見出し画像

予測不能(VUCAの)時代に有益!音楽教育の活用は音楽の価値を再評価する。菅野恵理子著『MIT音楽の授業』ほか3冊

 「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、これまで考えたことがない発想で体系化されたこの本は、僕の脳みそから鱗が3枚くらい落ちた気がします。
 クラシック音楽の分野は、教養主義や権威主義と結びつきやすく、特に日本では舶来物をありがたがる人もいるので、そこに嫌悪感を持つ人もいるかもしれませんが、人類の偉大な財産であることは間違いありません。
 僕は子供の頃にピアノを習っていた以外に、特にクラシックに詳しいわけではありませんが、機会があればオーケストラを聴いたりはします。チェンバロの音色が好きで、バロック期の音楽もたまに聞きます。ストリーミングサービスのお陰で、演奏家や指揮者にこだわらないライトなクラッシクリスナーには便利な時代になっていますね。
 さて、紹介する3冊に共通するのは、音楽教育(クラシック音楽の教育)がこれからの時代を担うビジネスパーソンのリベラルアーツ、教養を育むのに、有益だという考え方です。ハーバード、MIT(マサチューセッツ工科大学)などの世界的一流大学で行われている講義の概要が紹介されています。
 これまで僕は考えたこともありませんでしたが、この本を読むとたしかに有効な方法であることがわかります。偉大な作曲家の創作の背景は、多様性や地球環境を考える視座など、これからのビジネスパーソンに必要な感覚を知る手がかりがあるという指摘は膝を打つものでした。

VUCAの時代での有効性

 様々な領域における現状認識として、VUCAという言葉が語られることが多くなりました。Volatility(変動性)Uncertainty(不確実性)Complexity(複雑性)Ambiguity(曖昧性)という4つのキーワードの頭文字を並べて、環境が変わって今はマジで未来は予測不能だよ、だから予測不能な状態を前提に企業の経営戦略を考えないと、みたいな文脈で語られることが多いですね。そのVUCAな環境の中で行きていくマインドセットや視座を手に入れるためにクラシック音楽の教育を受けるという発想が、僕の脳みそから鱗(本当に付いてたのかww)が剥がれた理由です。
 逆から見ると、従来の音楽評論家の説明だとあまり興味を持てなかった大作曲家たちの作品に、手に取りやすい把手がつくという側面もあります。

 僕から観た日本の音楽教育は、権威主義から硬直化し、世の中的には権威も既になくなっていて、「花嫁修行」という価値観も無くなり、国際的な演奏家を輩出し得るごく一部の大学以外は、存在意義は薄まっています。個々の先生は教養やスキルをお持ちなのでしょうから、著者の視座を知って、自分をUPDATEできると社会に大きな貢献ができる存在になれるるのでは?と思いました。
 3冊とも同じコンセプトで書かれていて、どれから読んでも良いと思いますが、最初に読む方は、3冊目の『MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業』がわかりやすいかもしれません。
 ビジネスパーソンに必要な教養のために音楽教育が有効ということは、音楽の価値を再評価することになるなと、そんなことを知らされる本でした。


モチベーションあがります(^_-)