ほのか@防災×心理学inイタリア🇮🇹

世界中に防災を広めたい18歳 / 2016年の震災を機にイタリア語を独学。ラクイラとい…

ほのか@防災×心理学inイタリア🇮🇹

世界中に防災を広めたい18歳 / 2016年の震災を機にイタリア語を独学。ラクイラという街に魅了され、移住を決意。イタリアの新聞から2度取材。被災者の心理的支援を学びに渡伊。防災と心理学で人々を支え繋げるNPOを設立予定 写真は全て私がラクイラで撮ったものです。

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最近の記事

もしも地震がなかったら。

フェイスブックで「いいね」を押しているページから、最新の投稿が流れてきた。この4年間をともに生き抜いてきた人が亡くなったらしい。その投稿だけでは詳しいことは何もわからない。ただ、あるひとりの女性が、震災の被災者が、4年間一緒に彼と戦ってきた戦友が、亡くなったらしいということを知った。 もしも地震がなかったら。そんな有り得もしない「もしも」のことを考える。もしも平穏な日々が続いていたのなら、彼女はどんな人生を歩んでいたのだろう。もしも地震がなかったら、彼女は何を夢見て生きてき

    • イタリア語のおもな接頭辞(prefisso)

      接頭辞→イタリア語→日本語 con- → insieme → 一緒に contro- → opposto → 反対 di- → due → 2つ extra- → fuori → 外側 in- → fare diventare → …になる in- → negazione → 否定 pre- → prima → …の前に pro- → prima di → の前に 参考サイト: https://it.m.wikipedia.org/wiki/Prefissi

      • 強さと優しさを持った人になるために

        人を助けられる人になりたい。人を励ませる人になりたい。人を勇気づけられる人になりたい。人に少しだけの力を与えられる人になりたい。 そのためにはまず自分が強くならなくちゃいけない。そのためにはまず自分が優しくならなくちゃいけない。そんなに気を詰めなくてもよいのかもしれない。それでも私が目指す私になりたい。それでも私は私が理想とする私になりたい。 ラクイラの人たちはよく「強くて優しい」と言われる。私が仲良くしている友人はみんなそうだ。瞳の奥に少しも悲しそうなところを見せずに笑

        • 偏った視点から物事を判断しないために

          これはもちろん自戒も込めた記事である。 新型ウイルスの影響により、不安を抱える人が増えた。目に見えないウイルスと戦わなければならず、私達はいつ感染するかわからない。事実、この不安により自殺した人がいるほどだ。デマが拡散されやすいのは、不安を抱えているときだ。 デマにはいくつか種類があり、悪意のあるデマのほか、悪意はないものの間違っている情報であったり、正しいかもしれないが偏っている情報であったりする。情報が間違いやすいのは、伝言ゲームのように、情報がいくつもの人の手を

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        • ノートの余白に
          10本
        • こころの絆創膏
          12本
        • 震災の落とし物
          6本
        • 世界と手を繋ぐ
          6本
        • ことばのあいだ
          3本
        • わたしについて
          4本

        記事

          やまない雨があるからつらいのではなくて、この雨がやまないと思うからつらいのである。

          つらい思いをしている人に向けてよく使われる言葉で、それで嫌われる言葉といえば「やまない雨はない」という言葉があるだろう。知ったことかとこっち側は思うのだが、そういうことを言う人に限って、その言葉を聞いたときに少し陰る表情に気付かないのだ。 やまない雨はない。これは正しい。事実として、私達が生まれてからのこの数十年という日々において、雨がやまなかった日はない。この事実に関して私は否定したいのではない。ただ、やまない雨があるのは、結果的に、その人が死んだ時だ。多くの場合それは

          やまない雨があるからつらいのではなくて、この雨がやまないと思うからつらいのである。

          とにかくラクイラの素晴らしさを知ってほしい

          期待をこめて「地球の歩き方」を買ったのですが、ラクイラはおろかアブルッツォ州について何も載ってないんですね。 余計なことはいいので、とにかく私が撮ったラクイラの写真を見てください。 コッレマッジョ大聖堂は、ラクイラの中心部にあります。 中心部の広場です。 アニメ・サンテ教会と呼ばれるこの教会。 99の噴水。ここだけは少し郊外にあります。 明るい噴水という名前の噴水。 中心部。 私のnoteの背景画像は、全て私がラクイラで撮ったものです。

          とにかくラクイラの素晴らしさを知ってほしい

          14歳のときに、私の死生観ががらっと変わった。

          14歳の夏、私は偏差値69の志望校に合格するために、毎日9時間以上の受験勉強をしていた。そして、いつものようにごはんを食べるため、塾から帰宅していた。その日の昼も、私はいつものように自宅でニュースを見ていた。 それは2016年8月24日の昼のことだった。だいたいの読者さんと一部のイタリア偏愛者は知っているとおり、この日はアマトリーチェ近郊で地震が起きた日だった。トップニュースで、その地震のことが伝えられた。 私は呆然とした。半年前に旅行に行った国で、アマトリーチェなどとい

          14歳のときに、私の死生観ががらっと変わった。

          愛する人を幸せにしたい。

          幸せってなんだろう。 生きている限り、幸せをつかみたいと思う。幸せになりたいと思う。幸せでいたいと思う。そして、誰かを幸せにしたいと思う。不幸になりたいと思っている人はいない。誰もが明日の自分は今日よりも幸せになっていてほしいと思う。 幸せになりたいと思うことは、心が健康である証拠だ。 どんなに絶望的な状況でも、全員が自殺しないのは、幸せになる希望を失っていないからだ。実際に、この本によるとユダヤ人などの強制収容所では自殺した人が増えたが、全員が自殺したわけではない。

          愛する人を幸せにしたい。

          幸せとは「いま、ここ」を生きること―マインドフルネスと認知行動療法についての序章

          プロポーズなどではよく、「私があなたを幸せにします」などと言う。ただ、その「私」が超能力者や神様ではないから、「あなた」を幸せにすることなどできない。私は「幸せにする」という言葉に違和感がある。なぜなら、幸せとは自分の心が感じるものであり、誰かに与えられるものではないからだ。 美味しいご飯を食べることは、しばしば人を幸せにする。ただ、美味しいご飯を食べたからといって、必ず全員が幸せを感じるわけではない。 お金がたくさんあることは、しばしば人を幸せにする。ただ、億万長者が全員

          幸せとは「いま、ここ」を生きること―マインドフルネスと認知行動療法についての序章

          消極的に死にたい私へ

          「死にたい」と人が言うとき、それは人により、また場合により意味が異なる。 * 自殺したい * 自殺はしたくないが、死ねる機会があれば死にたい * 苦痛から逃れたい * 楽になりたい * ここではないどこか別の場所に行きたい * 何ヶ月か知らない場所にいたい * 心の底では生きていたい * 誰かに全てを打ち明けたい * 誰かに必要とされたり、愛されたりしてみたい * もしくは、誰かを溺れるほど愛してみたい * 自分が生きていることが許せなくて、場所や時間やお金の無駄であると思

          私についてのリンク集

          イタリアの新聞取材1回目(2019年2月)はこちら、2回目(2020年1月)はこちらから読めます。無料です。イタリア語です。 日本語訳は、1回目はこちら、2回目はこちらです。(まだ書いていません) note(このブログ)での自己紹介こちらに書いています。(まだ書いていません) ちなみに私が好きなものについてはここに書いています。 経歴第1部(中学卒業まで)はこちら、第2部(高校時代)はこちらに書いています。 イタリアの地震の募金先義援金の送り方はここに書きました。2

          地震による生きづらさや自殺の危険を抱えている人に伝えてほしい番号(イタリア・日本)

          あなたの話を聞いてくれる人はたくさんいます。彼らにとって、それは迷惑ではなく、むしろ喜びです。 イタリアにいるなら地震による生きづらさを抱えている人に、numero verde(フリーダイヤル)が用意されています。 800 858440 心理学者、コンサルタント、教育学者のチームが対応するフリーダイヤルは、地震後の不快感を克服するために、地震に関する情報と子供たちに最も適切な行動を管理する方法を提供しています。 この番号は、月曜日から金曜日の9.30から18.30まで通

          地震による生きづらさや自殺の危険を抱えている人に伝えてほしい番号(イタリア・日本)

          明けない夜はないとか、止まない雨はないなんて嘘だが、それでも私が生きている理由

          私がラクイラの友達に言われたことで、いまも心に引っかかっていることがある。 覚えていてね。どんなに雨が降っても必ず晴れるし、どんなに暗い夜も必ず明けるんだよ。雨が降ったあとには虹がかかるし、寒くて震えていた人にも必ず太陽が照らすのだから。 友達の前では言わなかったが、私はそれは違うと思う。 雨が降っている、その雨の暗さに絶望してしまい、誰かが死を選んだとする。そうしたらその人には永遠に晴天の日は訪れないのだ。 たとえ自殺しなかったとしても、その夜の間に亡くなった人はどう

          明けない夜はないとか、止まない雨はないなんて嘘だが、それでも私が生きている理由

          PTSDから回復するために、友人と約束したいくつかのこと

          私の1番大事な友人は、私の人生の先生です。彼女から教わったいくつかのことは、私の人生をより良くするためにとても役立ちました。 彼女は震災の被災者で、本当につらいことをいくつも乗り越えてきました。 なんで私がこんなに強いかって? そうでもしないと、毎日泣いてなきゃいけなかったのよ。 彼女は私に会ったとき、こう言いました。 私は車に乗るのが、いまでも少し怖いの。地震のつらいことを思い出させるからね。 こうも語っていました。 薬をきちんと服用する医師に言われたとおり、薬

          PTSDから回復するために、友人と約束したいくつかのこと

          私が卒業式の国歌斉唱に反対する理由

          最初にいくつかのこと(私の主張)を言いたい。 私は海外の国歌斉唱についての事情には明るくないが、このような愚かなことをやっている国があれば、どの国であろうと反対する。 例えばアメリカの朝礼には断固として反対する。 ただし、後述する一部の例外を設ける。 私は左翼でも右翼でもないが、ナショナリズムには徹底的に反対している(この立場から左翼に分類されがちだ)。この場合、日本のナショナリズムだけではなく、世界中のナショナリズムを否定する。 ナショナリズムに繋がりやすい、共和制以外

          私が卒業式の国歌斉唱に反対する理由

          しあわせなんて運ばなくてもいいから

          東日本大震災から9年が経った。当時9歳だった私は18歳になり、小学生だった私は高校を卒業した。ここには書ききれないいろいろなことがあった。本当に時間の流れは早いものだ。気がついたらもうじき大学生になる。 その時間の中で、たくさんの人が悩み、苦しみ、心を病み、一部は自ら命を絶った。その時間の中で、たくさんの人が希望や夢を取り戻し、日常を再構築した。テレビで語られるのは、もっぱら後者だ。被災地の復興した場面ばかりが取り沙汰されるが、実際にその狭間で苦しんでいる人は忘れられていく

          しあわせなんて運ばなくてもいいから