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ふと人生に涙する

森閑とした穏やかな空気に身を置いている時や、夕日が海をオレンジ色に染めて沈もうとする時に、内から湧き上がってくる寂しさや虚しさを密かに噛みしめている時があります。
そんな時、無意識に涙が出そうになるんです。

それは言葉では言い表せない何とも言えない感情です。
今ここに生きている」と言うことを確認しながら、そのずっと先を想像して虚しく感じているのかも知れません。

若い頃に感じていたメランコリックな思いとは全く違う、67歳の私を襲う感情です

これからは個人的なお話です。

「何時か人生の終わりがやってくる」と身近に思い始めたからなのでしょうか。終わる事を知りながら、生きている自分を思うと、虚しく切なく、無性に涙が出るのです。

10代の頃どうしようもなく悲しくて涙したことがありました。
小学校から中学校に進学する時のことです。校区制なので友人のほとんどは同じ地域の中学校に進むのに、私は隣の校区の中学校に進学することになりました。住居が変わったので、仕方がないことだったのですが当時の私にとっては耐え難いことで、卒業式に誰よりも涙を流していました

それまで、6年間を共に過ごした仲間たちともう二度と会えないような寂しさを感じたのです。この世の終わりかと思うくらい落胆していました。
会いたければ会いに行くことも出来るのに、そんなことよりも、皆と同じ道を歩めないことに大きなショックを受けていたのです。

あの頃、人生の終わりと感じていた寂しさと、今の虚しさは全く違います

67歳の私が感じるのは未来が閉ざされた虚しさです。

私にはまだまだ人生に未練がたっぷりあるんでしょう。
何時とも分かりませんが終わりがあると知っているだけに、ゴールを気にしながら生きていることが虚しさや寂しさに繋がって涙が出るのかも知れません。


「生きる」とはそうした思いを抱えながら前に進むことなのでしょう。
ゴールがあることを知りながら一日一日を大切に生きる。
後悔の無いように

こうして書いていると、少しポジティブな思考になってきました。
ゴールに向かって悔いなく生きよう」と思う気持ちが湧いてきました。
時折涙が出そうになる私もわたしです。
その時々の自分の心を確かめながら、自らを励ましながら進んでいきます
与えられたゴールにたどり着くまで。

【毎日がバトル:山田家の女たち】

《あんたみたいに考えよったら生きていけん》


私は夕日を見たら頑張ろうと思うんよ、あんたみたいに考えよったら生きていけんわい、じゃけん夕日からは元気をもらうんよ」

「あ母さんはゴールを考えることは無いん」

「本当に無い、私は今日は今日、明日は明日の風が吹くと思とんよ、ケセラセラ言よろ、今日を毎日生きよんよ、それが私の生き方、そう言うこと」

年齢も感覚も違う母と私は微妙に捉え方が違います。母に呆れられながら勇気づけられました。母は強しです。

生きるとは明日への一歩春隣


母が生きるをテーマに句に詠んでくれました。何とも重い一句です。一歩一歩明日へ向かって歩みを進める。その向こうには希望と言う文字が見えてきます。春はすぐそこ、苦しくても、しんどくても一歩を踏み出すことの意味を教えてくれたような気がします。


最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。


私のアルバムの中の写真から

また明日お会いしましょう。💗

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