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都市伝説『ナゾカケ』

「掛けましてエ――掛けましてエ――」
 ガラスを砕いたような高くひび割れた声を聞いて、私は背後を振り返った。
 すっかり日の落ちた暗い歩道には、先ほどまで私のほか誰もいない様子だった。それがいつの間にか、私のすぐ後ろに、羽織を纏った着物姿の人物が立っていた。
 いや、正確には、人のような輪郭に見えるだけだった。夜とはいえ周囲には街灯や自動販売機の光があるのに、全身に黒い靄のような陰影が掛かって、顔つきや衣服の詳細を捉えることができない。ただ三日月型に歪んだ口元だけが、暗闇の中に赫々と浮かび上がって見えていた。
「掛けましてエ――掛けましてエ――」
 人影は同じ言葉を繰り返しながら、時折キイキイと掠れた笑い声を上げた。ぞっと総身の毛が立って、私は一歩退こうとしたけれど、痺れたように脚が動かない。
 三日月がふと消えた。
 人影は真っ直ぐに唇を引き結んだ後、先程の異音じみた声とはまるで別物の、はっきりと耳へ通る言葉を発した。
「『夜道』と掛けて、何と解く?」
 ひどく冷たい感触を腹に覚えながら、私は先日友人から聞いた「ナゾカケ」という都市伝説の話を思い返していた。
 夜道を独り歩いていると、顔の見えない着物姿の人影が現れ、「――と掛けて、何と解く?」と謎掛けを出題してくる。身体の自由な動作は奪われ、答えるまでその場を離れることはできない。
 この謎掛けに対して、人影の満足する巧みな答えを返したならば、人影は何もせず夜闇に消え去る。しかし満足のいかない答えを返したならば、悲惨な末路が待っている。
「心を上書きされ、自身を奪われ、正気を失う」
 脅かすような低く震えた声で友人はそう結んだけれど、私は笑って聞いていた。道行く人に謎掛けを出題する怪異というイメージに、恐ろしさよりもむしろ可笑しさを感じたからだった。
 話通りの状況に遭った今、可笑しさは心中のどこにもなかった。眼前に立つ黒い影が恐ろしい。随意にならない身体が恐ろしい。何よりも、謎掛けの出来不出来という、不確かな基準に運命を握られていることが恐ろしい。
「『夜道』と掛けて、何と解く?」
 鮮血の色をした唇を蠢かせ、人影は再び私に問うた。
 顎を強く噛みしめて、こみ上げる震えを無理矢理抑えつける。恐怖を堪えて冷静な思考を巡らせることだけが、この場を乗り切る唯一の方策だった。
 幸いと言うべきか、私は謎掛けにそれなりの自信があった。友人知人との飲み会でよく即興の謎掛けを披露しているし、ネットラジオの応募企画で何度か入賞したこともある。「芸は身を助く」と口の中で呟くと、全身を蝕む悪寒が少しだけ薄らぐ気がした。
 常にない速さで脈打つ鼓動をできるだけ意識から追い出しながら、私は「夜道」から連想する言葉と、それと掛かりそうな言葉の候補を頭の中で羅列した。
 夜寄る闇止み宵酔い暗く苦楽道未知公道行動車道シャドー月突き星干し流星隆盛街灯外套電灯伝統照明証明……。
 頭の中を言葉で満たしていくうちに、自分の置かれた状況も忘れ、心が謎掛けの深奥へと溶け込んでいくようだった。
 ひどくぼんやりとした、それでいて冴えた気分のまま、私はゆっくりと口を開いた。
「『夜道』と掛けまして、『美容室での失敗』と解きます」
「その心は?」
 赤い口元が這いずる芋虫のように動き、甲高い声が暗闇に鳴り渡った。耳にこびりつく鋭い声音が、忘れかけていた冷たい恐怖を再び思い起こさせる。
 それを振り切るようにして、思考の果てに辿り着いた答えを、私は喉が千切れんばかりに叫んだ。
「まえがみにくい(前が見にくい/前髪に悔い)」

 気がつくと私は自室のベッドに横たわっていた。
 のろのろと身を起こして時計を見ると、夜道を歩いていた頃からそれほど時間は経っていなかった。あれからどうなったのだろう。謎掛けの答えを告げて以降の記憶がない。
 室内を見回しても、黒い影の姿は見当たらなかった。安堵の息がこぼれ、自然と頬が綻ぶ。
 私は運命に打ち勝った。謎掛けという特技によって、私は私自身を救った。安心と歓喜と、晴れやかな勝利感が胸中を満たしていく。
 しばらく動く気分になれず、ぼうっと部屋の壁を眺めていると、不意に手の中に何か握っていることに気づいた。
 拳を開くと小さな紙切れが一枚出てきた。くしゃくしゃになった紙を広げてみると、丁寧な筆致で十数字の平仮名が書いてあった。
 くらいけいろのまえがみにくい。
 先ほどの謎掛けの回答に似て、しかし字数が増えている。筆跡は私のものではない。あの人影が書いたのか。
 背筋にぞくりと戦慄が走った。人影がメッセージを残したこと自体も恐ろしい。しかしそれ以上に、書かれた言葉の意味に私は打ちのめされる気分だった。
「『夜道』と掛けて、『美容室での失敗』と解く。その心は」
 震える声で私は文字を読み上げた。
「くらいけいろのまえがみにくい(暗い経路の前が見にくい/暗い毛色の前髪に悔い)」。
 同じ謎掛けに対する、私より巧みな回答を、あの人影は残していった。
 私は運命に打ち勝ったのではなかった。私の回答は人影を満足させるものではなかった。胸中にあった安心は驚愕へ、歓喜は落胆へ、勝利感は苦い敗北感へ、それぞれ変わり果てていった。
 友人の語った怪談では、「ナゾカケ」が満足する答えを返せなければ、「心を上書きされ、自身を奪われ、正気を失う」という話だった。
 私の現状を鑑みると、それは全く間違っていて、しかし同時に正しくもあった。
 何故なら私は、あの人影に謎掛けの「心」を上書きされ、自信を奪われ、勝機を失ったのだから。

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