
プロカメラマン大欠氏との出会い
やくさひろです。
人との出会いに感謝することなんて、普通に生きている中で何度あるのだろうか。
私生活において友人と呼べる人がほとんどいない私にとって
仕事上での繋がりや仲間と呼べる繋がりを持てることが、何よりも嬉しく感じる。
特に仕事上での出会いの意味は大きい。
自分が期待している仕事内容を事細かに相手に伝えることはできても、その意図を理解し、正しく引き継ぎ形にして提供(納品)をすることは至難の業だろう。
今まではとあるカメラマンに依頼をしていた。
そのカメラマンは自信に溢れ笑顔で快く撮影を行ってくれていた。
しかし私は多くの不満を抱えていた。
・自分本意の撮影スタイル。いくらこちらが用途や説明を繰り返し行おうがそれでもこうしましょう!という提案が多く室内での撮影がいつの間にか屋外での撮影となっていたり。 ・ネイルチップを撮影するなどの際、デザインを見せたいと依頼をしても、その意図をくみ取ってはくれずデザインが見えないほど小さく撮影をし、小物撮影(アクセサリー、ネイル・・・)はどれも一緒である意識が垣間見えた。 ・事務員の女性がいるのだが、その女性に対してかわいいだのきれいだの常にくどいている(-_-;) 女性と酒の話が大半で大層つまらない時間を過ごした ・売れる撮影をします!がキャッチコピーなのだが・・用途を伝えてもほぼ無視。結局はこちらが説明をしてもカメラマンの意向に沿う形でなければ撮影が進まなかった。
とまあ、挙げればきりがない。
ここで大欠氏との出会いが私たちの会社の方向性をぐぐっと上向きに変えてくれたのだ。
彼は必ず最初に丁寧にヒアリングをしてくれる。
こちら側の稚拙な説明であっても意図をくみ取り、期待以上の撮影をしてくれるのだ。
そして何よりも、こちら側の生活スタイルなどにも興味をもってくれ
人と人との繋がりという絆を感じさせてくれるプロカメラマンなのだ。
思い起こしてみると「ありがとう」とか「ありがとうございました!」という言葉を私たちはかなり頻繁に使っている間柄になっている。
私は大欠氏からラインがくるとこう考えてしまうのだ。
私も他人からありがとうと言われる人になりたい
だからこそ、今の私のネガティブ要素を少しでもプラスに変えようと頑張れるのだ。
思うだけ願うだけでは目の前の現状をかえることは不可能。
人との繋がりや絆、出会いに感謝することができた私は、その平穏な環境に
落ち着くことはせず、同じように職業人としてこれから出会う様々な人に
「やくささんと出会えて本当によかった」
と思ってもらえるようにしたい。
もうひとつ。
「すべての出会いに感謝!」
なんてこれっぽっちも思えないのだ。
幸せをかみしめた時、天にも昇る気持ちを表現しているのだろう。
考察細かすぎるな(;^ω^)
私は私生活や社会生活において出会う大半の人と
「二度と会いたくないし連絡もしたくない。もうあうことねーや」
と割り切り、切り捨て生きている。
その基準は自分の利益になるとかならないとか、そういった概念ではなく
本当に心にぐっとくる人との出会いって人生そうそうないだろうと
勝手に推測している。
私だけなのかもしれないが、結構無責任に生きている人は多いと感じている。
なぜここまで初対面で相手を不快にさせる言動ができるのだろうと
怒りを通り越して不思議に思えることもしばしば。
だからこそ、日常生活や社会生活の中で私は出会いというものに
否定的な感情を抱いてしまっている。
むしろ平穏な日常を阻害させる因子という表現が正しいのか、毒にも
薬にもならない人との出会いは時間の無駄という、どぎつい思想を抱えて
悶々とした気持ちも抱えている。
きれいな響きだけの言葉は、人の心には刺さらないのだ。
だからこそ大欠氏のような人物との出会いは私にとってはかけがえのない
出会いだったのだ。
偶然とか必然とかってものはどうでもいい。
人を喜ばせたり楽しませたりワクワクさせることができる仕事人って
本当に素敵じゃありませんか?
価値観の違う人同士でも、仕事という一つカテゴリーを通してお互いに
成長できる。これこそ出会いに感謝、ですよね(*^-^*)
沢山の喜びと感動。そして多くのお客様を笑顔にしてくれる撮影をしてくだ
さり本当にありがとう。