなのに、今では人間が科学に従事しているようにも見える。

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