''コミュ力高い人''のつくり方
世の中にはコミュニケーション能力の高い人とコミュニケーション能力の低い人がいて、コミュニケーション能力の高い人のことを"コミュ力が高い''と言い、コミュニケーション能力が低い人のことを俗に''コミュ障''と呼ぶらしい。ではそのコミュニケーション能力が高い人は意図して作る事ができるのかという話をしたいのだけれど、きっと2行で伝わる主旨の話を、同じ言葉の乱用で話の主導権を離さず、自分の喋っている時間の長さこそコミュ力の高さを示すものになると考えているこんな''ポゼッション主義者''はきっと自称コミュ力の高い人であり、陰で''なんであの人はコミュニケーションが下手なんだろう''と話のネタにされるコミュ障なんだと思う。
ちなみに''コミュ障''という言葉を日常生活の中で使う時は、大方自分のパーソナリティを卑下する時であり、そこには6割ぐらいの自虐ネタのニュアンスを含む。視覚、聴覚の障害、場面緘黙や吃音など、また知的な障害によるそれは俗に言う''コミュ障''とは同義ではないため、同じニュアンスで馬鹿にするようなことがあれば僕は許さないと日々子ども達に伝えている。
世がようやくコミニケーションでもコミニュケーションでもないことに気づき始めた時には、どのコミュニティにおいてもコミュニケーション能力の高いやつがそこを牛耳る時代になっていた。ただこの言葉が使われる前からその集団を引っ張る人間の持つパーソナリティはそんな力の高さであることは薄々勘付かれてはいたと思うのだけれど。
さて、こんな長々と下手くそな書き出しをした僕はどんなパーソナリティを持ち合わせているかというと…
基本的には目立ちたがりや属性お調子者タイプ、コミュニケーション能力は平均より高め、初対面強めなステータスを持ちつつも、
先天性人見知り症候群を患い、苦手属性へのアレルギー反応で気を抜くと突発的な人見知りの症状が現れ仲が良くても上手く喋れなくなることがある、まぁそんな感じである。
ただ学校にいる時、僕のコミュ力は爆上がりし、「コミュ力お化け」と化すのだが、つまるところコミュ力とは移ろいやすいものであるとすると、コミュ力の高い人は意図して作れるのではないかと仮定して話を続けていく。
コミュ力が高い人はなぜコミュ力が高いのか?
全校生徒で行う生徒総会の議題は今の学校をもっとこうしたいという生徒会本部の話し合いから始まる。もっと掃除に力を入れたい、挨拶が活発に行われる学校にしたいなど、たくさんの案が上がる中で彼らが選んだのは「もっと関わり合える学校にしたい」だった。
ここにいる8人はここに立候補で出てきているくらいだからいつもコミュニケーションの中心にいるような存在である。そんな彼らが危惧したのは自分達の意見がクラスや学校の総意になってしまうことだった。「本当はもっと喋りたい人がいるはずなのに、そんな人達が出てこれない現状をどうすれば変えていけるか?」きっと社会レベルで悩まれている事象にどう立ち向かうのか、中学生がそんな課題にチャレンジをしようとしたのである。
コミュ力が高いであろう彼らと話をしていく中で、コミュ力の高さは何によって構成されているのかが何となく見えてきたので整理してそれをもとに話を進めてみた。
①位置的優位による自信
要するに自分の置かれている立場の優位性から来る自信である。コミュ力の高い人間は何かしらに自信を持っているのが伺える。特に誰かとの比較の中で生きてしまいやすい中学生は学業や運動、おもしろさや優しさ、ここに容姿なんかも加わり子ども間で自然発生的に立場の優劣ができてしまう。大人だとここに職業や役職、それに伴う年収なんかも加わってくるだろうか。大人の方が構成要素が複雑であるが、大人の方がそれらに捉われない生き方もできそうだ。
②認められる環境
自分の考えを「こう思う」と述べる時に、大人、子ども関係なくそれを認めてくれる環境は「こう思う」を口にすることを後押しする。''認める''とは、それが決定事項となるということではなく、''そんな考えもあるのか''という多様性を認めるぐらいの話だ。「こう思う」に対して興味を示されないこと、頭ごなしに強い否定をされること、自分自身の立場の弱さから聞いても貰えないことの経験はいつの間にか「言ってもどうせ無駄」というコミュニケーション回避の根を張る。
③コミュニケーションのHowtoの有無
彼らのようにコミュニケーションの上手な人達のやり取りをじっと聞いていると、そこにやり取りの上手さが見えてくる。持っているトピックの幅広さや構成の巧みさ、話題の広げ方などスピーキングのスキルが高いのはもちろん、相手に気持ち良く喋らせる相槌の打ち方、話題の本質に迫る質問力、受け取る側に回らせても強い。それを中学生が自然にやっているのだから感心する。
自分達がいつも無意識に繰り広げているコミュニケーションのスキルを一度取り出して、How toなるものを作り出し浸透させようというのだから大きなチャレンジである。彼らは①のパーソナルな部分を急に変えることは難しくても、②③を自分達の手で変えていくことはできるんじゃないかと考えたのだ。リーダーとなるものはいつだって、難しいことに挑戦できるぐらいの気概を持っているのがいい。
中学生は今何を考えているのか?
生徒総会を行う前にアンケートをとった。
1あなたは授業でグループ活動をしている時やクラスで話し合いをしている場面などで自分の考え・思いを持つことができていますか?
はい 278人
いいえ 14人
なるほど、''自分はこう思う''を持つ事はできていると。
2あなたは授業でグループ活動をしている時やクラスで話し合いをしている場面などで自分の考え・思いを発信できていますか?
はい 193人
いいえ 99人
考えや思いを発信、伝えるとなると''いいえ''の数が急増したのだ。''いいえ''と答えた生徒の多くが「自信がない」「どうせ通らないから」「間違えたら恥ずかしい」と考えている。
考えや思いを持つことと、伝えることの間にあるハードルは思いのほか高かった。コミュ力の高い人はきっとこのハードルが低いのだと思う。
そう言えば昔ハードルの話を書いたから暇なら読んでください。
ZOOMによる生徒総会
今年もまだ一堂に会した集会を行うことは難しいため、各クラスと放送室を繋ぎZOOMによる生徒総会を行おうと決めたのが今年特活主任になった僕と子ども達のチャレンジだった。議長を立てて、出てきた意見を拾って繋げていく。
全校生徒があと何があれば自分の考えや思いを伝えられるのかを聞いてみた。あと一歩、その勇気を出すためにはどんな雰囲気があれば良いか聞いてみた。そのハードルはどうすれば下げられるか聞いてみた。
トップダウンで''こうします従ってください''ではなく、全校のニーズはどこにあって、それを叶えるためにはどんなことが必要かを考える、生徒同士がやり取りできる場で起きたのはまさにインタラクトな上手なコミュニケーションだった。
全校の思いを受けて作った行動目標
生徒総会を受けて、自分の考えや思いを伝えたいと思った時に何があれば上手く喋れそうかをHow toとして残したい、そう考えた彼らは行動目標を作ろうと考えた。
本音で語れる、コミュニケーションはそういうものだと捉えてそれを自分の''コミュ力''の段階に合わせてステップアップしていく行動目標にしたいと考えた。
似たような日本語だけどちょっとした違いで引き出せるものや与える印象が変わってしまうと何度も検討した。
「''これいいね''と''…だからいいね''ならどっちが良い?」「''これいいね''だと良いなと感じた理由までは求められないかも。''…だからいいね''は何で良いと思ったのかその人の価値観まで乗せられる気がする」
そうして完成したのがこちら。(良いセンスだって褒めて!!!)良ければ自分のコミュニケーションは今どこにあるのか一緒に考えてみてください。
【STEP1】
コミュニケーションの基本は、まず聴けることだろうと出発点を''聴く''に設定した。ただ聴くだけではダメだ、自分達がいつも気持ち良く喋れるのは聴いてくれる人達が温かい反応をくれるからだと''あーなるほどね''と相槌が打てる学校にしたいよねと考えた。
【STEP2】
何かを伝えた後に拍手を貰ったことがどれだけ自分を後押ししてくれるか、その力は計り知れない。それも機械的に行われる''渇いた拍手''ではなく、心からの拍手。だからそれが良いなと思ったら1人だってすれば良いんだよ拍手なんて。良かったなら良かったよって言ってあげたらいい。
【STEP3】
もし良いなと思ったら勇気を持って何が良かったか添えてあげるといい。「そんなところに価値を感じてくれたのか」と自信すら与えてしまうから。リツイートよりも引用リツイートが嬉しいみたいな感じ。伝われっ!!
【STEP4】
もし自分の考えや思いを伝えられるなら、今度は相手から引き出せるといい。さんまさんばりに振っていったらいい。「俺はこうだけど、君はどう思う?」って。振られたらみんな喋るから。思いは準備されてるんだから後はきっかけだ。
【STEP5】
「どういう事?」これがなかなか難しい。話聞いてなかったの?って思われたくないし、理解できなかったなんて思われたくない。でも良いんだよ、わかんないことは恥ずかしいことじゃないんだって。そんな雰囲気を作りたいよねって8人と話をしたんだ。凄く楽しい時間だったなぁ。
【STEP6】
1人1つの視点だけでなく、他の視点からも提案できる。これも難しいけど、できたらもっと話し合いは活発しそうだね。ここまでできたらもうコミュ力は高いと言っていいんじゃないかな?
「めっちゃお腹空いてんねん」
「そうなん!めっちゃお腹空いてるん!」
「…せやで、だから何か食べようかと思うんやけど」
「それは良い!めちゃくちゃ良い!お腹空いたから何か食べようとする姿勢めちゃくちゃ良い!アグレッシブ!拍手👏」
「マックに行こうかなって思ってて…」
「いゃーいいね、マックいいね!何が良いって凄くリーズナブルにお腹を満たせるという点で良い!」
「君はどう思う?他にある?」
「いゃー俺?俺はなんでもいい。ホント。でもマックを食べるってことは、人生は旅ってことでしょ?」
「え、どういうこと?」
「うん、聞かないで。意味とかないから。でも脂質気にしてるからマックはパスかな」
「じゃあピザは?」
「話聞いてた?」
こいつはコミュニケーションが下手!(粗品)
でもコミュニケーションなんて少しの意識で変わっていくんだってのが彼らの作った行動目標で少しずつ浸透していった気がするの。決して自分達さえ喋れれば良いとは思わずに、誰一人取り残したくないと自分達の休み時間全部返上して学校のために尽くした君達の残した功績はとても大きいと思うんだよ。みんなよく頑張ったね。
エピローグ
子どもの時はみんなお喋りだったのに育ってきた環境の中で少しずつ自分よりも強い人を見つけては、相対の中で自分を卑下して喋れなくなっていく。
喋る権利、想いを伝える権利が強い者にのみ与えられる世界は生きづらいよなと感じる。
''コミュ障''も家では''コミュ力''が高いなんてことがある。あの又吉も又吉家では一番のお喋りだと言う。つまりはだ。認めてくれる人が側にいてくれること、笑ってくれる人が側にいてくれることがどれだけ自信をくれるかという話だ。そうやって温かな反応をくれる人だって立派にコミュ力が高い人だと僕は思う。
「どんな姿を子ども達に求めたい?」
今年最後の校内研修はそんなテーマだった。僕はこう提出して、また来年の自分のテーマにしようと思った。
How toなんて作っておいてなんだけど、なんていうか、コミュニケーションはその出し方が上手いとか下手だとかで語られるものじゃなくて、もっと気楽にそれぞれの解釈を楽しめるものであって欲しいなって思います。
「コミュ力高い人''は作れるのか?」
「君はどう思う?」
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