「13年後に散るネズミ」(2016年編)
2007年から13年間続けてきたバンドLUNCH-Ki-RATTを、
2020年11月28日をもって解散することにした男・ヤマダヒロミチ。
LUNCH-Ki-RATTとヤマダヒロミチが過ごした13年間。
18歳だった少年が32歳のビールっ腹になるまでの青春と苦悩、幸福と葛藤。
解散までの僅かな間、改めてもう一度振り返ってみたい。
そう思い、
ここにこれを記す。
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2016年、秋。
ヤマダヒロミチ(27歳)は焦っていた。
前年末にレコーディングした3曲を、
シングル「MOUSE to MOUSE」として発売するために、
2016年のLUNCH-Ki-RATTは、
年明け早々、1月3日から早くも集合していた。
表題曲のミュージックビデオ撮影のためだ。
監督はこれまでの安田瑛己氏ではなく
元タイムスリップ家族で、
当時は“いつか君を殺す”という物騒極まりない名前のバンドを率いていた、アヅマシゲキという男だ。
「本格的なカメラ買ったんでちょっと撮らせてくださいよー、ギャラも安くしときまっせゲヘヘ」という彼の誘いを受け、
ロケ場所であった千葉の稲毛海岸に向かう。
当時その近辺に住んでいたサヲリの家(なぜかものすごい雑居ビルに部屋を借りていた)を撮影準備とCG合成のための拠点としたが、
“下の階の怪しいマッサージ屋の控え室みたいな部屋だな”、“家の灰皿がラブホのヤツっぽい”とイジリまくったヤマダヒロミチとアヅマシゲキは、
入室わずか10分で家主から生涯出禁を言い渡された。
当日は真冬とは思えないほどの汗ばむようなカンカン照りで、
こんな天気なら「HEAT-iSLAND」で撮りゃよかったかな、という雑念を抱えながら浜辺で撮影したのが、
こちらだ。
この時はまだカメラの扱いにもぎこちなさが残っていたアヅマシゲキは、
その後、自身の事務所を立ち上げメジャーアーティストのMVも手掛けるなど映像監督として大成し、
これ以降、LUNCH-Ki-RATTのMVは全て彼の手で生み出されていくこととなる。
そうして出来上がったシングルを引っさげ、レコ発ツアーも回った。
相変わらず誰も車が運転できないポンコツバンドLUNCH-Ki-RATTは、
仲の良い同い年のバンド・Myベストテープを言葉巧みに誘い出し、
分乗した2台のレンタカーをどちらもマイベスのメンバーに運転してもらい名阪ツアーに出かけた。
微塵も売れてないバンドとは思えないような王様スタイルのツアーの道中、
最終学歴が自動車教習所中退であるヤマダヒロミチは、
行く先々で自由にビールを飲み、
助手席でいびきをかいて爆睡していた。
アンスズキはそんな男を指して「人様の善意を150%で受け取るクソ野郎」と評した。
そんなツアーを無事に終えた頃、
LUNCH-Ki-RATTにとって大きな出来事があった。
ある日、たまたま出演することになったオーディションライブ。
数週間後、合格したという連絡が来た。
音楽に造詣の深いお笑い芸人、エレキコミックのやついいちろう氏主催で毎年渋谷で行われている大型サーキットフェス「YATSUI FESTIVAL2016」への出演が決まったのだ。
嬉しかった。
有名アーティストやテレビでお馴染みのタレントも多数出演するこのフェスに出られることももちろんだが、
それまでのバンド人生で一度も、
目に見えるカタチで結果を残したり評価されたりしたことがなかったLUNCH-Ki-RATTとヤマダヒロミチが、
オーディションを通過し、良いものとされるラインナップの中に入れてもらえたこと、
それが本当に嬉しかった。
また、この出演が決まったことを、
昔からLUNCH-Ki-RATTを知っている仲間たちの方がむしろ自分のことのように喜んでくれたのが印象的だった。
特に蒲田の時代からランチキを盛り立ててくれたスーザンが電話口で、
「ようやくランチキが一個報われるのが俺は嬉しい」と言ってくれたがすごく嬉しかった。
そして、
誰よりもこのフェスへの出演を喜んでいたのは、
エレキコミックのラジオのヘビーリスナーであったアンスズキであった。
打ち上げでやついさんを前にした時、
アンスズキはずっと小声で「やついだ・・・ホントにやついだ・・・」とつぶやいていたし、
ご挨拶できた際には、見たこともないような最高の笑顔を浮かべていた。
オーディション枠だったLUNCH-Ki-RATTの出演は、小さいステージの約10分間という短いものだったが、とても良い経験だった。
そして、はじめてのフェス出演で盛り上がったテンションのまま、
LUNCH-Ki-RATTはまたレコーディングをしていた。
「人生を変える作品を作りたい」
この時期、ヤマダヒロミチは恥ずかしげもなくそう繰り返していた。
アンスズキ加入により、
明らかにバンドは上を向いている。
今なら、最高のアルバムが作れるのではないか。
スケジュールの都合で前作「MOUSE to MOUSE」では頼めなかったエンジニア・ハナジマさんと2年ぶりにタッグを組み、
真夜中の渋谷club乙の地下に何度も籠る生活が再び始まった。
相変わらずLUNCH-Ki-RATTはポンコツで、
特にフロント2人は、
お互いが「スーパーヒロミチタイム」「朝までサヲリちゃんの刑」などと呼ぶ”大ハマり”の時間をぶちかまし、
スケジュールを盛大に狂わせ、ハナジマ氏のHPを削り続けた。
以前よりこだわりが格段に増したコーラスアレンジにも大苦戦した。
そうして、
ミニアルバム「プリマドンナは電気ネズミの夢を見るか」は産まれた。
出し尽くした。
自信を持ってそう言える作品だった。
「RATT RiOT」「アセロラ小町」「オーロラビューとキミのこと」など、
その後のLUNCH-Ki-RATTのライブに欠かせない、代表曲と言える楽曲が並び、
バラエティに富みながらも、
まとまりのある1つの作品として作り上げられた。
手前味噌だが、今でも心からそう思っている。
今作を完成させたことで、
ヤマダヒロミチは1人の音楽家としての自信を確かなものにすることが出来た。
「MORNiNG ON THE BiTCH」でMVも撮った。
ヤマダヒロミチは、
悲願であった“芸術表現にかこつけて、水着のおねーちゃんとイチャイチャする“をここに見事達成したのだった。
(真夏の日差し照りつける中、ベンチコートの下にビキニを着た主演のあかりすとアヅマ監督と3人で観覧車に乗り込んでの撮影はなかなかにスリルと背徳感があった)
この「プリマドンナは電気ネズミの夢を見るか」は、
確実にLUNCH-Ki-RATTの状況を変えた。
この作品のリリースツアーから、
LUNCH-Ki-RATTは目に見えてライブ動員が増えてきたのだ。
作品の魅力に加え、
バンドに馴染んできたアンスズキの魅力、
フロントマンとしてパワーアップしたサヲリの魅力、
色々なものが相まったこの時期、
それまでお客さんというよりはメンバーの友人知人たちであったランチキのライブのフロアに、
明確にランチキの“ファン”だという人たちが、
少しずつ増え始めた。
このブログを読んでくれている方の中にも、
この時期にLUNCH-Ki-RATTの存在を知ってくれた方は多いのではないだろうか。
実際、後にLUNCH-Ki-RATTのスタッフとなるあーやんがランチキのライブに通い写真を撮り始めてくれたのも、この作品のツアーがキッカケだった。
風が吹き始めた。
結成以来、ほぼ凪の海原を漂っては沈み、浮かんではまた漂いを繰り返していたLUNCH-Ki-RATTに、
はじめての追い風が吹き始めた。
掴まなくては。
この風を掴めば、バンド人生を変えられるかもしれない。
レコ発ツアーを終えてすぐ、
年明けにさらに新作をリリースすることを決めた。
リリースを畳み掛け、
レコ発ライブで話題を作り、
LUNCH-Ki-RATTをさらにたくさんの人に知ってもらうチャンスだ。
そう考え、年末にレコーディングのスケジュールも押さえた。
曲が出来ない。
「プリマドンナは電気ネズミの夢を見るか」でそれまでのストックや溜め込んだアイデアを文字通り出し尽くしていたヤマダヒロミチは、
人生最大級のスランプに陥っていた。
LUNCH-Ki-RATT解散まであと4年。
2020年11月28日16:00〜
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