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自意識の怪物から逃れて

年老いて物忘れが激しくなってきた母が、他人から「ボケている」と思われないかをとても気にしていた時期があります。それを見て、「ははあ、俺はこの人からこの遺伝子を受け継いだのか」と思いました。

少年期の私は自意識の怪物でした。自意識過剰でがんじがらめになっていました。

こんなことをするとバカにされないか、あんなことをすると反発を食わないか、そんなことばかり考えていると身動きが取れなくなり、結局は「何もしない」という選択肢を選ぶことが多くなりました。

そういう訳で、私は傍目には「独り超然とした子供」というように捉えられていたようです。でも、実は心の中では嵐が吹き荒れていたのです。悩みすぎて何もできなかったのです。

私は母にやんわりと言いました。

「誰も他人のことなんてそんなに気にしてないよ」

この言葉が母に対する宥めの意味を果たしたかどうかは知りません。母はきょとんとしていました。その母も今は完全に認知症になってしまって、もはやあのときどう感じたかを確かめる術もありません。

ただ、私の場合は誰も自分のことなんか気にしていないのだと気づいたことによって、自らに対する呪縛から解放されて、人生が軽いものになったのです。

他人は私の一挙手一投足を眼を皿にして観察している訳ではないし、観察していちいち私を採点し、軽蔑したり毛嫌いしたりしている訳でもありません。他人はそれほど私に関心はないのです。

私はそれほどの重要人物ではありません。人は私について何か感じてもすぐに忘れてしまうし、私に関わりを持とうと身構えてはいないのです。

仮に私のことが好きでないにしても、それが「あんまり好きではない」「なんとなく波長が合わない」という程度であれば、そもそも私に対してそれほど注意を払っていないのです。

だから、他人の眼を気にしても仕方がないのです──そう考えると一気に人生が楽になりました。

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大人になってから、同年輩の女性に相談を受けたことがあります。彼女は誰かに嫌われているのではないかと悩んでいたのです。

「まあ、そんなこと言ったって、全員に好かれようと思ってもそれは無理なことだし。好きな人にだけ好かれていれば、あとは気にしなくていいんじゃない?」

それが私が彼女に返した言葉でした。私としては「全員に好かれようとしても無理」というのはオールマイティのアドバイス、反論不能な真理だと思っていました。

ところが、彼女はこう答えたのでした。

「私は全員に好かれたいの」

私は大いに驚きました。そんな茨の道を行く人生もあったのか!と。

私は今や、みんなに好かれたいとは全然思っていません。あれだけあらゆる局面で「嫌われるのではないか」と躊躇していた自分が、いつの間にこんな風に変わったのかは自分でも分かりません。

確かに「私のことを気にしている人はほとんどいない」というのは、裏返してみれば、「私のことを気にしている人は僅かだがいる」ということであり、「その中の何人かは私のことを嫌っている」のかもしれません。

でも、それで良いと思い始めていた矢先に、「私は全員に好かれたいの」と言われて言葉を失いました。結局彼女に対して有効なアドバイスをしてあげることはできませんでした。

人の考え方、感じ方は千差万別です。

ただ、今の私は他人が自分をどう思っているかをいちいちつきとめようとは思わないし、仮に嫌っている人がいてもそれは仕方がないと諦めはついているし、何よりも、他人にあんまり気にしてもらっていない自分が嫌いではありません。

自意識はときに自分を傷つける刃物になります。私はそこから抜け出して人生が楽になりました。茨の道を進む気はありません。

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