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J.ロジャー ルーシー神父の詩

「大きなことを成しとげるために力を与えてほしいと、
 神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。

より偉大なことをできるようにと健康を求めたのに、
 より良きことができるようにと病弱を授かった。

幸せになろうとして富を求めたのに、
 賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、
 得意にならないようにと失敗を授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
 あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、
 願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
 心の中の言い表せぬものは、すべて叶えられた。

私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。」

(J.ロジャー ルーシー神父の詩)

これを、先週シスターの渡辺和子さん本「愛することは許されること」で読んで、ずっと泣いていたんだドグ。

以下、本文より。


最後の方にある「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた」という言葉に魅かれます。「心の中の言い表わせないものは、すべて叶えられた」という言葉にも。
「子どもがあの学校に合格しますように」
「病気がなおりますように」
「あの会社に就職できますように」
と、私たちは祈ります。ところが、子どもは不合格、病気はなおらない、就職も行きたいところに行けなかった、ということはよくあることです。「神も仏もあるものか」と言いたくなるのはこういう時です。
ところが、実は、「求めること、捜すこと、戸を叩くこと」、もたいせつですが、「それに応えて与えられるものを謙虚にいただく心」の方がよりたいせつなのです。

激しく求めただけに、その求めたものが与えられなかった時の落胆、捜したそのものを見つけられなかった時の失望には、計り知れないものがあります。でも、そういう切なさ、辛さこそが、実は人間が成長してゆく上で「本当にたいせつなもの」「必要なもの」だったのだと、いつか必ず気づく日がある。
それが実は、「心の中の言い表せない願いが叶う」ということではないでしょうか。

人間が人間になってゆくには多くの挫折、悲しみ、苦しみを重ね、のりこえてゆかないといけないのです。

渡辺和子『愛することは許されること』(PHP文庫)より




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