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山形大学の野望 ー 中位国立大学から上位国立大学へ -

はじめに 自己紹介と山形大学の紹介

 筆者は山大研究家といいます。
 趣味は国立大学法人 山形大学の研究です。筆者自身、山形大学の卒業生でもあります。
 山形大学は東北地方では二番目にいい大学として地元では知られています。一番目にいい大学は東北大学です。東北大学の知名度はおそらく全国区でしょう。山形大学の知名度は東北二番手でありながらも、全国区とは程遠い状況です。
 ですが自分は東北大学ではなく、山形大学を第一志望に選び、入学しました。なぜなら東北大学よりも山形大学のほうが魅力的だと思ったからです。
 なぜそう思ったかというと、東北大学は、学校の勉強はできるかもしれないけれど、それ以外はまるでだめだからです。スポーツ関係でも、芸術関係でも、有名人を出していない。
 それに引き換え山形大学は、学校の勉強は東北大学ほどではないけれど、スポーツも芸術も盛んです。スポーツや芸術関係でも有名人を出しています。学校の勉強だけじゃないんです、山形大学は。そこに魅力を感じたわけです。
 実際に入学してみると、あらためて入学してよかったと筆者は思いました。勉強ができる人もいれば、スポーツや芸術にたけた人もいる。勉強も運動もできないけれど、要領だけはよかったり、運がいいだけのような人もいる。それぞれが輝いてるんです。
 学校の勉強ができる人だけ評価される進学校の高校や、運動ができる人だけ評価される公立の小中学校とは、比較にならないほどにすばらしい。
 筆者は山形大学こそ、もっとも評価されるべき学校なのではないかと強く思うようになりました。勉強ができる人しか有名人を出していない、東北大学よりも。
 ですので筆者は、実際に山形大学は東北大学よりもいい大学であると、これまで長きにわたりインターネットでアピールしてきました。かれこれ20年ほどにもなります。
 ご想像のとおり、山形大学 > 東北大学 だとは、なかなか信じてもらえませんでした。
 そこで2015年、筆者は山形大学を東北ナンバー1の大学にするために、30年計画で計画を立て、実行しようと「山形大学 NEXT30」という長編の読み物を書きあげました。それを自身のブログにあげて、賛同者を増やして東北大学を追い抜こうとしました。
 あれから7年がたちました。「山形大学 NEXT30」の通りにやってみて、いろいろ分かったことがありました。そして見直すべきところは、見直すべきだと思いました。
 本書「山形大学の野望 ー 中位国立大学から上位国立大学へ -」は、再び山形大学が東北大学よりも高く評価されるために練り直した、長編読み物です。「山形大学 NEXT30」のバージョンアップ版です。
 旧版「山形大学 NEXT30」とあわせてお楽しみください。
 (なお、これ以降の文章は、である調で記します。ご了承ください)

かつての野望 山形大学 NEXT30を振り返る

 今から7年前、2015年に筆者(山大研究家)は自身のブログで長期連載「山形大学 NEXT30 ー 2045年の山形大学 ー」を書きあげた。西暦2015年から今後30年間をかけて、西暦2045年までに隣の大学 東北大学を追い抜こうと、綿密に計画を立てて実行するプランを練り上げ、それを連載にした。
連載は長く続き、ブログで105ページにもなった。
 山形大学 NEXT30では数多くのプランを提唱してきた。それらのプランの一部は山形大学でも採用され、筆者もやりがいを感じた。だが、ブログというオープンな環境のためか、NEXT30のプランの一部は東北大学でも採用された。
 むしろ東北大学のほうがより多く、筆者が掲げたプランを採用したと言っていい。
 代表的なのが2つある。ひとつは、首都圏から多くの学生を集めること。もうひとつは、山形大学100%出資の子会社を作ること、だ。
 NEXT30の連載後、東北大学には多くの首都圏からの学生が集まった。現時点で東北大学は、東北地方出身者よりも関東地方の出身者のほうが多い。山形大学は医学部こそ首都圏から多く学生を集め、工学部と農学部もそこそこ集めることができたものの、それ以外の学部はさほど集めていない。
 また、子会社を作るプランもNEXT30の連載後、東北大学は東北大学100%の子会社を作った。そうできるように国が制度を設けたのだ。指定国立大学法人という制度を。
 国は指定国立大学という制度を新設し、限られた国立大学だけがいろいろな特権を利用できるようにしたのだ。100%出資の子会社を作れるのも、特権のひとつだ。東北大学は、まっさきに指定国立大学法人に選ばれた。そして100%出資の子会社を作った。
 山形大学は、その選考の選考外になった。だから山形大学は、今でも100%出資の子会社を持つことはできない。
 そしてあろうことか、東北大学のその100%出資子会社は、山形大学に投資した。山形大学の収益源ともいわれる工学部のベンチャー企業らに、数十億という規模で出資したのだ。
 この結果、山形大学が東北大学を追い越すプランは、もろくも崩れ去った。これではいくら山形大学が収益を得ても、東北大学が出資している以上、その収益は東北大学のほうに行ってしまう。
 山形大学は東北大学にがんじがらめにされてしまった。

崩れ落ちた山形大学の野望

 山形大学は東北大学にがんじがらめにされてしまった。NEXT30で山形大学は東北大学の周囲を包囲するつもりだったのだが、東北大学は国にあらたな制度を作ってもらい、その制度を使って逆に山形大学をがんじがらめにしたのだ。
 あらたな制度、指定国立大学法人を作ったおおもとは文部科学省だ。もしかしたら文部科学省の高官もNEXT30を読んで、対策を施したのかもしれない。国(文科省)と東北大学が手を組んで、山形大学をがんじがらめにしたようにも見える。
 筆者が掲げたNEXT30というプランは、根幹から見直しを迫られることになった。東北大学を追い抜くというプランは、みごとに崩壊した。
 なぜ筆者が思い描くようにいかなかったのか、その原因を深く探ると、筆者自身が思い違いをしていたのだ。この世の中は、筆者が思っている以上に、国もしくは国以上の存在によってコントロールされている、そのことに気づかなかったのだ。
 おそらく山形大学が東北大学を追い抜こうなんていう発想は、コントロールしている側からすれば、快くないことだったのだろう。だからそうさせまいと動いた。心当たりはたくさんある。
 そのことに気づいてから、筆者は山形大学だけを研究するのはまずいと考えるようになり、山形大学以外のこともいろいろと研究するようにした。私立大学のこと、高校のこと、山形大学を取り巻くさまざまな産業のこと、世の中を動かしていそうな支配階層のこと、気は進まなかったけど東北大学のことも、だ。
 それはそれで面白いし、またためにもなった。
 そしてあらためて考え直してみた。山形大学が東北大学を追い抜こうなんて考えることは、果たして良いことなのだろうかと。

ふたたび目を覚ました山形大学の野望

 考えて出した結論は、良いことだと。
 たとえ山形大学は東北大学や国、支配階層らによってその立ち位置を変えられないようがんじがらめにされようとも、野心を抱き、それに抵抗し、あがくことは良いことだと思っている。
 たとえまな板の上の鯉みたいな状況になっても、生きてる限りは、あがき続けるのが正解なのだ、と。
 本書では、体制を整えなおして再び山形大学が野心を抱き、たとえ東北大学を追い越すのは無理だとしても、今の中位国立大学という立ち位置から上位国立大学に変わる(ゲームチェンジャーになる)ためにどうあがくかについて書き記していく。
 東北大学、国そして支配階層の方々も、この文章を読んでいると考えたほうがいい。
 こちらも前回の NEXT30 の時のように、このまま何も対策しないのは悔しいので、メインの文章は有料購読にしようと思っている。読みたい人がコストを払って読むことで、こちらも恩恵を受けられるようにする。
 こちらが知恵をしぼったのに、あろうことかそれが競合相手である東北大学に利用されて、それでいてこちらは何も得られないなんてことは、さすがに馬鹿馬鹿しいことだ。

日本は資本主義経済を一部導入した社会主義国家である

 山形大学の研究一辺倒はやめて、山形大学以外のことにも興味を向け研究し、実際に体を動かして仕事をすればするほど、日本が社会主義国家であることを、いやというほど思い知らされる。
 国や県庁、市役所といった公共機関だけでも規模は大きく、そしてその公共機関を支える公的機関(外郭団体)も、われわれが思っているよりもはるかに大規模だ。社団法人、財団法人を名乗っている団体で規模の大きいところは、たいていは公的機関である。
 そして公共機関、公的機関とは独立しているはずの民間団体(民間企業体)も、公共・公的の両機関から多額の予算を受け取り、仕事を請け負っている。その規模、割合は、われわれの想像よりもはるかに大きい。
 三菱、日立、東芝は言うに及ばず、彼らと直接取引のあるなしに関わらず、ほぼすべての民間企業体は、公共・公的機関の予算の配分によってその運命が大きく左右される立場にある。好む好まないに関係なくだ。
 おまけに公共機関は予算のみならず統治機能も持っているので、重要な事業をおこなうためにはすべて公共機関の許認可を経なければならない。それは国内企業はもちろん、外資系企業であっても逃れることはできない。
 反骨精神を持ち、みずから事業を創造し、起業するのは自由だ。しかし彼らイノベーター達の収入をよくみると、その収入のおおもとは公共機関から出ていることが多い。しかも得てして、公共機関の補助金だったりする。
 つまり彼らイノベーター達よりも公共機関、国が先回りをして、彼らを手のひらにおさめ、コントロールしているわけだ。
 これを社会主義と呼ばずして何と呼ぶ。
 社会で働けば働くほど日本、この国が社会主義国家であることを思い知らされる。
 現役を離れ、年金をもらうようにでもなれば、言わずもがな、だ。

コロナ禍の長期化で、社会主義国家としての性質は、ますます強まった

 2020年初頭から始まったコロナ禍(新型コロナウイルスのまん延)は、日本をより一層、社会主義国家にした。
 一律10万円の定額給付金にはじまり、事業持続化給付金、家賃支援給付金。コロナ禍が長引くと、いろいろと各種助成金が登場した。これら国からの給付金、助成金に、全国民は一斉に飛びついた。本来だったら給付金や助成金が必要のない富裕層、国会議員などの特別公務員ですら、不正受給をしてまで国の給付金・助成金に飛びつく始末だ。
 コロナ禍の長期化で、日本は社会主義国家としての性質が、ますます強まったと言わざるを得ない。
 まるで町中に石ころが転がってるように、ふと見渡せば国からの給付金や支援金、助成金が転がっていて、すべての国民、すべての企業が、大なり小なりお世話になっている。自分は世話になってないつもりでも、回りまわれば、お世話になっていることに気づく。
 このような状況下・環境下で、果たして国が掲げるイノベーションの創出、新しい価値の創出、世界と戦えるグローバル企業、世界トップレベルの大学ができるだろうか。
 筆者ははなはだ疑問である。

日本は世界と「戦える」状況にない

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