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ジョアンナ・メイシーさんのグレート・ターニング(大転回)に心動かされる! 紹介しないでいられない(*´ω`)

この動画を見て、まさに私の心のバイブルになりうる
と心動かされました。
すべてを飲みこむわけではないけれど
ジョアンナさんの話すことは
私を赦し救ってくれる。そして、小さな勇気の灯を心に…。
一人でも多くの人に知ってもらいたいと共有します。
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どんな人間の人生にも、ある一つの問いがあり
それは一本の経糸のようにその人の人生を貫いている
生きるとは、その問いの答えを求めるということである
幸運にも、あなたにその問いが見つかったなら
その問いこそが、答えよりもはるかに
意義深いものであると知るだろう

カール・グスタフ・ユングの言葉の引用からはじまる
ジョアンナ・メイシーさんの「グレート・ターニング(大転換)」の動画をご紹介します

ご感想など、ぜひコメントください
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どうすれば、全身全霊をかけて
この世界を生きられるだろうか

苦難に満ち、地球上のあらゆる生命に対する未来への見通しが、
これほどまでに厳しいこの世界を?

どうすれば、私たちの時代をまっすぐに
見据えることができるだろうか
与えられた声明を、この時代への最大の贈り物とするために

亀のように甲羅の内側に身を引っ込めていたい
という想いはあまりにも魅力的です
ただ身を潜め
目を閉じて
雑事で自分を手一杯にしておけばいい
という思いはおまりにも魅力的です

ではどうすればいいのでしょう?
どうしたら正気を保ちつつ
私たちのこの世界と向き合えるのでしょう?

それが私の人生を貫く問いであり
今もなお私はその答えを求め続けているのです

私は、実はそのことに感謝しているのです
あなたもまた、自分自身にとってのこうした問いを見つけたなら
それは幸運の報せなのです

全てはつながりあっている

私たちが今、目の当たりにしているのは
今や自分たちは、自らを粉々に吹っ飛ばしてしまえる
力を手にしており
それが私たちの精神に計り知れない
影響を与えているのだという現実です

それと同時に、万物に宿る深遠な神秘と美しさもみえてくるでしょう
人間であれ、人間以外の生き物であれ、
彼らの目の内側を覗いてください。
あなたにも見えるはずです

私たちが広大無辺の神秘の中に
生きているのだということが

私にとって大きな意味を持つ
仏教的伝統の教えへと立ち返ってみましょう

その教えの中心は世界をどのように
把握するかということにあります

それはシステム理論の中核をなす考え方と同じく
全ては繋がりあっているという理解なのです

同じことをアメリカの神秘主義的環境活動家の
ジョン・ミュアーはこう言っています
「この世界から何か一つだけを
取り出すことなどできはしない
たった一つの石、たった一本の小枝ですら、
この世に現れる前には、あらゆるものと繋がっていたのだから」

私たちが相互依存の中で生きている
という認識がいかに強力であることか

これが現れれば、あれが現れる
これが止めば、あれが止む
これが成れば、あれが成る

まさに私たちの時代に向けた教えのようです
たった一人だけが救われることなどありえません
あなたがあなたという人間でなくして
私が私という人間であることもできないのです
あなたが安全でなくして、
わたしだけ安全でいるなどありえないのです
あなたが癒されない限り、
私も癒されはしないのです
あなたを置き去りにしたまま、
私一人だけが救われるような避難所などどこにも存在しないのです
なんてすばらしい事でしょう!

こうしてあなたを見れば
その内側に、あなたが今ここに存在するまでにたどった
全てのストーリーを見ることができるのです

赤ん坊が母親の胎内で生命の進化の
全工程を覚えているのと同じように

どうしてこんな混乱に陥ってしまったのか?

今という時代を根底から動かしているもの
それは世界を消費し尽くすことに私たちを駆り立てる
私たちの経済システム、政治経済活動にあるのです

ノルウェーのディープエコロジストである
シーグムント・クヴァーレイの言葉を借りて
私はそれを成長志向型産業社会と呼んでいます
この社会の背景にあるのは
強大な技術力と組織力に裏打ちされた
産業が持つ力です

けれども本当にそれを動かしている力は
「成長」という一語に集約されます
それは政治的な経済活動です
成功の尺度を、いかに早く成長するか
ということだけに求めているのです

一体何の成長でしょう?
智慧? 健康? 寿命? 創造力?
求めるのはただ一つ
そう、たった一つだけ
利益です

最後の1ドルまでもを奪い合う
成長志向型産業社会の猛攻撃をうけて
私たちの惑星の生態系はガラガラと崩壊していこうとしています

地球の身体から再生が追い付かないほどのスピードで
原料となる資源を私たちが引きずり出している

その事実が知られてからすでに数十年がたっています
誰もがそれを感じています
経済学者でなくてもわかることです

たったひとつの子の限られた世界で
無限に成長し続けることはできないと
小学3年生でも理解できるのです
けれどもどうしたわけか、
二本足で歩きまわる大人たち
なかでもオフィスで立身出世に駆け回る人たちは
自分たちが成長し続けられないのだ
などと認めようとはしないのです
そんな気の滅入る悲観的な言葉など
聞きたくはないのです

そんなわけで、成長への異常なまでの執着が
私たちを愚かであり続けさせているのです

時代の痛みに向き合うこと

私たちは人間らしさの本質へと向かう
苦難の道を歩くことになるでしょう
これは壮大な冒険です

けれども、私たちの文化が
これまでに大切に語り継いできた
全ての神話、伝説、冒険談の
ヒーローやヒロインたちは

その旅のどこかの時点で、怪物やメデューサと
真っ向から向き合わねばならない
宿命を背負っています
無力な石へと変えられることなく
私たちもまた、自分たちの置かれている状況を
彼らの旅になぞらえましょう

そして、世界とともに苦しむことを通して、
私たちのなかにある生命の無限の広がりに目を開くのです
例えば、キリスト教でエコロジーの聖者と称される
聖フランチェスコは
彼の時代に怒ったさまざまな悪い報せに
決して背を向けようとはしませんでした

彼は貧しくとも気高く生き
ハンセン病を患った人びとに口づけをし
戦争がもたらした破壊の傷跡から目をそらさず、
彼自身も一度は戦争捕虜となり、その生涯を生きました

そのすべての兄弟、姉妹たちとともに
彼らの痛みを分かち合いながら生きることによって
彼は、太陽への賛歌を捧げ
与えられた生命の神聖さを一身に受けて
こう感じたのです
ウナ・インメンサ・ヴィタ・・・
生命の無限の広がり
それを感じるためには、私たちは互いを必要とします
私たちは今、かつてなかったようなやり方で
互いを必要としているのだと思います

これまでの人類の歴史を通じて
そこには常に暗黙の了解がありました
この惑星で生命は必ず存続してゆくという
暗黙の前提があったのです

もちろん戦争や貧困、伝染病や
ペストの大流行もありましたし

当然ながら、死、病気
老いることも避けられません

それでもなお、誰一人
疑うことはなかったのです

すなわち、生命は受け継がれ
私たちの手や、こころが創り出してきたものは
未来の世代へも引き継がれてゆくということを

その前提が今や失われてしまったのです

そして、生命の継続に対する
この不確実性の喪失こそが
私たちの時代を象徴する極めて重要な
心理的現実だと私は考えているのです

その現実に飲みこまれてしまわないよう
私はそれをまっすぐに見据えて、こう言うのです
「ああ、また会いましたね」と

私たちが世界の苦しみとともに
生きていることを理解し
その苦しみを覆い隠そうとしたり弁明したりせず
その苦しいを自分個人の弱さや
狂気だとみなしたりもしないで
ただその苦しみに挨拶でもするように
語りかけるのです

「ああ、あなたもまた世界とともに
苦しんでいるのですね」と
それはこの世で最も自然で
この世で最も健全で正常なものなのです
どうか、心が打ち割られることを
恐れないでください
打ち割られたそのこころには
宇宙のすべてを受け入れることができるのです

割れたこころとは、それほどまでに
大きいのです
私自身、世界の行く末は大丈夫だと
どれほど信じたいことでしょう
「心配ないわ。絶対に大丈夫よ」と
言えたらどんなにいいか・・

けれども気がついたのです
そんなことは誰の役にも立たないのだと

そもそも未来のことなど私たちには
知り得ないのですから

それに、もしも誰かが「心配するな。結局最後には何とかなるさ」と、
私たちを信じ込ませたとしたなら
私たちは自分たちに備わる創造力や
勇気を引き出してこられるでしょうか?

いいえ

予断を許さないこの不確実性こそが
私たちのが持つ真の力に息吹を与えるのです
だからこそ、私たちは
自分自身のためにと頑張るのです
顔を上げてまっすぐに現実を見据え
人生を堂々と生きてゆくのです

私たちは不確実性のまっただ中にあり
何がどのような結果として現れるのかは
全く予測不可能であると知りながら

私たちにはいかなる保証も
与えられてはいません
けれどもそこで私たちはきづくのです
ちょっと待てよ、と
どのみち保証なんてあるはずがないじゃないか、と

恋に落ちた相手とこの先ずっと
一緒にいる保証などない
子どもを授かってもその子が無事に
生まれてくる保証などない
土に種を蒔いても豊作となるに十分な雨や
温度が得られる保証などない

これまでも人間の生活に保障があったためしなどなく
あるのはただ不確実性だけなのだと
気がつくのです

その様子はまるで、風と炎が織りなす
絶妙なゆらぎのようなものなのです
それが生きることの本質なのです
それこそが全ての賢人たちが語るものなのです

私たちは不確実性を生きているのです

古い殻の内側に新しいものを築く

今や、これまでの社会のシステムすらも揺らぎ始め
崩壊しようとしているのを私たちは
目のあたりにしています

住宅ローン危機、現代の生態系
農業システムを見ればおわかりでしょう

こうしてこれまでのシステムでは
もはや人間のニーズを支えきれなくなってきたとき
同時に何か素晴らしいことも起ころうとしています

人々が古い殻の内側に
新しい何かを創り出そうとしているのです

さまざまな新しい方法が生み出され
世界を破壊せずとも
自分たちのニーズを満たせるのだということに
多くの人が気づき始めているのです

口当たりの良い言葉に聞こえるかもしれませんが
実際これは革命的な出来事なのです
現代社会のシステムを牛耳る人間たちは
私たちが生き残るためには
永続的な戦争行為と環境破壊を
推し進める以外に道はないのだと考えています

なんて馬鹿げたことでしょう!

私たちは100万年以上もの間
有史以来にしても何千年という時間をかけて
知識、芸術、文化、科学の壮大なモニュメントをつくりあげ
思いやりのこころを学び
いかに労りあうか学び続けてきたというのに

私たち祖先は、そのための智慧を
私たちに受け渡してくれています

三番目の革命

何かが起こりつつあるこの時代をいきられるのは
なんてすばらしいことでしょう
一つの革命的出来事が起こりつつあるのです

企業に支配されている出版物やテレビからは
今起こっている出来事について学べません
これは途方もなく大きな革命なのです

ですから今この時代に現れてくるものや
明らかになってくるさまざまな様相に対して
私たちはしっかりと目を開いている必要があると
私は感じています

それこそが、多くの人の言う
「グレート・ターニング(大転回)」
それは成長志向型産業社会から
生命持続型社会への転換です

私たちが忠誠を誓い同時に依存してきた
これまでの社会システムは
今や、私たち自身や、この世界を破滅させ
未来をも奪おうとしているのを
私たちは目の当たりにしています

ですから、私はこの転換期を、
人類史上第三番目の革命だと考えているのです

1万年前の新石器時代
人類は定住し農耕をはじめ余剰生産物を創り出し
壁を築き、土地を所有し文字を身につけ
交易をはじめ穀物増や寺院を建てました

それが農業革命です
それは何世紀にもわたる変革でした

これと同じくらい大きな革命として次に起こったのが
300年前にイギリスで起こった革命です
蒸気機関、工場と鉱山、そして安価なエネルギーに
象徴される革命

この革命は私たちの自分自身に対する見方や
価値観や、他者との関わりあいかたや
地球という生きた惑星をどのように理解するか
ということに影響を及ぼしました
この革命によって私たちは地球という星を
資源を引き出してくるための貯蔵庫か
廃棄物を放り込む下水管だと
みなし始めたのです

私たちは自分に都合の良いように
この世界を痛めつけ
必要なものを得るためには
敗者ではなく勝者であらねばと
競争と絶望にあおりたてられながら
互いに敵対しあうようになったのです

この革命は見え透いた快適さと権力をもたらし
私たちはそれにすっかり依存するようになりました
私自身も少なからずそうであったのです
けれども今や、それは私たちの手に負えなくなってしまいました
これは暴走を加速させる仕組みになっているからです

そして今、現れるつつあるのが
ある一つの本質的な変化です
多くの人たちが、それを人類史上
第三番目の革命だと考えています

アース・ポリシー研究所のレスター・ブラウンは
それを環境革命と呼んでいます
また最近は、ますます多くの人たちが、これを
「グレート・ターニング(大転回)」と呼んでいます

なぜなら、未来の生命たちのことをしっかりと考え
世界がますます破壊されてゆく
この現状を直視するとき
私たちは、自分たちが今、大きな転換期にあるのだと
気づくからです

未来の生命たちには何が残るのか?
この問いが私たちのこころを打ち始めるのです

私たちが未来の生命のことを考え
未来の生命が私たちを呼び覚ますとき
私たちは自らに与えられた生命を愛し、
懸命に生きようとするのです

未来へと生命を繋ぎ、呼吸するための空気、
飲むための水、耕すための大地を、彼らに引き継げるようにと。

未来に生きる人々が現代の私たちを振り返り
この第三千年期の始めに生きるわたしたちについて
こう語るのを想像してみてください
「ああ、ずっと昔に生きていた私たちの祖先
彼らがクレート・ターニング(大転回)を成し遂げたのだよ」と

そしてこの第三の革命は農業革命や産業革命と
同等の大変革であるだけでなく
それは他の二つの革命よりもずっと早く
進められなければなりません

これに異を唱える人はいないでしょう
この革命はこれから数年のうちに広がらなければならないのです

良い報せは、それがまさに現実として
起こっているということです
現実なのです

ポール・ホーケンはそれを
「祝福された不安」と呼びます
彼はそれを「人類史上、最も偉大で
もっとも大規模な社会運動」と呼び
そしてまた「名もなき運動」とも呼びます

どんな呼び方をしても構いません
ただ、私たちがこの時代に生きているということが
どれほど素晴らしい幸運であることか
自分たちの知恵と力のすべてを注ぎ込み
勇気と互いのつながりについて、
学びのすべてを活かす場があるなんて、
何と幸運な事でしょう


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