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手紙を書いている。

午後20時、卒業式3日前の職員室。

「遅くまでご苦労さま。無理しないで」と帰宅していく同僚に「好きでやってるので大丈夫っす。あと2日っすね、先生も無理しないでくださいね!」と声を掛ける僕は残り3人の手紙を書いている。もうそろそろこの小忙しい充実が終わろうとしているのを感じると家に帰ってしまうのがもったいない気がするのだ。

卒業式の日に僕は子ども達に手紙を渡す。

僕は大人になってから何かの節目には必ず手紙を書いている。親友の結婚式に、異動していく後輩に、僕のことを好きだと言ってくれた女の子に、遠くに行ってしまったあの子に、手紙を書いている。無印良品の竹紙便箋が好きでそれにjuice upの0.4mmで文字を走らせるのだけれど、手紙は書いても貰っても良い。

書いている間僕は、どんな文体を飾り、どんなオチを用意してやろうか、これを受け取ったあの子をどこで笑わせようかと、この1年間口にできなかった恥ずかしさをそんな文の巧みで誤魔化す方法を楽しんでいる。音楽を聴きながらなんてもったいない。邪魔されたくはないのだ。でも結局、色んな飾りを付けすぎて、中学生だとその飾りに目を取られ本当の部分が見えずに伝えたいことが伝わらないだろうからストレートに書く、僕は君の生き方が好きだったよ。

手紙なら、恥ずかしさすら込みで''そういうもん''だと受け取ってもらえる気がするのだ。LINEだと決して言えない''ありがとう''も封をしてしまうからか言えてしまう不思議がある。

手紙を読まれた次の日に会うことはないだろうし、なんならしばらく会うことはない子ども達に、きっと卒業式補正で何でも感動的に映ってしまうこのタイミングで精一杯の恥ずかしさを送る。

どれだけみんなを愛していたか、どれだけみんなが自分の人生だったか、どれだけ毎日が楽しかったか、どれだけありがとうと言いたいか、精一杯書き綴りたい。気づいたら一息で読める文量では無くなっていたけれど、次の日は休みだしみんな読んでくれるよね。

子ども達には何週間か前に君達への手紙を書き始めたことを伝えた。これから先、君達が頑張れなくなった時にもうちょっとだけ頑張るための手紙を書くことを伝えた。

だから、僕にも手紙が欲しいとお願いをしたのだ。僕がこれから先、前を向けそうに無い時に顔を上げさせてくれる手紙を書いて欲しいとお願いしたのだ。寄せ書きはなんだか、隣同士の牽制が見えてしまって苦手だし、1週間後は部屋の景色になってしまうのが見える。(サプライズとか用意してたらごめん笑)

君達の手紙には僕の声が届いていたか、少しでも生きる勇気になったかを教えて欲しい。追いかけた背中が間違っていなかったか、大人になりたいと思えたか教えて欲しい。

僕はみんながこれから先、迷った時、下を向く時、何度だって読み返す手紙をあげよう。
だからみんなもこれから先、生き方を見失い、少し自信が足りない時、先生大丈夫だよって自信をくれる手紙が欲しい。

卒業式の夜、たくさん泣いた後にコンビニでちょっと高めの甘いチューハイとポテチを買って、1枚1枚封を開ける楽しみがあれば、きっと終わってしまう怖さとも向き合える気がするのだ。











「先生あのね、、」


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