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美術部に入る。

私は高校3年間、美術部に所属していた。

昔から絵を描く事は好きだった。
小さい頃から暇があれば絵を描いてるような子供で、何かを作ったり、絵を描いていると周りが見えなくなり返事もしなくなるタイプだった。
(そしてよく怒られた)

しかし、だから美術部に入ったわけではない。

高校に入学してまもなく部活見学期間が始まった。
中学時代、生物部に所属していた私は高校に入ったら体を鍛えようと密かに思っていた。
ちょっと弓道部なんかにも憧れる。弓の弦をぐいと引いている凛々しい自分の姿を妄想した。

部活見学初日、小中学校から一緒の友人うっちゃんと一緒に見学する約束をしていた。うっちゃんとクラスは違うので、放課後、うっちゃんと落ち合い、どこから回ろうかと思案しているとうっちゃんと同じクラスの水森さんという人に出くわした。

私達は意気投合し、3人で回ることに。

水森さん(以下、水ちゃん)は、「1階端っこから回ろうかと思って。」と、先を指さしたのは廊下突き当たりにある「美術室」だった。
無論、美術室で行われている部活は美術部。

聞けば水ちゃんは絵が得意だという。
そしてうっちゃんも絵が上手い。
私も興味がない分野ではないので、美術部見学はやぶさかではない。
本命は運動部だけど。

部活見学期間の為、ドアは開きっぱなしになっていた。

思い切ってエイッと、3人で美術室に入る。
大きなイーゼルが立ち並び、絵の具の付いたエプロンやツナギを着た人が6.7人いる。
それぞれキャンバスに向かいウォークマンを着けている。目線はモチーフとキャンバスを行ったり来たり。
私達に気付かないらしく皆、私達に一瞥もくれずに絵を描いていた。とりあえず皆、猛烈に集中しているのが分かった。
ちょっと独特な雰囲気。

そして窓や扉を開けているのにも関わらず、むせ返るような決して良い匂いとは言えない古い油の匂いが鼻にまとわり付いた。

慣れない匂いと雰囲気に少し面食らっていると、私達に気が付いた男の先輩が「あ、見学かな?」と聞いてきた。
「はい。」と答えるうっちゃんと水ちゃん。

(私みたいな人がいっぱいいる。)

私は絵に向かい私達にも気付かない人達が気になって仕方がなかった。

すると男の先輩(以下、岡本先輩)が、「せんせー!見学ですー!」と準備室に向かって声を上げた。

すると奥から、のそりと白髪まじりの短髪頭ボサボサ、メガネにお腹の大きな冴えない風体の顧問が出てきた。
よく見るとズボンのベルト通しにはズボンのベルトではない、長い黒いゴムのベルトのようなものが通っており、おへその辺りで固結びになっている。

(アレなんだろ?)少し気になった。

「あー。こんにちは。私はここの顧問をやっています井坂です。コイツは岡本。今、ウチ唯一の男子。今日は部長が休みだからコイツが代理。」
と、ニッと笑い、簡単な部の事や活動の紹介をされた。主に油絵と彫刻をするらしい。

説明が終わると「はい、コレ。」とノコギリを渡された。

「?」

「よかったら今からキャンバス作ってみて。まぁ体験やと思って。」ニコニコともヘラヘラとも取れる笑みを浮かべる顧問。

「はぁ…。」

私達は何が何だか分からないが言われるがまま、岡本先輩指示のもと、木を切る事になった。
私達は元々が絵を描くのが好きな人間。物が出来てゆく様が好きなタイプだ。工作仕事もそれなりに苦ではない。そして、的確な岡本先輩のノコギリの使い方指導。

大きなベニヤを言われたサイズに切り、角材も指定された長さを幾つか切る。そして釘を打つ。最後に補強の板を付けると、いっぱしのキャンバスになった。

「おお?!」ちょっと感動する私達。

「初めて作ったにしちゃあ、上手いわ。」と褒めてくれる岡本先輩。
気がつくと、さっきまで絵に完全集中して私達に一瞥もくれなかった部の方達も私達の存在に気付いたのか、ニコニコしながら、こっちをチラチラ観ている。

すると、顧問が適当なサイズに切られた藁半紙と鉛筆をそっと出し、「へへっ」と笑いながら「もし良かったら、コレに名前書いて。」と言った。

うっちゃんと水ちゃんは少し顔を見合わせた後、ニコニコしながら藁半紙に名前を書いてた。私も「何だかこの部、ちょっと居心地いいな。」なんて、ぼんやり思いながらうっちゃんと水ちゃんに続いて名前を書いた。

書いた後、用紙をよく見ると顧問が書いたであろう鉛筆で走り書きされた癖あのある字で

「仮入部 申込み」

と、書いてあった。

「あ。」

と、私が呟いた瞬間、「うわー。やったぁ!有難う!」と岡本先輩が大きな声を上げたと同時にその場にいた美術部員が一斉に拍手をした。

仮入部だから「まだ変更が効くじゃん!」と、お思いでしょうが、恐ろしいのはこれから。

この後作ったキャンバスに下地を塗らされ、油絵セットを渡され「キャンバスと道具に名前書いて。明日、汚れてもいい服かエプロン持ってきてな!」「また明日!」と井坂顧問と岡本先輩に言われその日の見学終了時間を迎えた。

どうやら明日からこのキャンバスに絵を描くらしい。


こんなの描き始めたら辞められないじゃないか!


そう。実質仮入部とは名ばかりの本入部。


また悔しいことに、描いてみるとこの新しい絵の世界に面白いと思ってしまった自分がいた。

結局、美術部以外見学はせず見学期間は終わり、そのまま晴れて(?)美術部員となった。
この年、入った新入部員は11人。うち3人は男子。それまで唯一の男子だった岡本先輩は男子の入部に凄く喜んでいた。

半年後、私は憧れだった弓道部の弓を引かずに黒いゴムのベルトを引く…と言うか引っ張っている。
もうそれはグイグイと。

このゴムベルトは粘土で作った彫刻を樹脂や石膏作品にする過程でやる型枠を縛る為のもの。

そう。それは最初、顧問と出会った時にズボンにしていたベルトのようなアレである。

顧問曰く、「ベルトが壊れたので姑息的に使ったら塩梅が良かった。以降使っている。」とのこと。
そして「たまにゴムベルトが切れるが、いっぱいあるのですぐに事足りる。」のだという。

実際に一度、職員会議中に切れたらしく、新しいゴムベルトを取りに部室に戻って来たことがあった。鼻歌まじりに手頃なゴムベルトを探す姿は、お店で新しいベルトを新調するかのようだった。

よれた上着に彫刻制作用のゴムベルトを施されたズボン。正装でないときは、100%その服装。
準備室は顧問の私物だらけ。完全に巣と化していた。電気毛布や寝袋まである。

そんな顧問のもとに集ういっぱしの部員の一人となった頃、当初鼻に纏わり付いたあの油、ペインティングオイルの匂いなんて気にならなくなり、何なら制服に着いた油絵の具を落とす為のシンナーの強烈な匂いでさえ完全に慣れる始末となっていた。

こうして人生で大きな転換期となる私の美術部生活3年間が始まった。

今も鮮明に思い出す。
あの部活見学の日の空気、先生の照れ笑いの顔。拍手。先輩の嬉しそうな顔。ザラついたベニヤの感触。
そしてオイルの匂い。

去年、息子の高校の文化祭に保護者も参加できるというので行ってみた。

美術室の前を通り掛かると扉の前に「歓迎!美術部展示中!」と、丁寧にレタリングされた看板が掛かっている。

何気なく美術室に入ると、ペインティングオイルの匂い。

あの決して良いとはいえない、けれども心地良いあの匂いを、反射的に鼻から大きく胸いっぱいに吸い込んでいた。

五感の記憶は繊細だ。

何だか嬉しくて、気がつくと私の目からは涙が落ちていた。


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