劇作品を作る際の視座が低すぎる
終始ヘッダーにさせてもらった絵のお犬様のようなしかめっ面で拝見してしまった。そして久しぶりに配られた紙アンケートをウラ面まで埋めてしまった。
それほどまでに怒りを禁じえない「音楽劇」だった。
引用で囲った文のようなあらすじだったと思う。役名のある出演者としてはあらすじに出てくる幼なじみ役の2名のみ(二役とも声楽家が担当していた)。あとはダンサー2名と、ナレーション的に起用されていた朗読家1名。
まず開演が暗転(それも非常灯が点灯したままで舞台上が視認できる不完全な暗転)の中での無音板付き(BGMもなく=無音、照明がつく前に舞台上に出てきておくこと=板付き)だったことから「作るの下手だな」と思ったのは私の良くない凝り過ぎなサガだとして(あとから流れてきたさざなみの音を先に入れたら、舞台に出てくる際の足音は消せたのに……)、開幕1シーン目の「ふたりの女性(ダンサー)が海中でたゆたっている」ような場面のあと、また暗転してダンサーが出ていき、他の出演者が出てきたのは「見づらいし、勿体ないな」と思った。
ダンサーにたゆたわせたままで他の演者が出てきて、「肥大化すると死を招く、ハーポスと呼ばれるものを待って生まれてくる国……」とナレーションを始めれば、いちいち暗転して劇としての時間をぶつ切りにしなくていい上に、海中をたゆたうシーンとの重なりでもっといろいろな解釈ができる豊かな光景が生まれたはずだ。単なる海藻か海中生物のように見えたものが胎内の双子に見える、とか。
ミステリーとか、ファンタジーのエンタメとか、「時系列に即して様々な場所で起こった出来事を見せることで一本のストーリーを伝える作品」を、普段から演劇にふれているわけではない高校生が文化祭の出し物でやろうとするとありがちな「暗転の連発」を思い出した。
その後も「出演者各々を技能ないし肩書で分けて、それぞれ舞台上でできることをさせている」という印象を受けるシーンが多くあった(もちろんそうでない、ダンサーも声楽家も出てきて各々のできることで情景を共作している場面もあったが。1つは)。
他にも色々挙げることはできるが、ここまで書いていて一つの考えがまとまったのでそれを書こうと思う。
要するに「今回の作品において、劇とはどんなものか?」という問いに対して、どう考えているかなのだと思う。
僕の場合は、劇とはあくまで「舞台上で視覚として展開されること」なのだろう。だから暗転は極力したくない(したくなさすぎて観客の入場時間中から舞台上にいることも少なくない)。
今日見た作品の脚本演出担当は、そうは考えていなかったということだろう。こう書くとオチのようだが、その方はピアニストであり、プロフィールを見る限り舞台に携わったことがあるとは書かれていなかった。では演今回が劇を作る初の経験だったのだろうし、劇を普段から見ているわけでもないだろうから、高校のクラス劇と同じようなレベルとなっても不思議ではない。
救いだったと思うのは、「出演者が皆その分野のプロフェッショナルだったこと」と、「私以外の観客はこの公演で満足しているやうだったこと」だろう。それは周りの拍手で伝わってきた。たぶん観客は劇の愛好家より音楽の愛好家が多かったのだろう。「公演がホール援助の応募招待制であったこと」と、「ホールの設備がどちらかというと舞台作品でなく音楽用に思えること」、「出演者に音楽家が多いこと」、「主催者も音楽家(ピアニスト)であること」からそう思った。だから素晴らしい歌声とピアノ演奏を存分に楽しめればそれで良かったのだと思う。そういう意味では公演は十分成功していたとも思う。
まあ、音楽劇を作ろうと思った決心と公演までこぎつけた事実は素晴らしいものだと思うので、今後もまた挑戦してみてほしいとも思う。ただその場合は、演出や脚本(=自分の専門外)はご自身は「発案」にとどめて実務を専門家に依頼するか、色んな舞台を(リサイタルやオペラだけではなく演劇や舞踊も)観てからにしてもらいたい。
と、「演劇を月に5本以上見る大学4年間を送り(ここで最低240本観ている)、その後も月一本は観て8年を過ごしてきた(96本。少なっ…)からこそ、ここまで他の作品を見て引っかかったところを挙げたり考えを書いたりすることができるようになったし、『面白い』と言ってもらえる舞台作品を作れるようになった」と思っている私は望んでいる。
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