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思い出の、物悲しい、小さい子供のための作品 (3) ディズニー映画 「ダンボ」

ダンボ

ダンボは、耳の大きい、空飛ぶ象さん。私も子供の頃から知っていましたが、その映画は、子どもを持つまで見たことがありませんでした。昔のディズニー映画の、美しい画面、動きの繊細や音使い。楽しい作品でした。

私は、ダンボがどう誕生したのか初めて知りました。コウノトリが、サーカスにいる動物に毎夜赤ん坊を運んでくる。待ちかねるメスの象。そして、やっと届いた包み。メスの象は、かわいい我が子を自慢に思います。

ああ、私と同じ。生まれたとたん、一目惚れのように、幸せになり、目の前の子を自慢に思う。それまでは、自慢に思うには、行動とか功績とか、それなりの理由があるものだと思っていたのに。いるだけで、誇りや自慢の種になる。赤ん坊はすごい。

まだ名前もついていない仔象。おかあさん象が目尻を下げながら、自慢そうに見守るなか、その仔象は、サーカスの他の象にディスられます。
  なに、この耳?ワーハハハ。
そのうちの一頭が言います。
  何、これ?ダンボ?

ああ、そうなんだ。私は米国住まいだったので、図書館で借りた英語のビデオを見ていました。ダンボ、って、悪口だったんだ。ダム、まぬけ、という言葉のもじり。そして、その意地悪な象が言っただけで、それが仔象の呼び名になりました。

ちょっと、お母さん象、なんで?なんで、なんで?違う名前で呼んでやればいいじゃない?まだ、名付けてもいなかったのに。ダンボという名前に長い間慣れ親しんでいる私には違和感ないけど、あなたは、いいの?いいなら、なんで?アニメ映画だから?ダンボと決まってたから?

メスの象は、悪口に腹をたて、暴れてしまいます。そこにサーカスの団長が出て来て、メス象を罰し、独房に閉じ込めます。ダンボはひとりぼっちになります。

これは、かわいそうなんですが、ひとりぼっちになったからこそ、子象はカラス軍団から飛ぶことを習い、そのおかげで、サーカスの看板になっていきます。最後には、その孝行息子の、空飛ぶダンボのおかげで、おかあさんも独房からも出してもらえ、サーカスの移動列車の最後方に、優雅にたたずむことができています。

そうか、ダンボが飛べるようになり、看板スターになれ、それで、私たちの知るところの姿になったのは、母親がいなくなってしまったせいだったんだ。頼る人がいない。愛する母がひどい目にあっている。だから、自立しなければいけなかった。一人でめそめそしていても、助けてくれる人がいなかった。ちょっと、子役の安達祐実ちゃんの、同情するなら金をくれ、を思い出します。たくましくなるしかなかった。

私が一番いやなシーンは、団長が、暴れるメス象を鞭打つところ。ピシーンという音だけで、絵では映さないのは、さすが子ども向け映画ですが、それでも、そのシーン自体が、私にはかなり思い切った判断に思えました。この映画は、私が思うより上の年齢の子に向けて作られていた?それとも、作られた当時の、アメリカの子どもが、成熟していた?いや、うちの幼児みたいな年令に向けてる?言葉もニュアンスもそうわからないから?

うちの上の子は、初めて見た時、お母さんに何か悪いことがあったのは、わかったようです。おかあさんの足首に付けられた重り。閉じ込められた部屋の、開けられないようになっている戸。それらに、上の子は、顔をしかめていました。

問題シーンで、彼が心配で、サッと顔を見ました。鞭打つ音は聞こえたけど、それがどういう意味なのかは、人間の経験の少ない彼には、まだわかっていないようでした。ほっ。

何度も見るうち、同じくらい物悲しく思うところが出てきました。ダンボと母象を激しく揶揄するのは、ほかの象みんなだったこと。サーカスの他の動物たちにも、コウノトリは赤ん坊を運んできます。象らは、他の動物らにも、そのたびに、なに、そのブサイクなの、とディスってたんでしょうか。それとも、同族の象だからこそ、いやがらせのひとつも言いたくなった?

切ない気持ちになったのは、声から判断するに、みんながメスの象であること。その中には、自分も同じように、コウノトリの包みを待っていた象もいたのかも。待ってないけど、メスは母になるのが幸せ、みたいな虚言を体現するような、自慢げな別のメスにイラついたのかも。

親にならなくたって、慈愛の心もあるのに。次世代の幸福だって願うし。親子という閉じた関係の、なんという自己中心さ。

そう思ってしまったのは、私自身が、そのどの思いをも、親になる以前に、持ったことがあるからだろうと思います。その気持ちは、時を経た今もあると、自分では思っています。

そして、思い出でなく、現在の私が持った疑問。赤ん坊が届いてない象が、それもみんな結託して、母象に嫌がらせを言い、親がいなくなった仔象を、ハナから村八分にして、かまってやらない。「母」は善、そうでないメスは問題あり、という描き方。これは、製作者の持つメス神話でしょうか。製作当時の価値観でしょうか。メスをバカにすんなよ、と思います。

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