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【壁にぶち当たってようやく気付く?】飴物語#0

こんばんは。
昭和6年(1931年)から岐阜県多治見市で飴屋(あめや)を営んでおります。
鵜飼やっこ飴本舗の鵜飼と申します。
2019年3月に運良くAbemaTV「ニシノコンサル」に出演させて頂き、芸人キングコングであり絵本作家である西野亮廣さん(@nishinoakihiro)と株式会社SHOWROOM代表の前田裕二さん(@UGMD)に飴売上UPを目的にコンサルティングして頂きました。また皆様のお力のお陰でクラウドファンディング達成できました。感謝しかありません。

今回は、「なぜ?ニシノコンサルに応募する事になったか?」について書いていきたいと思います。

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時は2017年1月に遡ります。  
ニシノコンサルをご覧になった方はご存知かもしれませんが、弊社は時代の流れに乗れず、年々売上が下がっており、販売店も辞めました。その頃はホームページも無くて、誰も弊社の飴を知ることは出来ません。勿論買うことも。

それに加えて大手和菓子屋さんとの取引が売上の8割を占めており、この仕事が無くなってしまうと経営が成り立たない状況でした。

2017年冬。父の怪我

そんな状況の中、追い討ちをかけるように事態は悪化します。職人は父1人。そんな中で、毎年年末に大手和菓子屋さんから頂いているお仕事で体を酷使し過ぎてしまい肩が上がらなくなってしまいました。飴を納品が出来ない状況になってしまったのです。すぐに家族会議が開かれました。議題は2つ。

①この依頼をどうやって完遂するのか。

②このまま飴屋を続けるのか?

そこで初めて私は危機感を覚えました。「え。。飴屋を辞める可能性ってあるの?」今まで当たり前の様に続いていた家業を終わらせる選択肢がある事に気づきました。そこで初めて「潰したくない。」と強く思ったのです。

父の飴は幼稚園の子からご高齢の方まで愛されます。心温まる懐かしい味です。味には自信があるのです。キャンディーとは違うのです。みんなに知ってほしいし、この味を一度感じて欲しい。
この味を88年間守ってきたバトンをここで落とす訳にはいかないのです。僕がどうにか守りたい。そう思いました。

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※花奴(はなやっこ)

①については友人に声掛けをして手伝って頂ける方を募集して父の負担を出来る限り軽減を目指しました。家族+友人が一丸となり、なんとか2017年末を乗り切る事が出来ました。

しかし、来年は乗り切れるか分からない。このまま売上上がらない環境では長く続かない。

商品には自信があるのに知ってもらえてない「認知度」に原因があると思いました。
そこから少しずつ動いていきます。

今回はこれまで。
次回は「なぜニシノコンサルに応募したのか?後半編」です!
具体的何をしたか行動まで詳しくお伝えしたいと思います。
ではまた来週!







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