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おかえりモネを見てる〔最終週〕

わー。とうとう最終回を迎えました。おかえりモネ。
さすが最終週。心が動く場面がたくさんありました。まとめていきます。

今週のあらすじ

菅波(坂口健太郎)がついに気仙沼へやってきた。たまたまその場にいあわせた亮(永瀬 廉)は、菅波にある問いを投げかける。そして、いよいよ百音(清原果耶)は菅波を家族に引き合わせようとするが、耕治(内野聖陽)はなぜか出かけてしまっていた。そんな中、未知(蒔田彩珠)も亮と気持ちを確かめ合い、前へ進もうとしていたが、東京の大学に行くかどうか、心を決められずにいた。百音は、未知の思う通りに進んでほしいと願い、その背中を押そうとするが…。(公式サイトより)

亮の背中を押した人

坂口健太郎さん演じる菅波先生は、このドラマが伝えたいことを言葉にするキャラクターですね。しかも、何かしないといけない、というスタンスではなく、そうするしかないという受け入れ方がいいなあ。

過去に東日本大震災で母親を亡くしている亮は、大切な人を亡くす辛さはもちろん知っていますし、その悲しみを受け入れられず、立ち直れないでいる人(父)を身近で見ています。だから自分自身、大切な人を失うことが怖くて、誰かと心を通わせることを避けて生きてきました。

菅波先生がモネを大切に思う様子を見た亮が、先生に聞いてみたのが上のこと。この二人がこういう形で関係を持つのかあと感動しました。この二人、今までに何回も会ってきたわけではないし、お互いのこともほとんど知りません。それでも前に進めないでいる亮に、菅波先生の言葉が背中を押した形になりました。

近い間柄の人よりも、これくらい距離がある関係性の方が実は救い合えたりしますよね。別に菅波先生が特別良い人だったわけではなく、関係性とタイミングがたまたま、ちょうどいい具合にかみ合ったことが良かった。それと、亮が自分の中でちゃんと「変わらなきゃ」と思って考えていたから、菅波先生の言葉がきちんと伝わったんだろうなあと思いました。

ドラマの中でこういう関係性を堂々としっかりと描いてくれるのが嬉しい。名前のない関係というか。自分もそういう作品を増やしていきたいなと思うのでした。

あなたが思う未来へ

久しぶりに会ったモネと菅波先生のやりとりが、このドラマに関わる人たちからのメッセージを感じて嬉しくなりました。

モネの実家に挨拶に来た菅波先生は、自分たちのことをどういう風に家族に伝えればいいか、モネに相談します。近くに住んでいるわけではないし、しょっちゅう会うわけでもない。今後どっちに住んでどうするとか、そういうこともきっと言えない状態。

モネはそれに対して、かつて菅波先生が言った言葉を返しました。
一緒にいるってどういうことか。それは一緒に二人の未来を考えることだ、と。

今はまだ先のことは分からないけれど、一緒に二人の未来を考えながら生きている。離れていても、先のことが決まっていなくても、今一緒にいる。これからも一緒にいたい(二人で未来を考えていきたい)と思っている相手ですと。

なんというか、今この時代にこういうあり方を見せてくれたことが、見ている人すべてを許してくれる、とても優しいドラマだなと思いました。
恋人とか家族とか、人と人との関係性すべてにおいて、こうあるべきという決まったものはない。すぐに会える距離じゃないと付き合ってるとはいえない!とかね。ない。
相手が遠くにいても、安心して付き合っていられる関係ってとても素敵です。もちろん、すぐに会える距離にいることを望んで、それを叶えることも素晴らしい。どちらも認められるべきなんでしょうね。

今もし、誰かとの関係性に不満を感じている人がいるとしたら、もしかしたらね。「こうあるべき」と自分で自分を拘束してしまって、そのしがらみのせいで今の在り方を許容できないだけなのかもしれません。そういう人がこのドラマを観て、この二人がお互いに納得して、自分たちらしいあり方を見つけて進んでいる様子を見て、自分にかけた「べき」を一つでもなくすことができていたらいいなあと思いました。

最終週のタイトル「あなたが思う未来へ」は、今を生きるすべての人に向けられたメッセージのように思えたなあ。

ニコイチ

なんやかんやあって、菅波先生は無事モネの両親にご挨拶ができました。
二人の様子を見ていた父・耕治は、モネの母・亜哉子にこっそり「まいったな。ありゃニコイチだ」と言いました。

その言葉に笑顔を返す亜哉子。この後、カメラは耕治と亜哉子が並ぶ後ろ姿を捉えます。結局この二人もニコイチなんですよねーって言われてるみたいでなんか微笑ましかったなあ。こんな仲良しな夫婦いいなあ。

「推し」

関係ないようで関係ある話ですが、最近まわりで「推し」って言葉が飛び交っています。主に自分より下の世代から。
推し。つまりは自分が応援してたり、好きだったりするキャラクター・人物のことですが、ただ好きってだけじゃなくて、もう一歩深いものがあるような気がします。推しがいることがステータスになってたり、心の支えになってたり。推すという言葉どおり、「誰かに伝えたい」存在のようなものなのかもしれない。

自分の中で「推し」って言える存在はまだないんですが、このドラマの登場人物の中でみなさんに推したい、おすすめしたいキャラクターは何人かいました。このドラマに出てくる人みんなほんとに魅力的だったので選べないんですが。一人選べって言われたら私は亜哉子さんかなあ。モネのお母さん。鈴木京香さんが演じていました。

なんでこの人を推したいかと言うと。もちろん鈴木京香さんの役者さんとしての魅力は相当影響があるんですが、役どころも良かったのかなあ。ドラマの中で何かが起こる度に、それを温かく受け入れて見守っている。もちろん自分自身がその渦中にいることもあるけれど、怒ったり涙を流したりちゃんと人間らしくて、それもまた魅力的。なんというか、見ていて一番感情移入できたし、視点も近かったのかもしれません。視聴者である自分と。

元教師だった亜哉子は、子どもたちを受け入れる民宿をやりたいと思っていて。ドラマの最後には子どもたちを預かるのか、塾のような形なのか。民宿としてではないけれど一つの形として動き出したようでした。子どもたちと一緒に楽しそうに過ごす亜哉子さんの様子見てて嬉しくなったなあ。これが推しが幸せだと嬉しいというやつでしょうか・・・(笑)

「おかえり」とは

そういえばこのドラマのタイトル「おかえり」を、始まった時からずっとっどういう意味かな?と考えていました。気仙沼編でモネが地元に帰ってきて「ああ、これがおかえりか」「モネがおかえりしたぞ」と思っていましたが、最終週でもうひとつ「おかえり」の意味が分かりましたね。

モネがどこに行っていて、どこに帰ってきたのか。これは私なりの解釈なので、いろんな捉え方があると思いますが・・・

東日本大震災のときに自分が気仙沼の地元にいなかったこと。大切な人たちのそばにいられなくて何もできなかった(と思い込んでいる)こと。モネにとって、この時から「自分には何もできないのではないか」「何かしなければいけないのではないか」と自分を過去に縛り付けていました。

登米で森の仕事に関わり、人に触れ、気象の仕事に出会い。東京で気象のことを学び、何もできないもどかしさを受け入れて、できることをやり続ける人たちを見て。少しずつ「自分にもできることがある」と思うことができていたモネですが、それでもまだ、「やっぱり私には無理なんだ」という絶望がまたやってくるんじゃないかと、震災の直前まで打ち込んでいたこと(音楽)を真正面から受け止められずにいたようでした。

気仙沼編でもいろんなことがありましたが、やっと自分の中でも自分をゆるすことができて、大切な人と自分なりの在り方で「そばにいる」ことができるようになって。心から音楽を楽しみ、仲間と過ごす時間を楽しんでいたあの頃のように、まっすぐ周囲と・自分と向き合えるようになった。過去を乗り越えて今と未来を見ることができるようになった。

震災前のモネが見ていたものも今と未来だったんだと思います。そしてまた、あの頃のように今と未来を見ることができるようになった。だから「おかえり」ってそういうことなのかな。

そしてそれは、モネだけではなく。妹や同級生のみんなも同じだったんだろうなあ。みんなそれぞれの形で未来に向かっていきました。

「いいと思いますよ、もう」

菅波先生が気仙沼に来た日。東京の病院から電話が。「呼吸器の専門医と話がしたい。緊急で」コロナのことですね。

時代がずっとコロナ前だったので、そのあたりの話はどう描かれるかなと思いながら見ていましたが、やがて「数年後」というテロップが。

数年後何があったかというと、気仙沼に再び菅波先生がやってきます。二人が会うのは2年半ぶりとのことで、医師である菅波先生がたくさんたくさん現場で頑張っていたのだろうなと思いました。2020年2月、というのがその直前の表示だった気がするから、再会は2022年8月かな?

再会のハグをしようとして躊躇うモネ。「いいんですか」と。
感染症対策のことですよね。こう、接触して良いのかなって。医療従事者だからなおさら気にしてたんだろうな。

それに対して菅波先生が言った「いいと思いますよ、もう」がまた。これも製作者のみなさんから、今を生きているみんなに向けての励ましのような、願いのような、応援のような。そんなメッセージに聞こえました。

2021年10月の今、もういいよって言えるわけではありませんが、2022年8月には「もういいよ」って言えるといいなっていう願いのような・・・願いというか、うーん。「きっとその頃には『もういいよ』って言えるようになってますよ、きっとね!」っていうメッセージかな。伝わってきました。喉の奥がぎゅっとなって、鼻の奥がツーンとなりました。

正直なところ、私自身はコロナのことを恨んではいません。コロナによってできなくなったこと、失った人もいたし、もちろんコロナが無ければ良かったのにって思う場面はあったけれど、「仕方ない」「仕方ない」って思って、真正面から受け止めないようにしてたなあ。受け止めるのはしんどいから、身体を斜めにしてできるだけスルーしてたような。そんで、「コロナのおかげで良くなったこともあったよね」とか思ってたし、今もそれは思っています。

だけど、もし今「OK!もういいよ!」って状況になって。菅波先生みたいに「いいと思いますよ」ってみんながお互いにOK出せるくらいの状況になったらって想像したら、すごく心が緩んだ。そういう状況に早くなってほしいなって思いました。と考えると、スルーしてきたつもりでもスルーしきれてなかったのかもしれません。

このドラマのラストにこういうシーンがあって。希望が持てました。いつか、2022年8月じゃないかもしれないけれど、いいんじゃないですかってマスク外して、自由にね。できたらいいですね。

まとめ

おかえりモネ。終わりました~。
早起きと勉強のためにと始めた朝ドラ習慣。結局最後は録画を昼間に観ていたので早起きにはなりませんでしたが(笑)勉強にはなったし、たくさんの感動もありました。楽しかったな。

よく言う「ロス」は、今のところ無さそうだなあ。制作に関わったみなさんにお疲れ様でしたを言いたい気持ち。特に最終週のメッセージがとても暖かかったので、素敵な人たちがたくさん制作に関わってたんだろうなと思います。

作品って、作り手と見る人の間にあるもので。お互いが直に接することはなくても、通じるものがあって、共有できるものがあって。ドラマでも本でも、アートでも演劇でも、植物でもクラフトでもなんでも。思いを込めて作られていたり、大切に手をかけて作られていたり、そういう作品からは感じるものが沢山ある。だから、自分も何かを手掛けるときには、丁寧に手を、心をかけて作りたいなあと思いました。

来週のあらすじ、もう無いんだなあ。ちょっと寂しいな。これがロスか。

新しい朝ドラはこちら。

ドラマのロゴがかわいいな。英語の話のようです。時代も大きく変わっていく形式みたいですね。ひとまず見てみようかな。
第一週見て、気が乗ったらまたレポート続けようと思います。またね!

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