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【FASHION】運命の仕立て糸

 運命をかんじるできごとがあった。

 私は服が好きで、そのなかでもジャケットやシャツなどの紳士服をよく着る。仕事で着るわけではないので、かるく着崩したり古着とあわせたり、思いつくままカジュアルに楽しんでいる。そこまでたくさん服を持っているわけではないが、紳士服はオーダーして作ってもらったものが多いので、一着一着への思い入れは深い。

 コロナ前は紳士服のテーラーによく通っていたのだが、ひととおり欲しかった服は手にいれたし、外出自粛などもあって、この五年ほどはテーラーから遠ざかっていた。もちろんその間も、作ってもらった服を着ることはあったが、あまり頻繁に着用すると汚れや痛みが気になるという臆病者なので、ものによっては、年に一度、着るかどうかというものも多かった。

 その日ふと思いたって着たシャツも、実に一年ぶりに袖を通したものだった。

 それはあるテーラーに初めて行ったときに作ったシャツで、紺と白のベーシックなチェックに、明るい青のラインがアクセントになっている。

 オーダーした服は、それを着るとき必ず、作りに行ったときのことを思い出す。その日もこの青いシャツを着ながら、テーラーのこと、そして、担当してくれたフィッターさんのことを思い出していた。

 そのとき担当してくれたのは、Mさんという方だった。Mさんは当時三十代なかばの男性で、僕より少し歳上。紳士服の知識が豊富なだけでなく、とてもセンスのいい方で、たまたま私と同じ町に住んでいたこともあって、そのあともよく私の担当をしてくれたのだった。

 最初に作ってもらったにも関わらず、その青いシャツは私の体にぴったりだったし、あれから五年たった今もジャストサイズで着ることができた。やはり、オーダーしたシャツは着心地がいい。無駄も無理もないのだ。

 その日は一日、そのへんをぶらぶらして過ごし、夜、すこし飲みに行こうと思って駅前に出かけたのだが、ある交差点で信号待ちをしている時、道の向こうにスーツ姿の男性が立っているのが目にとまった。その立ち姿に見覚えがあった。

 フィッターのMさんである。

 私が気づくのと同時に、むこうもこちらに気づいたので、二人は夜の路上で偶然にも再会を果たしたのだった。

 もちろん、突然の再会にひとしきり驚いたが、よく考えたら、Mさんもこの町に住んでいるので、いつかどこかで会うのは、必然といえば必然だ。しかし、私は全身に鳥肌が立っていた。それはもちろん、私が着ていた服のせいだ。

 そう。そのとき私は、Mさんが初めて担当してくれたシャツを着ているのだ。Mさんもそのことを覚えていて、これには二人して驚いた。

 すでに酔っていて、支離滅裂に「すごい」とか「えー!?」とかを繰り返す私に、Mさんはフィッティングの時のような適切な言葉で、この感動的な再会をうまく表現してくれた。

「そのシャツが引き寄せてくれたんですね」

 語彙力の無さを露呈してしまった私であるが、さらにMさんは、こんなことを言って私をうろたえさせた。

「独立して、じぶんの店を出しました」

 最初はなんのことか分からなかった。飲食店でも始めたのかと思った。しかし、あらためて話を聞くと、去年の秋、それまで勤めていたテーラーを辞めて、この町に自分のテーラーを出したというのだ。

「えー!すごい!えー!すご!えー!すごー!」

 私がふたたび語彙を失ったのは言うまでもない。あまりの驚きに、「すごい」の語尾を変化させるだけの文章力であった。

 その日は遅かったので詳しく話は聞けなかったが、もちろん私は必ず店に行くと約束し、その場でMさんと別れたのだった。

 この話を誰にしても、「運命だ」「奇跡だ」と驚かれるし、自分でもそう思う。たまたまと言えばそれまでだが、こういうできごとに意味を感じられるのも、この青いシャツに特別な思い入れがあるからだ。

 オーダーした服には、作ったときの思い出が宿っていると書いた。

 しかし、その物語は服を手に入れた時で終わりはしない。まるで服を縫う仕立て糸のように、いちど生地の裏に隠れても、それは切れることなく繋がっていて、またしかるべきところで表に姿を現すのだ。

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