見出し画像

仕事は楽しいかね?

そんなタイトルを次なる1冊に選んだのにはきっと内なる理由があって、朝起きると生まれる反芻思考の鎮め方がきっとここにあると無意識に手を伸ばしたのだ。事実、6分間の読書で副交感神経は優位になり心拍数は減り精神的な落ち着きを取り戻すという。最近のモーニングルーティンは睡眠アプリの割り出す快眠度の理由を昨日の生活に紐付けて考えてみることだ。トレーニングの有無、サウナの有無、最後の食事の時間、カフェインの有無、当たり前にストレスの有無や就寝前のスマホ時間も細かくチェックする。この年になるとねらってコンディションを整えていかないと心身ともにすぐにダメになりそうな危うさを感じる。

ここまでして自分のことを考えて、湧き上がる感情の理由すべてを言葉にしてもなお、腑に落ちない因果があって悶々としながら学校に向かう日が続いている。

「仕事は楽しいかね?」

そう聞かれたら答えは変わらず「Yes」に違いないのだけれど、どこか違和感を感じる「Yes」には多少の見栄や反発、つまりは「人を育てる仕事にはこの上ないやりがいがある」という見栄と「教員はブラックなんでしょ?」に対する自分の仕事への懐疑的な声への反発が混じっているのかもしれない。

子どもが笑ってくれる、そんな楽しさだけを抱えて幸せに眠ることができたあの頃から少しずつその仕事に責任が伴い始めて、自分の仕事の出来が学校をダメにしてしまうかもしれないという烏滸がましい不安と、これまでとは何もかもが違う慣れない環境でもしかしたら上手くいかないかもという怖さとで、楽しさに不安や怖さが混じっているのを感じたのだ。

週末の温泉や帰りがけのスタバ、仕事以外の場所に楽しさを用意して仕事を乗り越えるべき対象と考え始めているのが、これまでの自分にはあまりなかったネガティブな変化である。

ネガティブに苛まれる時は寝てしまって一時的に感情に蓋をして向き合わないというのも悪くはないけれど、目覚めるとまたそのネガティブと向き合わなければいけないことを考えると、自分の言葉でその感情にとりあえずの結論を付けてしまった方が楽なんだろう。そう考えると、自分と向き合う時間が欲しくてサウナに向かう。

整いの威力は相当なもので力ずくでネガティブをポジティブな思考に切り替える。するとふと浮かんでくる「仕事は楽しいかね?」

新しい場所に異動してからの自分はどこか肩肘張って働いていたんだと思う。7年間の自信と小さいなりにも学校を回してきた自負と、大きな学校を変えてやるという意気込みと感じる期待と。そこに新しく一緒に働く仲間に良く思われたい、子ども達に早くハマりたいが加わると、仕事が楽しいだとか、日常にある小さな変化が幸せだとかを気にしている暇もなくなっていて、結果的に仕事が楽しいかどうかなんて考える余裕も無くしていたんだと思う。

自分と向き合うと埋もれていた感情に気づく。

「あれ、今本当に仕事楽しい、俺?」

1日の半分以上を働いて過ごす。ワークライフバランスなんかどこか違う国の言葉のようだし、少々ワーカホリックな部分もある。

それでもだ。

僕にももし大雪で閉鎖になった空港で、偶然出会った老人に「仕事は楽しいかね?」と問いかけられることがあれば考える間もなく「Yes」と答えられる用意をしたい。

アフター6の楽しみよりずっとずっと楽しいことを学校の中で見つけたい。スタバにもサウナにも寄らなくても満足に眠りにつける1日を作りたい、それがこの仕事に就きたかった理由だったのを思い出した。

きっと飛ばし過ぎたんだろう、疲れてしまったんだろう。学校はもっと小さな変化を楽しめて、小さな変化に心動かされる場所だったはずだ。

もう少し肩の力を抜いて、遊ぶように働きたい。一緒に鬼ごっこして楽しんでるのに自分だけお金貰うのが自分にとって働くということを忘れてた。

危ない、あやうく頑張って働くところだった。

















「仕事は楽しいかね?」

いただいたサポートでスタバでMacBookカタカタ言わせたいです😊